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🇹🇭ゲストハウスに馴染めなくなった時。

インドシナ半島へ何度も足を運ぶ内に気づいたことがある。バックパッカーを名乗る事ができなくなった起点がある。

それにどうやって気づいたか?
「ゲストハウスを転々と出来なくなった」時だ。


新宿ビル群を背にして成田から経ち、何度も何度も執拗に足を運んだバンコク。「バックパッカー」という言葉に自意識過剰なまでに固執した。


貧乏旅行、というスタイルを言い訳にして年月が経ち、30代を迎えた頃、突然ゲストハウスに馴染むことが出来なくなった。


「ああ、これで卒業だ」本当に一人で呟いたことがある。

私はゲストハウスに連泊することなく転々と街を眺めるスタイルを好んだ。だが、突然身体が言うことを効かなくなってきた。

ドリアン売りがおどける 2002@アユタヤ

ある日、中級ホテルに泊まった。2000年代中期。当時一泊1000バーツくらいのホテルだ。快適な空調。歩いて数分のところにMBKというデパートがあり、そこでKFCのチキンを貪り、冷房で身体を冷やしてダラダラとしていた。

年齢ではない。自分で言い聞かせていた。だが、働きながらバックパッカーの「真似事」をするにはしんどい事に気づき始めていた。


それから、である。もうゲストハウスに泊まることは無くなった。

こんなものをよく飛ばせるものだ

30代から、遅咲きのデビューであるかも知れないがスクンビット沿いの安ホテルにシングル、冷房付きで引きこもりながら夜道を散策するスタイルに溺れて行った。


ーータケシ

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