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◆今も私を支え助けてくれている師の教え◆ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年5月24日)
師の教えというと、学生時代を連想することが多いかもしれない。
もちろん学生時代に授かり今も大切な礎となっている師の教えはたくさんある。
ただ今日綴る師の教えは社会人になってからのものである。
幸運にも教員という職に就くことができ、国内や海外の色んな学校を渡り歩いていて、どこにおいても支えられ、助けられていると感じる教えは、30代半ばで赴任した学校において授かったものである。
その学校に勤めた期間は4年。
教員という仕事は、授業、学級、校務分掌、部活動、委員会など多岐に渡る。
その中で今日綴るのは「校務分掌」での教えについて。
私はこの学校で初めて「入試広報」という校務分掌を経験した。
それまでも私学に勤めていたので、入試広報というものが学校存続のために大切だということは理解していたつもりだったが、あくまでそれは頭の中に留まるもので、体感としては弱かった。
しかしこの学校で入試広報に属し体感した。
入試広報という言葉からストレートに連想できることを教わったというのは言うまでもないことである。
その連想からさらに広がる教え。
その教えは、入試広報という校務分掌に関わっていないときでも、教員としての自分をしっかりと支えてくれているし、大いに助けとなっている。
その教えの中でも特に支えられ、助けられているものをあげるならば次の2つだと感じている。
「★ メールや電話で連絡を取るとき、本来の要件だけでなく、その相手にとっての個別な情報を合わせて伝えること。」
「★ 1対多数で話をする場面では、必須の伝達事項だけでなく、笑い話を最低でも1つは織り交ぜること。」
本当はもっと具体性のある表現を用いるべきだが、野暮になってしまうので、一般化させた表現にとどめておく。そしてこの2つに共通していることは、「自分と相手方の間にある空気をアウェーからホームに変化させるための大切な仕掛け」だと私は思っている。それは仕掛けではあるが、自分のためというよりも、「相手に対する心遣いを第一に考えた」結果、大切になってくる仕掛けである。
人によっては、特別なことではなく当たり前と思うかもしれない。ただ、それまでの私に欠けていた要素であったし、何より強い説得力と圧倒される情熱を伴ったもので、その先生自身が常に実践されているので、さきほど書いた文字の内容をはるかに凌駕する価値を持っている教えだったのである。
この2つの教えを大切にし、現在でも教員を続けている。
現在は入試広報とは無縁だが、学級経営で保護者と接するときや、保護者会でスピーチをするときなどにしっかりと活かされている。もともと対人関係が得意ではない私であるが、この教えのおかげで何とか乗り切れている。
20年目に突入し改めて感じるのは、教員は「教える」仕事であると同時に、「教わる」仕事でもあるということ。
それは先輩教員からの「教え」だけではないだろう。
保護者と関わり「教わる」ことも多い。
子どもたちとの関わりの中からも多くの学び・発見があるので、子どもたちは教えた自覚はないだろうが、私は「教わっている」。
様々な教えを授けてもらえることに感謝するのと同時に、しっかりと還元することが恩返しのあるべき姿であろう。
それもやはり「相手に対する心遣いを第一に考えた」結果として生まれてくるものだろう。
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