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べナンへ行こうよ!さっちゃんへの手紙

さっちゃんへ

さっちゃんのお父さんの山瀬靖弘さん

 僕がさっちゃんのお父さんと初めて会ったのは、お父さんが19歳の時でした。僕がベナンで活動を始めた頃で、ようやくホームページを開設したばかりでした。そこにお父さんから「ぜひお会いしたい」というメールが届いたのです。

僕たちはJR新宿駅南口の改札で待ち合わせしました。お父さんは背中に大きなリュックサックを背負い、胸ポケットにはメモ用紙とペンをさしていました。いかにも旅慣れている格好でした。
会ったその日にお父さんは僕にベナンに行きたい事、なぜベナンに行きたいかを話してくれました。お父さんがあまりにも楽しそうに話すものだから、すっかり僕もうれしくなって、あっという間に意気投合しました。

そしてお父さんは僕がつくったNPOのメンバーになってくれました。
それが僕たちの出会いでした。

その後、お父さんは何度もベナンに行きました。
お父さんは僕に会うたびに「いくらアフリカと交流と言っても、観光情報が少ないと日本人はアフリカに行こうと思わないですよ。」って言ってました。

実はお父さんはベナンに行くたびに、着々とベナンの観光ガイドブックのネタを集めていたのです。お父さんはベナンの観光ガイドブックを作るために、自分の足で色々な所をまわり、そしてホテルも色々なところに泊まりました。観光ガイドブックにある街の地図もお父さん自身がつくりました。「地図をつくるのがすごい大変やった。」って嬉しそうに話してくれました。

それに情報量はベナン国内だけでなく、ベナンまでの行き方(空路)まで調べていました。フランス経由は飛行機代が高いから、少しでも安くて安全なルートを探すんだっていってました。
それで完成したのが『ベナンへ行こうよ!』というガイドブックです。
ガイドブックにある写真はほとんどお父さんが実際に訪れて撮影した写真です。

ガイドブック完成

「ベナンのガイドブックなんて作ったって、売れないよ。」
人はそう言うかもしれません。でもお父さんは1人でも多くの人にベナンに来てもらいたかったんです。結局、ガイドブックは200人以上の方が買ってくれました。当時、ベナンに観光にくる日本人は年間数人でした。それを考えると200人以上も購入してくれたことはとてもすごいことです。

ベナン共和国 たけし日本語学校にて

どんなことでも0からはじめるのは、勇気がいると思います。
力(知識や技術)も必要だと思います。孤独を感じることもあると思います。最初にはじめることの難しさは、実際にやった人ではないと
わからないと思います。もしさっちゃんが、大きくなって、自分で何かをはじめたい、でも家族以外の周囲の人は理解してくれなくて、孤独を感じる時があったら、お父さんがつくった『ベナンへ行こうよ!』を開いて読んでみてください。お父さんが見た景色、お父さんが調べた情報がそこにはいっぱいあって、それらはすべてさっちゃんへの応援メッセージです。

ベナンの海で

さっちゃんのお父さんは、とってもさっちゃんを可愛がっていました。
月に1回、アフリカのメンバーで会議をするときも、必ずそばにさっちゃんがいました。そしていつも僕たちにさっちゃんを紹介してくれました。
 さっちゃん、さっちゃんが大きくなって、お父さんのことをもっと知りたくなったら、ベナンのたけし日本語学校に来てください。
 お父さんは19年間、この学校を大切に育ててくれました。この学校はお父さんの想いがたくさんつまった学校です。だからこの学校で育った学生たちはお父さんの想いを繋いでいる学生さんたちです。さっちゃんが来たらきっと皆、大歓迎してくれますよ。

たけし日本語学校の学生たち
ベナン共和国大統領来日した際に

さっちゃんが大きくなってベナンにいらしたとき、空港できっとお父さんが出迎えてくれますよ。
「先にベナンに来とったで。よう来たな。ベナンええ国やろ。」
そう言ってさっちゃんを強く強く抱きしめてくれますよ。

さっちゃんが大きくなってベナンの学校に来られるように、僕たちはお父さんと一緒につくったこの学校をこれからも大切に大切に育てていきますね。

IFEの仲間

さっちゃんのお父さんの功績を1人でも多くの人に知ってもらいたいので、ここに書き記します。

追伸
それと忘れないように今のうちに伝えておきます。
さっちゃんのお父さんのお骨はベナンの学校にもあります。
お父さんはずっと大好きな家族とこの学校を見守ってくれているのです。

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