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ムーンライトの思い出(その1)

今は、日本国内からは夜行列車というものが絶滅寸前。
定期列車としては、サンライズ瀬戸・出雲が走るのみとなってしまいました。

しかし僕が学生時代のころを思い返すと、寝台特急もまだまだ頑張っていましたし、ムーンライト○○という、座席夜行が各地を走っており、僕も何度もお世話になった記憶があります。
東から順に、ムーンライト東京(仙台)・えちご・信州・ながら・高知・松山・八重垣・山陽・九州
といったところでしょうか。漏れがあったらすみません!あとは番外編?として、新宮夜行(通称はやたま)ですとか北海道の快速ミッドナイトといったところでしょうか。
臨時列車が殆どとはいえ、各方面にまだまだ座席夜行列車が走っていた時代でした。

学生時代を中心に僕はこの座席夜行を愛用しており、ムーンライト一族の中では八重垣を除き、すべての列車に乗っています。今回、その各列車に乗った記憶を追ってみたいと思います。

【ムーンライトながら】
この列車は僕の座席夜行旅とは切っても切れない存在だ。というのも、僕の住んでいた大垣は、この列車の始発・終着駅。
大垣の名前がそれなりに旅人界隈では知られた存在だったのも、この列車のお陰だったな。実際、旅先で大垣出身です!というと、好きな人は大体この列車のことを話題に振ってくれる。

初の夜行列車旅であった中3の東京旅は、青春18きっぷを使い、この列車で0泊2日の弾丸往復をするという行程だった。
夏休みの繁忙期。駅員さんに顔を覚えられるほどに通い詰めて、なんとかして帰りの指定券だけでも確保。
行きは残念ながら結局指定席は取れず、臨時の165系で運転されていた臨時快速に乗った。
何度も使っている自宅最寄りの駅、大垣駅だが、気合を入れて出発の何時間も前からホームで待つのは、ちょっと冒険をしている気分で面白かった記憶がある。
乗ってみれば車内はガラガラで楽勝じゃん!と思っていたら、名古屋でかなりの人数が乗り込んできて、結局4人掛けシートにびっちり4人が座り、窮屈な思いで東京まで行った。
ほぼ眠れないままに東京に着き、近郊の乗り鉄を楽しんだうえで、帰りは快適なムーンライトながら。不思議なことに熱海から先の指定席だけをゲットできた(当時、小田原から一部自由席になっていた)ので、小田原までは湘南ライナーで先行(のちに臨時ながらに充当されることになる185系)し、乗り込んだら直ぐに熟睡。新型車両の乗り心地の良さを堪能しました。

それ以降、関東方面へ出かけるときはこの列車が御用達。車端部のコンパート席は、リクライニングできず、なかなか寝づらかったり、臨時のムーンライトながらが指定席化&国鉄特急型の183系になったのちは、案外そちらの方が快適だったことなど、さまざまな思い出がある。
もちろんこの列車に使われていた373系も、快速としては快適な車両なのですが、車体が軽いせいかよく揺れるのと、デッキとの仕切り扉がないので扉付近の席だと冬場は寒かったですね…

この列車の有名?な下り列車のワンシーンは大垣ダッシュ。
さらに西へ向かう列車に乗り継ぐ皆さんにとっては、まあ大事な席取りバトルですね。大垣到着が近づくと、じわじわと階段・エスカレーターがある前方にみなさんが移動していきます。
勿論、大垣で降りる僕はその戦いに参加したことはありません。
ドドド!と雪崩れるように乗り換えていくさまをのんびりと眺め、悠々と改札を抜けるのが恒例の儀式でありました。

社会人になってからも一度だけこの列車に乗りましたが、いや~座席夜行はなかなか体力勝負ですね。バスほどではないものの、やはり疲れは感じます。

【ムーンライトえちご】
東京から西へ行くムーンライトながらに対し、北を目指すムーンライト信州も横綱的存在。ムーンライトの名前を最初に冠したのも、この列車です。
一時期は新潟からさらに足を延ばして村上まで。一晩で一気に首都圏から新潟県の北の端まで行けるのはかなり便利だったことでしょう。
僕が乗ったのは、上り新宿方面。東北地方をぐるりと一周し、帰ってくるときのことでした。
当初の予定では青森⇒五能線リゾートしらかみ⇒秋田⇒村上⇒新潟と乗り継いでムーンライトえちごに乗り継ぐ予定でした。
確かその時羽越線で脱線事故が発生し、そのため羽越線が不通。新庄・米沢と迂回せざるを得ず、リゾートしらかみの乗車を泣く泣くあきらめた覚えがあります。
因みに昨年の北海道旅の時も途中でリゾートしらかみに乗りたい…と思ったものの、結局豪雨災害による影響で乗車は叶わず…
なんか五能線とは縁がない模様です。

少し脱線しました。
その時に村上から乗ったのは、新潟行きの快速列車。特に追加料金は要らないのに、特急型車両が使われており、快適に移動することができました。
実はこの列車、ある意味では以前の村上まで走っていた時代の名残ともいえる列車。乗り換えはあるものの、利便性は変わらなかったんですね。
座席夜行にずっと座り続けというのはけっこうキツイので、ある意味途中新潟での乗り換えは良い休息になるのかもしれません。
行程変更がなければ、おそらくこの列車には乗っていなかったので、ある意味貴重な経験か?
肝心なムーンライトえちごの記憶はあまりありませんが、旅の終盤ということもあり、疲れてすぐに寝てしまっていたのでしょう。


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