乗り鉄 その5
南阿蘇鉄道
日本人と韓国人の違い
先日、今年の7月15日に全線復興開業となった南阿蘇鉄道を訪ねて、乗り鉄を楽しんで来た。
本来なら、趣味の乗り鉄のことで記事を書くのであれば、それ以外のことは書きたくなかったが、たまたま同乗した列車に韓国人のグループがいたので、そのことに行を割かざるをえなくなったことが悔やまれる。
さて、南阿蘇鉄道は、1985年に旧国鉄高森線から第三セクターとして再出発することとなった民間会社である。
旧国鉄解体に伴い全国に多くできた、地方自治体と民間が支える鉄道会社として地域住民の足として生き残った路線のひとつである。
この路線は、阿蘇山やその周囲にある渓谷等の眺望が楽しめる風光明媚な路線であったことから、開業当初より観光客の利用も多く、特に土日のみ走っているトロッコ列車「ゆうすけ号」は、阿蘇の大自然を解放感タップリに味わえるものとして多くの観光客に親しまれてきた。
しかし2016年4月におきた熊本震災で甚大な被害を受けて全線が一時休業せざるをえなくなったものの、復興を熱望する地元民や全国からのクラウドファンディングにより、震災からわずか3月あまりで部分運転(高森~中松駅間の7.1Km)を再開し、今年の7月15日に全線の高森駅立野駅間が復興したものである。
本来であれば、もう少し早く乗りに来たかったが、再開後すぐに夏休みに入ったことから混雑するであろうと思い、9月になって平日に訪問した。
そして高森駅発立野駅行きの往復を楽しむこととして、まず高森駅を訪れた。
12時55分発上り立野駅行きの普通列車を待っていると、その発車15分ほど前になって、なぜか土日しか運行していないばすのトロッコ列車の「ゆうすけ号」が入線してきた。
これには驚き、シャッターチャンスと思いすぐにカメラを手にした。
冒頭の写真はその時のもので、下のものは乗っていたお客さんを降ろして頭の機関車のみUターンしてホームに再度入ってきたところを撮影したものである。
このサプライズには、まわりにいた鉄道ファンとおぼしき人が、嬉しそうにシャッターを切っていた。
私は、休日運行のはずのトロッコ列車がなぜ平日に運行しているのか不思議に思い、この列車に同乗していた車掌さんに声をかけて率直に質問してみた。
すると車掌さんは、いやな顔ひとつ見せずに
今日は事前にご予約いただいていた
ツアー客の皆さまにために特別運行
したのです。
また、これに同行する地元のテレビ
局の取材もあったものですから。
お客様は今日来られて、ゆうすけ号
に会えてラッキーでしたね
と笑顔で答えていただいた。
一人の鉄道マニアと思われ、詳しく教えてもらったことが嬉しかった。
そう言われれば、確かに列車から降りてきたお客さんの中に、地元のテレビ局の人と思われるカメラやマイクを持った人が数名おり、降車後列車をバックにカメラを回して、マイクを持った人が何か喋っていた。
地元メディアとしても、南阿蘇鉄道を観光資源としておおいにバックアップしているのだろう。
夏休みあけの平日ということもあり、この日私と同じ列車に乗り込んだ人は20名程度だった。
話は前後してしまうが、乗車前に件のトロッコ列車を撮ろうとした時、なぜかさっとよけてくれる人とそうでない人がいることに気づいていた。
おそらく、鉄道マニアとそうでない人の気配りの違いだろうと思っていたが、列車に乗り込んでから分かったことだが、よけてくれなかったのは、韓国人のグループであったことが、話す言葉で分かった次第である。
その韓国人は、ツアー客ではなかったものの、5名くらいの若い男女で、撮影のことがなかったらあまり気にもしなかっただろうが、そのことがあったので余計耳目につき、とにかく話す声がでかいのには閉口した。
それも日本人からすれば、何か口喧嘩をしているような口調で・・・
そして、他人の目を気にしないというか、私の前に座った若いカップルも女性のほうはズボンではあるものの足を開いて座っており、日本人の感性からすればちょっと女性としてはどうだろうという恰好なのだ。
まあ今やジェンダーレス云々ということを言う時代だから、女性らしさを求めるというのは時代遅れかもしれないが、日本人としていやなものはいやだという思いのほうが強かった。
このことを通してだけで判断するのはよくないかもしれないが、日本人と韓国人の決定的な違いは
気配りができるか
人目を気にするか
ということだと感じた。
ただしこれは、裏を返せば
人目を気にせずに堂々と自己主張
できるか
ということになり、その点では日本人が足りないところかとも感じたが、まわりの日本人のお客さんも、彼らと距離を取っている雰囲気が感じ取られた。
「郷に入れば、郷に従え」
これが多くの日本人の偽らざる心境であろうと感じる場面であった。
しかしそこはせっかく観光で、しかも趣味の乗り鉄で来ているのだから、頭を切り替えて、周囲の眺望を楽しみながら短い鉄旅を楽しむこととした。
阿蘇山の眺望を見ながら、列車は一路立野駅へ向かう。
途中には、お金を落とす観光スポットが多くあるが、乗ること自体が目的の私は、途中下車などせず終点まで乗り鉄を味わうことと景色を楽しむことだけに専念する。
「ガタン、ゴトン・・・」何よりこのアナログチックな線路の継ぎ目を通過する時の音の繰り返しが、たまらなく好きなのだ。
人間の鼓動にマッチしているのだろう。
その鼓動に身を任せるだけで十分満足なのだ。
童心に帰ることができる数少ないフィールドである。
そして何より私は、ディーゼル列車自体が好きである。
足元から伝わって来るディーゼル特有の力強いエンジン音が大好きなのである。
蒸気機関車が姿を消してからは、内燃機関の力強さを感じながら巨体をぐんぐん進ませる迫力は、もはやディーゼル列車にしか残されておらず貴重なものである。
脱炭素、電化等、地球環境問題からすれば、非効率的、前近代的な内燃機関となってきつつある現実が悲しくもある。
アメリカの有名なバイクメーカーに
ハーレー・ダビッドソン
というものがある。
独特な排気音と、その大陸育ちのおおらかな車体から日本でもマニアの多いバイクであるが、そのマニアが言った格言とも言うべきものがある。
曰く
人間には、2種類しかない。
ハーレーに乗る人間とそうでない人間だ!
なんとシンプルな分かりやすい生き方だろう。
ディーゼル好きもかくありたいものだ。
立野駅近くになると、この路線最大の見せ場とも言える
第一白川橋梁
に差し掛かった。
この橋梁も、先の熊本震災の被害を免れず損傷が著しかったらしいが、その工事も終えて、この橋梁から峡谷を望む絶景を楽しむことができた。
ただし、峡谷の先に見えた大きなダムは、いまだに修復中で、先の震災の爪痕を垣間見る思いで、自然の力の前ではいかに人間が非力な存在か思い知らされる光景でもあった。
ただそうは言っても、列車がその橋梁を渡る時に眼下に広がる峡谷美は見事なものであった。
私が訪れた時は、まだ紅葉には早かったが、おそらくこの橋梁からの紅葉は見事なものであろう。
往復しても、わずか1時間あまりの乗り鉄旅で、途中いやな思いもしたものの久しぶりの乗り鉄で楽しい1日だった。
今度訪れる時は、ぜひ紅葉の時期にトロッコ列車に乗って楽しみたい。
そのほうがディーゼルの音もよりリアルに力強く聴けることだろう。
それも外国人の乗っていない列車で・・・
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