後三条天皇「延久の荘園整理令」藤原摂関家の思い通りにはさせないぜ(超高速日本史#03)
武士が表舞台に登場したとはいえ、まだまだ中央政府は強大な力を持っています。中央政府は藤原摂関家が牛耳っていましたが、一矢報いようと改革に動いた天皇が登場します。
(超高速解説)
延久の荘園整理令(1069)で後三条天皇が登場。形骸化していた荘園整理令の審査対象を摂関家、寺社まで拡大。大江匡房を重用。なお、ひ孫の大江広元は幕府制度を考案。審査機関として記録荘園券契所を設置。道長の子で宇治殿と呼ばれた頼通は、天皇になる男子を授からず失墜。
歴史単語の読み方
延久(えんきゅう)
後三条(ごさんじょう)
大江匡房(おおえまさふさ)
記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)
藤原摂関家は栄華を極めたとはいえ、天皇の外戚になることでしか権力を発揮できませんでした。そんな脆弱な立場なら、天皇を排斥して自分が天皇になればいいじゃないか、と思うかもしれませんが、そういう感覚はなかった。天皇はやっぱり天子で、ないがしろにすることはあっても、天皇という存在は絶対だった。気に入らない天皇を邪険に扱うことと、自分が天皇になるという発想は、異次元の違いがあります。のちに天皇の立場を立て、征夷大将軍に任じられることで実質的な権力を獲得する幕府政治という仕組みも、日本独特の天皇という存在を抜きには語れません。
<<穴埋め演習>>
①の荘園整理令(1069)で②天皇が登場。形骸化していた荘園整理令の審査対象を摂関家、寺社まで拡大。③を重用。なお、ひ孫の大江広元は幕府制度を考案。審査機関として、④を設置。道長の子で⑤と呼ばれた⑥は、天皇になる男子を授からず失墜。
穴埋め演習解答
①延久
②後三条
③大江匡房
④記録荘園券契所
⑤宇治殿
⑥(藤原)頼通
さあ、大学入試問題にチャレンジ!!
空欄に当てはまる適切な語句を書きなさい。
1069年、( ① )天皇は延久の荘園整理令で( ② )を設置して、基準に合わない荘園の整理を進める。その結果、荘園公領制が成立し、これは中世における土地制度の基本となる。(慶應義塾大学 2016年度)
解答は、①後三条、②記録荘園券契所です。バッチリでしたか?
次回予告#04
「院政」で天皇家の権力頂点に達するも背景には武士の活躍
「承平・天慶の乱」から200年以上が経過、いよいよ武士が本格的に名乗りを上げていきます。しかし、きっかけは「院政」でした。天皇家の権力争いで活躍の場を広げたのが武士。「保元の乱・平治の乱」を経て、平家全盛の時代が到来します。武士が本格的に表舞台に登場する200年を入試に出題される範囲だけに的を絞り、超高速でたったの5回(約700文字)で説明した事になります。