大人になった。フォトメモリーと欲。忘れもの。
へぇ〜〜っと思ったことをひとつ。
目で見た光景をそのまま写真のように画像で記憶する「フォトメモリー」という能力がある。わずかな人間にこの能力が備わっているという。
ところが、子どものうちは1/4がこの能力を持っているらしい。そして思春期以降、ほとんどこの能力が失われる。
数年前に5歳くらいの子どもと神経衰弱ゲームをやった。圧倒的に負けた。どこにハートの3があるか、クローバーの8があるか、一度見ただけでもう完璧なのだ。今やさっき口に出した言葉すら忘れることもある。相手の名前なんかそう。しまったなぁ、メモをしておけばよかったと思うが、後の祭り。記憶力高い子どもがうらやましい。
僕は記憶の限り、幼少期、あまりフォトメモリーは強くなかったようだ。百人一首をひと目みたらすぐに覚えてしまう記憶力抜群の妹は、もしかしたらあったかもしれない。
なぜ思春期以降、この能力が失われるか。それは、抽象化し、論理的に考える能力が発達するにつれて、「重い処理」を必要とするフォトメモリー能力を捨ててしまう、というのが最新の仮説とのこと。
なるほど。必要ないと判断される能力は捨てられていくのか。テストとかフォトメモリー能力があれば、楽々だったろうに。
大人になったら必要ないと判断される能力といえば、思春期にはあふれかえるように出てくる、欲望なんかもそうなんだろう。食欲、性欲、活動欲、見果てぬ夢への欲。
欲。欲。欲。むさぼるように、欲しがる。
欲が満たされなくても死ぬわけではないのに。いや、死ぬのか? 生きるために、命をかけて必死になった。アンコントローラブル。あの状態自体がきつい。
戻りたいとは思わないけど。
原始的な命がほとばしる感覚は、ザラザラしているけど、熱い。
当時は、自分を動かすには、あの欲に乗っ取られることが必要だった。
いろんな感情が、
グチャグチャに入り混じったどろどろな欲が、
内側からとめどなくあふれ出す。
その欲のままに突っ走ったかと思ったら、とつぜん機能停止をしたように止まる。また突っ走る。
大学に入り、社会人になり、30代になり、30代後半になり。そして、40を越え、気づくともう半ば。
いつの間にか落ち着いた。
何もしなくても大丈夫じゃないか。これくらいの満たし方で十分ではないか。
楽。呼吸もしやすい。そのままで結構いいじゃないか。
でも、
どこにいっちゃったのだろう。あの、欲。内側から手が飛び出す感じの。
ちょっと懐かしい。
まぁ大人らしい欲の楽しみ方を見つけていけばいいか。ゆっくりじっくり味わえばいいんだから。それが今の食べ方。とんがったひとり分の欲ではなく、横に縦に広がった、周りの人たちの欲とつながっていく。
さっきもお好み焼きを妻が焼いてくれて、ゆっくり味わった。のんびりぼーっと過ごす夜。
ひとりの欲のままでいたら、神経衰弱ゲームに負けることだって許されない。
自分だけでなく、誰かの欲、世界の欲が愛おしくなる。そんな幸せをかみしめる。
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