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グッドラックと彼は言った

それは新しい世紀に入ったばかりの2001年2月頃のこと。その日、僕は当時交換留学生として滞在していたオランダのマーストリヒトという街から1人でベルギーに日帰り旅行に行っていた。マーストリヒトは、オランダの南端にある都市で、首都アムステルダムよりも隣国ベルギーの首都ブリュッセルの方が近い場所に位置している。そして、ベルギーはオランダに比べてご飯が美味しい。

その日の帰り道、乗り換えのホームをまたいで次に乗る電車はすでに満席ぎみだった。列車の入り口の階段をのぼりながら、自分が座れる席はあるかな、と見まわすと、一ヶ所だけぽっと空いたスペースがあった。

あそこなら座れそうだ、と席に向かい始めてすぐ、なぜその4人がけの対面シートにスペースがあるのかがわかった。向こう側にひとりで座っているおじさんの身なりが少しみすぼらしいのだ。髪は長めで髭があり、革ジャンの黒を基調とする服装は少し人を寄せ付けない雰囲気があった。僕の歩調も一瞬緩む。――いや、でもこういう時はあえて行くべきだ。ーー僕は、再び歩調を元に戻し、その空いた席に座った。

なぜあえて行くべきだと思ったのか。それは、この数ヶ月で身に付けた「マイノリティ根性」のようなものの仕業だったと思う。そのおじさんが目に入るコンマ数秒前まで、僕の心の数パーセントを占めていたのは「アジア人というマイノリティとしての自分」だった。日本でも、電車の中で席を探す時、隣の人が誰か、自分が隣に座っても大丈夫そうか、を瞬時に見計らう経験がある人は多いと思うが、ヨーロッパの列車ではそこに「自分がアジア人というマイノリティ」という意識が加わる。だからこそ、ちょっと身なりが悪いおじさん(そして見た感じ彼も民族的にマイノリティ)の目の前に座るくらいで躊躇したらいけない。同じマイノリティじゃないか、という意識がその席に向かわせたのだ。

電車はゆっくり動き始めた。僕は、どんよりとした鈍色の風景が通り過ぎて行くのを眺めていた。対面のおじさんは静かな佇まいで、会話を交わすこともなかった。しばらくすると、おじさんが、タバコを巻き始めた。ここではタバコを巻く光景は珍しくない。お金のない同級生スモーカーたちもみんな巻きたばこだ。紙を取り出し、おがくずのようなタバコを乗せてくるりと巻き上げる。うまいものだ(僕自身はタバコを吸わないのでいつも感心する)。僕は車窓に目を移して変わりばえのない風景を眺める。すると突然、おじさんの手が僕とおじさんの間にあるテーブルの上に伸びて来た。一瞬ギョッとしたが、見ると何かを探している手だ。次の瞬間、僕はおじさんがテーブルの隅に付いている吸殻入れを探しているのだとわかった。また同時に、彼が目の見えない人であることにも気づいた。

僕は、すっと手を伸ばしテーブルの端っこに付いている吸殻入れのフタを開け閉めしながら「Here」と、その場所を教えた。彼は「Thank you」といって吸殻入れを自分の左手で確認すると、タバコを吸い始めた。僕の目は、手巻きタバコを吸うおじさんに注がれた。

すると、おじさんがタバコを吸いながら話し始めた。君はどこから来たのか。何をしているのか。お互い流暢ではない英語で、そんなたわいもない話をしたのだと思う。実際、ほとんど話の中身は覚えていない。覚えているのは、彼が、中東のどこかの出身で(移民二世だったかもしれない)、月に一回マーストリヒトのレッドライトディストリクトに通っていると言っていたことぐらいだ。レッドライトディストリクトとはオランダで合法的に整備された売春街のことだ。飾り窓とも言われる。話しながら、彼の義眼の精巧さ、みすぼらしいと感じた髪もよくみるとそれなりに整えられていることに気づく(一緒に暮らす家族がいるのだろうか)。とつとつと会話をしながら、僕は彼の生い立ちや人生、家族との関係、ベルギーの福祉サービス、彼にとっての月一回のオランダへの旅行のことなど、想像しきれない世界のことを考えていた。

そうこうしているうちに電車は、マーストリヒト駅に着いた。席から立ち上がってジャケットをつかみながらどう会話を終わらせれば良いのかとまごついていると、彼がはっきりと僕に言った。「I wish you good luck(君の人生に幸あれ)」。

まるでしっかりと見つめられて、若い自分に真摯に語りかけてくれたようなグッドラックだった。少なくともそういう記憶として残っている。グッドラックという言葉を聴くたびに、彼のことを思い出す。そうでなくても時折、あの日のことを思い出す。

どうしてあのシーンが、こんなにも鮮明に思い出せるほど印象に残っているのだろうか。おそらく、あの時のおじさんとの時間は僕にとって自分の価値観が問い直される体験の象徴みたいなものだったのだろう。やや身なりの悪い民族マイノリティのおじさんを自分が初見でどう思っていたのか。目が全く見えない人について自分がどう思っていたのか。定期的に飾り窓に通う人について自分がどう思っていたのか。そして、おじさんと訥々と言葉を交わしている自分について、自分がどう思っていたのか。ほんの数十分、もしかしたら十分にも満たない時間の中で、若い僕の価値観は揺るがされ、想像力不足で右往左往していた。それでも、僕は彼と会話をして、多くはないけれどお互いを知り、最後には励ましのグッドラックをいただいた。ほんの数駅分の時間だったのに、一言でも二言でも片付けることができない、思い出すことでしか思うことができないニュアンスのある思い出なのだ。

まあ、後付けの解釈なんて結局はどうでもいい。少なくとも僕は、おじさんがくれたグッドラックに人生のエールをもらい続けている。

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