超高速「日本史」集中講義(大学入試レベル)
平安末期を古代とする時代区分はわかりづらい。武士が台頭してきた平安末期から中世に入ったとみよう。 目次 939 承平・天慶の乱 1028 平忠常の乱 1051 前九年合戦 1069 延久の荘園整理令 1083 後三年合戦 1086 院政開始 1156 保元の乱 1160 平治の乱 1180 治承・寿永の乱 1183 寿永二年の十月宣旨 1185 平家滅亡 荘園の管理や開墾など、面倒臭い仕事を押し付けられ、バカにされ続けてきた武士。それでもなんとか公家に取り入ろうとして
北条時頼時代、キーワードは2つ。 宝治の乱(1247)で三浦泰村滅亡。 貞永式目の補完、引付衆(1249)設置。裁判の迅速・公平化を図る目的
承久の乱で公家勢力を抑えた義時。武家社会を磐石なものとすべく、子の泰時の時代に、最初の武家成文法「貞永式目」(御成敗式目)が制定されます。後の、室町幕府、江戸幕府へと継承されていく非常に歴史的意義のある式目です。 (超高速解説) 泰時時代。我が国最初の武家成文法である貞永式目(御成敗式目)(1232)制定。頼朝以来の先例と道理に立脚。公家法などの本所法否定せず。第三条頻出、諸国の守護の職掌について問われる。右大将家とは源頼朝のこと。執権を補佐するための連署を設ける。摂家将軍
北条時政の子、北条義時で重要な項目は1)侍所別当である和田義盛の排斥、2)後鳥羽上皇による承久の乱。 (超高速解説) 実朝暗殺後、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣で承久の乱(1221)勃発。後鳥羽完敗。後鳥羽は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は自ら土佐へ配流。西国監視のため六波羅探題設置、北方に泰時、南方に時房を配置。公家側所領3000箇所没収、新補地頭配置。反別五升の加徴米を徴収。 【歴史単語読み方】 土御門(つちみかど) 新補地頭(しんぽじとう) 反別五升の加徴米(たんべ
頼朝が圧倒的であった平家の天下を覆すも源氏政権は三代で終了。主導権争いが続く中、天下を握ったのは頼朝を最初から補佐し続けた北条時政でした。 (超高速講義) 北条家が天下取りへ。時政が比企能員と畠山重忠、義時が侍所別当、和田義盛を討ち幕府掌握。源氏は三代で途絶える。最初の摂家将軍九条(藤原)頼経、親王将軍宗尊親王、歴代の執権と関連事象が必出。将軍と御家人は御恩(本領安堵・新恩給与)と奉公(京都大番役等)で結ばれる。歴史単語(読み方) 比企能員(ひきよしかず) 宗尊親王(むねた
この世の春を謳歌した平家も、貴族的権力構造としたことで、天皇側からも武士側からも不満の声が聞こえるようになりました。あれだけの権勢を誇った平家の一番の誤算は、清盛が途中で死去してしまったことだったでしょう。たった5年で源氏に政権をひっくり返されてしまいます。 (超高速解説) 以仁王の令旨(1180)によって源氏挙兵。頼朝は侍所を設置、初代別当は和田義盛。清盛は無念の死去。「寿永二年の十月宣旨(1183)」で事実上の東国支配権獲得。壇ノ浦(1185)で平氏滅亡。全国に地頭を置
平将門の乱から約200年、いよいよ武士が天皇の権勢すら脅かす存在になりました。まず主役に躍り出たのは平清盛です。 (超高速解説) 鳥羽天皇の寵愛を受け日宋貿易を開始した忠盛。後白河天皇の寵愛を受け、子の清盛全盛へ。武士初太政大臣に任じられる。大輪田泊(摂津)を改修、日宋貿易拡大。金を輸出、陶磁器など輸入。娘徳子を高倉天皇の中宮とし、子の安徳天皇の外戚に。嫡男は重盛。<<歴史単語の読み>> 大輪田泊(おおわだのとまり) <<穴埋め演習>> ①天皇の寵愛を受け日宋貿易を開始し
後三条天皇が藤原摂関家に遠慮せず、摂関家や寺社の荘園を整理する「延久の荘園整理令」を出したことで、天皇家が俄然勢いを増してきます。その流れをさらに増したのが子の白河天皇。150年ほど続く院政を編み出しました。権勢の維持のため、武士の力も借りたことで武士が台頭することにもつながった時期を見ていきます。 (超高速解説) 後三条の後、白河天皇が即位。堀河天皇に譲り上皇となり院政開始(1086)。 鳥羽 - 崇徳 - 後白河と続く。崇徳上皇と後白河天皇の兄弟喧嘩、保元の乱(115
武士が表舞台に登場したとはいえ、まだまだ中央政府は強大な力を持っています。中央政府は藤原摂関家が牛耳っていましたが、一矢報いようと改革に動いた天皇が登場します。 (超高速解説) 延久の荘園整理令(1069)で後三条天皇が登場。形骸化していた荘園整理令の審査対象を摂関家、寺社まで拡大。大江匡房を重用。なお、ひ孫の大江広元は幕府制度を考案。審査機関として記録荘園券契所を設置。道長の子で宇治殿と呼ばれた頼通は、天皇になる男子を授からず失墜。 歴史単語の読み方 延久(えんきゅう)
承平・天慶の乱を皮切りに、地方が混乱し朝廷の力が弱まっていく中で武士が主役に躍り出る決定的となった事件、「前九年合戦・後三年合戦」です。 解説 東国における源平勢力の交代のきっかけとなった上総で起こった平忠常の乱(1028)、源氏の東国支配を強めた前九年合戦(1051)と後三年合戦(1083)を押さえる。平忠常を制したのは源頼信。前九年の役で反乱を起こした安倍頼時(陸奥)を制したのは源頼義。そして、清原氏(出羽)の内紛である後三年の役に介入したのが頼義の子源義家。 歴史単
解説 「承平・天慶の乱」(939年)。主役は「平将門」(下総)と「藤原純友」(伊予)。歴史の表舞台に武士が登場する予感はしたが、時期尚早。鎌倉幕府のスタートは240年以上先だ。ちなみに、将門は同門の「平貞盛」と「押領使」の「藤原秀郷」に討たれてしまった。「将門記」に詳しい。 歴史単語の読み方 承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん) 平将門(たいらのまさかど) 下総(しもうさ) 藤原純友(ふじわらのすみとも) 平貞盛(たいらのさだもり) 押領使(おうりょうし) 藤原秀
教科書通りに勉強する必要なんて全くない。まず真っ先に武士が主役の「平安時代末期から江戸時代」の約900年を一気に学ぼう。理由は「世界に全く例を見ない『幕府』について学ぶ必要がある」から。『幕府』の成り立ちを知れば、何をどう覚えていけばいいか、押さえられる。 こんにちは。日本史の受験指導をしている二宮剛(にのみや・たけし)と言います。今日からnoteを使って140字で学ぶ!「超高速日本史」(大学入試)をスタートします。 国公立、私立の大学入試の過去問を徹底分析することで、