3/18(木) 緻密なアウトプットが苦手だという話
今日やったこと
・日経読む
・オンライン英会話
・筋トレ(腹筋、有酸素)
・弁護士の先生とZOOM面談
・諸々の事務手続き
・修習事前課題
・ボイトレ
・読書
メモ
じっくり考えるの苦手だなーと今日改めて思った。
修習の事前課題をやりながら、あーでもないこーでもないと文章を書きながら考えているうちにめんどくさくなってきてしまってとりあえず一通り書き切ろうというスイッチが入ったのを自分の中で感じた。
割とあらゆる局面で自分はそういうところがある。
よく言えば、とりあえずざっくりやる、みたいなことは得意で効率がいいっちゃいいのかもしれないけれど、緻密にゆっくり、正確な成果物を~みたいなのはまあ苦手だ。
なのでこういうnoteの書き方をするのは割かし自分には合っているように感じる。
日々の振り返りを始める前最初はnoteで書評を何本か書いた。また書きたいなとも思っているんだけど。
そっちの記事は書くのに異常に時間がかかった。そもそもちゃんと本のエッセンスが抽出できているかどうか、自分の表現が変じゃないかどうか、ただの本の要約だけじゃなくて自分自身の考えも詰め込めているかどうかとか、割とたくさんのことを考えながら書いていた。
本来人に読んでもらう文章ってもちろんそうあるべきなんだとは思うけど。
文章に関しても、人に喋ることに関しても、書きながら話ながら自分の考えをまとめていきながら終着点を探すスタイルなので基本的に書くのも喋るのもだらだらと長くなる。
人間基本ないものに魅力や憧れを感じる生き物なので自分がアウトプットに関して魅力的に感じる人は簡潔に書き、簡潔に話せる人だ。
そういう人ってサラッとアウトプットしてるように見えるけど実はその裏の思考はめちゃくちゃに深いんだろうなあと常々感じている。
自分がなんでじっくり考えるのが苦手なのかを今考えているけど、結局飽き性だから?っていうところに落ち着きかけている。
こだわりがない性格にもそれが現れてきているように感じる。
けど昨日はめずらしく一つのことについてじっくり考え事をする機会があった。同姓婚に関する札幌地裁判決だ。
元々特別そのテーマに関心があったわけではないが、ビッグな判決だなあと判決文を読んでいたらどうにもそのロジックが気になりだし始めてしまって、美容院でパーマをあてられている待ち時間ずっとそのことばかり考えていた。
自分としては珍しいことだなあと自覚しながらも、昨日はそれについてじっくり考えるのがやけに楽しかったのを覚えている。
自分で内省するのと、アウトプットするために考えることはまた全然違うのかな?とも思うけど。
この日々の振り返りはただごちゃごちゃした自分の内省を吐き出しているだけに等しいけど、これ通じていって自分のアウトプットの精度が上がっていったらいいのになあという願望はある。
こんなまとまりのない文章を書いておいてよく言うわと自分でも思っています。
結論としては、じっくり考えること単体としては好きだけど、それが緻密なアウトプットをするための手段になるときは苦手だということでした。
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