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賽の目を大切にしてみようかな

 岐阜県飛騨市に移動しながら、久しぶりにnoteを更新している。東京の八王子からの引っ越しだ。理由はいろいろあるけれど、なぜ飛騨市かといえば、単純に縁があったというのが正しい。長く住むことになるか、そうじゃないかは今は分からない。現段階で明らかなことといえば、引っ越し先が幼なじみの父親の実家で、いまは空き家となっている家屋だということくらい。ただ、出たとこ勝負というのはこれまでも同じで、その経験から何だかいいことがありそうな気がしている。

 数年前から、毎年必ず飛騨を訪れていた。沖縄の大学で同じ研究室に所属していた友人は岐阜県出身で、飛騨で仕事をしていたからだ。ゴールデンウィークになると、彼が住む部屋にころがりこんで、早朝に起床して渓流釣りをするのが定番の行事だ。彼に言わせれば「接待フィッシング」らしいが、初めて渓流釣りをやる者にとって、あれほど楽しいものはないと思う。そうしているうちに、すっかり飛騨の自然や土地の雰囲気が好きになった。

 それが、ぼくに飛騨行きを命じたきっかけだった。彼は公僕だから、転勤が命ぜられれば、はいと頷いて従う必要がある。今年も運良く、のどかな飛騨にとどまることになったらしい。それはぼくにとっても好都合で、愉快な見通しだ。とはいえ、彼がもし転勤となっても、もちろんぼくは飛騨に引っ越していたと思う。

 こういう経緯だから、いま移動していることは、移住というと少しおおげさな気がする。さまざまな土地をみて、比較検討したわけではなく、特段の計画があるわけでもない。アンテナに引っかかったその場所が、住みやすそうに感じたから引っ越すまでのことで、それは東京都の住みたい場所ランキング上位の吉祥寺が気に入って引っ越すのと、感覚的には変わらない。

 ここから先は、本当に分からないことだらけだ。これまで、何度かそういう状況を経験したけれど、今回の不透明具合はその中でも割と上位だと思う。不安もあるけれど、楽しみだ。まず、バスのトランクに入れてある近所への粗品が足りるのかが分からない。そして、地域の人とうまくやっていけるかも、未知だ。ぼくは28歳だけれど、こんな未来は想像したことがない。一年後には、割合に充実した暮らしを飛騨でやっているんじゃないかという気もする。そもそも、どっちに転がってもいい、それがサイコロというやつだ。ああ、楽しみだ。

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