判断と選択の違いを意識する:後悔しない選択をするために
判断と選択の違い。今日ふと思いついたことを書き留めて調べていたら、少し発見がありました。
何気なく使っていた判断と選択には違いがありました。
『朝起きて曇り空をみれば、天気予報の結果とあわせて、雨が降りそうかどうか考え(判断)、傘を持って行くか否か(選択)を決めている。』
「すぐれた意思決定」(印南一路)で書かれている話です。
判断→選択という繋がりを意識する。
良い選択をするためには、適切な状況把握(情報収集、分析、判断(見立て))が重要
そして考える今置かれている状況をどう捉えるか。
今の自粛継続をめぐる判断と選択。
自分を含めて多くの人に関わる話なので、これまであえて触れておかないでおきました。
今回の件、意思決定、つまり判断と選択という観点からは大変難しい。
なぜかというと適切な判断(見立て)をするための情報が足りない、不確定だから。
でも、確定的なことが言えるまで待てない。重大決断をしないといけない。
そんなときもありますよね。
そんなときに、つまり、適切な判断が難しい状況において、最善の選択をするためには何が必要か?
思想(自分の考え方、方針)、倫理観・哲学(自分の道徳観に従って判断できるのか?)だと思っています。
私はまだ正確に、思想、倫理、哲学の違いをちゃんと整理出来るほど勉強できていません。
専門家でもないので、この辺りはまず感覚的なものでもいいと思っています。
哲学は難しいですけど笑
難しい話は置いといて、簡潔にいえば、こうした状況においてよい選択をするためには「原理原則に立ち戻る」ことが必要。
その事が「後悔のない」選択に繋がるのだと思います。
「原理原則」がブレてしまうと、良い選択は出来ない。
そして自分にとっての「原理原則」とは何か?
を常に考えておかないといけない。
そこに私欲(私益)が入ってしまうと、後悔する選択をすることも。
私は、社会、公の利益を考えて行動したいと思っています。
ですが、私に全く私益がないわけではない。いや時に私欲は人に比べて強いときもあるかもしれません。自分の身が可愛いから。
だから、自分が窮地に立たされた時も、原理原則に沿った決断ができるか?
その事が試される、求められるときがくるかもしれません。
その時には、判断できるだけの情報があればよいですが・・・常にそうではない。
だからきっと、後悔のない選択をするしかないのだと思います。
弱い人間だから、そのことを呪文のように言い聞かせないとダメなんだと思います。
ちなみに過去の判断と選択を、振り返ることも大事だと思います。
その際に自分として、後悔のない選択ができたのか?
もしよい選択が出来なかったとすれば、その原因は判断(見立て)に問題があったのではないか?
そう分析して自己反省することも必要ですね。
過去は最高の教師。将来は最愛の恋人。
最愛の恋人を大事にするためには、最高の教師から教わることが大事。
その事が今を生きることにつながってくるかな、と思っています。
「過ちては改むるに憚ること勿れ」
ですね。
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