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毎週一帖源氏物語 第三十週 藤袴

 『源氏物語』の全文検索データベースなるものがあるらしい。ただ、どういう理念で作成されているかを見極めなければ、うまく使いこなすのは難しい。たとえば、この巻の最後のほうに「大臣(おとど)」という語が続けさまに出て来るが(197-198頁)、一度目の「大臣にも申させたまひけり」は内大臣を、二度目の「かの大臣のかくしたまへることを」は太政大臣(源氏)を指す。その直後の「大臣たちをおきたてまつりて」は両者を指す。だから、単に「大臣」で検索をかけてヒットすれば事足りるというものではなく、同じ「大臣」という語でもそれが実際には誰を指すかまで含めてデータベース化されていなければ、学術的な使用には耐えないであろう。外形的に「大臣」という文字列を網羅的に検索したいときもあれば、光源氏がどのような言葉で呼ばれているかを調べたいときもある。そうした要望に応えるためには、本文が正しく表記されているのは当然として、メタデータを整備しなければならない。上述の例で言えば、第一の「大臣」にはそれが内大臣(もとの頭中将)であることを、第二の「大臣」にはそれが源氏であることを、それぞれタグ付けしておく必要がある。そのあたりの設計がどうなされているかが、データベースの価値を決めるだろう。

藤袴巻のあらすじ

 尚侍(ないしのかみ)として宮仕えするように源氏からも内大臣からも勧められてはいるものの、中宮や女御との兼ね合いがあって、どうしたものかと悩みは尽きない。そこへ源氏から遣わされた宰相の中将が訪れて、帝の仰せ言を伝える。事のついでに、中将は藤袴を御簾のうちに差し入れて思いを伝えるが、相手は実の姉弟同然という立場を崩さない。
 中将は、面会の様子を父に復命する。源氏が尚侍出仕に熱心なのは、そのように公職に就けておいてわが物にしようとしているのではないかという噂が立っており、内大臣もそう考えているらしい。この点を中将に問いただされた源氏は、一笑に付しながらも、真意を見抜かれたと肝を冷やす。
 出仕は十月と決まった。頭中将が父の内大臣の命を受けてその詳細について尋ねるが、実の姉弟と明らかになってからも他人行儀な対応に頭中将は落胆する。
 大将は、部下の頭中将を介して内大臣に働きかける。内大臣は悪くない話だと思っているが、源氏の意向を憚っている。大将は帝の信頼も厚い。源氏の意中にはないにしても、実父の内大臣の気持ちに背かなければ見込みがあると思い、弁のおもとに仲立ち迫る。
 九月になり、方々から文が届く。女君は、兵部卿の宮にだけ返歌をしたためる。

蘭はランではなくフジバカマ

 巻名の「藤袴」は、夕霧が玉鬘に差し出した花の名前であり、歌にも読み込まれている。秋の七草で、淡紫色の花をつけるという。この「藤袴」は歌語であり、地の文では「蘭(らに)の花」(187頁)として登場する。ここで私の頭には疑問符が浮かぶ。蘭はそういう花だったか?
 似たような疑問は、花散里巻で経験済みである。あのときは、平安時代の「郭公」という語が「カッコウ」ではなく「ホトトギス」を意味していたことを調べ上げたのだった。今回も『日本国語大辞典』第二版(小学館)のお世話になろう。項目「ふじばかま」の「語誌」には、こう記されている。

「蘭」は香草の総称であったが、中古以降はもっぱらフジバカマのこととされ、歌語として用いられた。「源氏-藤袴」でも、地の文では「蘭」といっていても和歌中では「ふぢばかま」である。

『日本国語大辞典』第二版、項目「ふじばかま」

 念のために項目「らん【蘭】」も見てみたが、語義の第一は「ラン科の植物の総称」、第二は「植物「ふじばかま(藤袴)」の異名」とあった。「郭公」と同じような複雑な来歴が「蘭」にも確認できた。

姉弟同然だから駄目だったり、実の姉弟でも駄目だったり……

 夕霧は、玉鬘を実の姉と思い込まされていたが、そうでないと分かったために胸中を隠しきれなくなる。その求愛を斥けるのに、玉鬘は実の姉弟ではないが姉弟も同然だからという理屈に訴える。その一方で柏木は、姉弟であることが分かった以上、几帳の近くまで見舞うのを許してほしいと願う。これに対しては、玉鬘は急に姉弟としての対応はできかねると応じる。いずれにしても、気を許してくれないのだ。夕霧も柏木も、それぞれつらい立場である。

髭黒の右大将の家系

 胡蝶巻から髭黒の右大将が物語の世界に入ってきた。髭黒という呼び名は、行幸巻で右大将のことを「色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし」(150頁)と記されていたことによる。この人物の家系図がよく分からない。右大臣を父に持ち、妹が承香殿女御として朱雀院に入内して春宮を生んでいるので、名門の家柄である。しかし、この右大臣は源氏を敵視していた弘徽殿大后の父とは別人に見える。付録の系図を見ても、家系がよく分からなかった。

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