境港の思い出

私が物心ついてから初めて父方の祖父に会ったのは五歳の時だった。父は転勤族で実家から遠く離れて私たちは暮らしていた。
家から少し離れたところの駐車場に迎えに出てくれた祖父は、私を見るなり満面の笑顔で「おお、たけしさんか。」と言った。大人から自分の名前をさん付けで呼ばれたのは生まれて初めての経験で、ものすごく嬉しかった事を鮮明に覚えているのだが、その映像を克明に記憶しているのは、その時の匂いも関係している。
祖父母は鳥取県境港市に住んでいた。境港は日本海と汽水湖である中海を結ぶ細い海峡にあり、漁業の基地として盛んであった。その港のすぐ近くの路地裏に木造の小さな家はあった。家の前のまだ舗装されていない硬くしまった砂の道は貝殻やサザエの蓋が散乱し、その狭い通りには魚を運ぶ古い木製のトロ箱が両側に無造作に重ねて積まれていた。周りには大きな建物もなく、海に突き出すように街が位置しているので、海風は強く、常に潮風を運んできていた。
おじいさんの立っていた後ろには松の木が2本あり松葉の香りもしていたのだが、それ以上に強烈な魚臭さが私に襲いかかった。古いトロ箱がその臭いの源泉だった。当時山間の町に住んでいた私には初めての体験だった。しかし、なぜか嫌な感じはしなかった。そんな匂いなど感じていないような祖父がニコニコと笑って立っていたからだ。私自身も何日かの滞在の中でその匂いにすっかり慣れてしまった。祖父に連れて行ったもらった港の岸壁で、私は彼に教えられたやり方でモズク蟹を自分で獲った。意気揚々と持ち帰った蟹を祖母に茹でてもらって食べた思い出は今も忘れられない。
しかし、あの時味わった祖父の街の香りは今はもうない。境港も変わった。道は全てアスファルトで舗装され、木製のトロ箱など見ることさえない。港に行っても、潮の香りはするが、あの強烈な魚臭さはどこにもないのだ。かろうじてスーパーではない街の魚屋さんに入ると、少しだけあの匂いがする。そして私は祖父のあの満面の笑顔を思い出すのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?