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4月になれば思い出す。

4月になれば。新年度。入学式や入社式。転勤もあるでしょう。色々と環境も変わって、少し慣れてきた頃でしょうか。

この4月から私の同級生が次々と50歳の節目を迎えます。私は鳥取県の小さな町で生まれ育ち、小学校の同級生はわずか45人ほどでした。やっと2クラスできるほどで、ひとつ下の学年は1クラス。その母校はすでにありません。

当時は毎月朝礼で簡単な誕生会があり、各学年のその月に生まれた児童がステージに上りました。わずか45人ほどの同級生なので、ほぼ全員の誕生月を覚えています。例えば今月は市川くんの誕生月というふうに。彼とは小中高と共に野球に励みました。さらには誕生日まで覚えている友達も結構います。

私は10月生まれですが、その45人のなかで10人くらいが10月生まれに集中し、ほぼ全員の誕生日まで覚えています。1日は月森くん。20日は新川くんと河原條くん。

そんな私の同級生たちですが、6年生時には学校始まって以来の素行の悪さ、お行儀の悪い学年だと言われていました。私も大きく加担したひとりです。しかし一方で創立以来の快挙を成し遂げた学年でもありました。野球とバスケットで初めての地区優勝。自転車競技でも全国大会出場。絵画でも入賞者多数など、エネルギーが有り余っていたのでしょう。都会のレベルに比べたら小さなお話かもしれませんが、6年生だった1986年度の1年間は私にとっても濃密で充実した時間でした。

そんな同級生たちが会する機会は22歳のときが最後ですが、みんなどうしてるかなと、ふと思うことがあります。医者になった彼。教師になった彼ら。国際結婚で海を渡った彼女たち。スタジオミュージシャンになった彼。温泉街の旅館を継いだ彼ら。町役場で働く彼ら。民間企業で働く彼ら。飲食店を営む彼女、など。そして郷里を離れた者。留まった者。戻った者、など。45人の人生は、みなそれぞれ。今後一生会わない仲間もいれば、日常的によく会う仲間もいるでしょう。

私の知る限り、みんな生きています。生きている限り、色んな可能性があります。同級生に会う機会はそんなにないけど、会えばお互いの紆余曲折、来し方を労い、今後の幸せを願うでしょう。そして子どもに戻るでしょう。

来月5月は吉川くんの誕生月。彼は書道がすごくて足も速く鉄砲肩。中学以降は棒高跳びの選手。結構ヤンチャだったかな。

遠くに目を移せば、松井秀喜や草彅剛も同学年。海の向こうにはディカプリオが。私も約半年後には50の歳に。同じ日にはビル・ゲイツやジュリア・ロバーツも歳を重ねます。すごい人たちの名前を挙げましたが、私自身は25歳くらいから精神年齢が変わらないような気がしています。50にもなればもう少し、いや随分と成熟した大人になっていると思っていましたがこのまま、25歳のままでずっといってしまいそうです。

たまに同級生に会うと、みんなすごいなあと惚れ惚れしてしまいます。





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