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アートを学校で学ぶ(ばせる)意味

私は美大(デザイン科)を出たわけですが、今の仕事もそれなりにデザインに関係しているし、一応食べられて?いるし、まぁ良かったのかな、と思います。お父さんお母さんありがとう。

それで、よくある「医者の子は医者になる」的なことに近いんですが、うちの子らにも絵画教育を施しております。それも、情操教育としてではなく、割と受験に向けて~寄りのやつです。
これは結構美大出身者あるあるだと思います。

子らに「受験絵画」を通して学んでほしいこと…、これが一個だけある。

「正解・不正解がない」ということでしょうか。
文字にするとちょっとありきたりだけど、これを本質的に学問として体験するのは、なかなか難しい。

もちろん合格不合格(定員)のラインがあるので、点数はつきます!(笑)
ああこの絵は80点だね、85点だね、というふうに。それで優劣はつく。
で、これが肝なんですけど、これには暗黙のルールがあって、慣例的に95点以上はほぼ出ない(先生がつけない)んです。100点とか絶対にない。
こここそが、美術教育が持つ「正解・答えは存在しない」という意思表示だと私は理解しています。ちょっと逆説的、というか、ややこしい(笑)

優劣はつくけれども、絶対的な正解者は絶対に存在しない、という…。
まぁ優劣つけるのも先生なので、ある程度は主観によってはきますが。
逆もまた然りで、間違っちゃいないけど50点だね…、ということにもなる。
これもひとつ象徴的なんですけど、先生も「上手い・下手」とは言わない。「良い・良くない」と表現する方が多い。これは、自分の下す点数がある程度自分の主観によっているよ?絶対評価ではないからね?という含みなんじゃないかと。

あ、あと「デザインとファインアートは別物じゃないか!」と憤る方もいらっしゃるかと思いますが、それはまた追って釈明します(笑)


生きていると色々に、評価されたり採点されたり比較されたりする。
そういうときに、強い自己肯定力(自己否定しない力)を身に着けていたらいいんだろうなぁ…なんて思って、今日も必死に送り迎えしております。

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