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大型合宿免許からの帰路(中編)

【ふやけるほど湯につかろう】
(復路4日目)
ミンタロでの滞在も、今日が最終日。
例によってみんなはお寝坊さんで、静かな朝。
荷物を纏めて、部屋をとことん綺麗にして出発することにした。

今日はぐずついたお天気。みんなに見送られながらの出発だ。
次の再会は恐らく、栃木県・塩谷。
なぜかというと、ミンタロハットチームで毎回参加している、しおや100キロウォークに、とうとう僕もエントリーしてしまったからである。
(あ~あ、知らねえぞ・・・)
まあ、数年前にも100キロウォークや、自主的に100キロ歩いたりと、チャレンジは繰り返していたので、まあ何とかなるはず?練習しなければ・・・
(本来は、2021年4月の開催を予定していたが、情勢に逆らえず、秋の開催になってしまった)
また、ヒデオさんとは、第一第二木曜にFacebookライブ配信で開催するオンラインイベント・鉄男の部屋にてオンライン上だが顔を合わせることになったため、離れてはいるが、ちょいちょい顔を合わせることになる。


ヒデオさんに教えてもらった、村山近くまで北上したところにある手打ちそばのお店でお昼ご飯。ぐずついた天気かつ、平日なのにそれなりの賑わい。
軽めに腹を満たした後は、今日は鳴子温泉へ向かう。
3つの源泉を持つ湯治旅館で、のんびりと湯に浸かる計画だ。
まだ真っすぐ向かうには時間があるので、途中でさらに温泉に寄り道する。いくつかの候補の中で選んだのは、赤倉温泉・三之亟。
入ると完全な貸切状態。(東北地方にはよくある混浴風呂なのでご注意を)なんと贅沢な時間。全体的に熱めのお湯で、特に1段上がったところの浴槽は、足をつけるのも一杯いっぱいな温度だ。深めの湯舟で浸かったり、上がったりを繰り返す。

鳴子温泉に到着。今日の宿は素泊まりの湯治宿・いさぜん旅館。
入ると看板猫がお出迎え。宿主が阪神ファンらしく、グッズやサインが飾ってあったのが僕には嬉しい所だ。
ここは内湯が2カ所、露店が1カ所あり、時間帯によって男女を入れ替えたり、混浴になっていたりと少々複雑。
まずはひとっぷろ浴びて、夜ご飯を食べに行く。
近くにはあまり飲食店はなさそうなので、鳴子温泉の中心部間まで歩いてみることに。一応ローカル線で一駅の区間だが、本数が少ない。
ブラブラ歩き、温泉街の中の夜までやっている喫茶店的なお店で食べることに。基本的には2食付きの旅館に泊まる想定なのか、夜も営業している店は少ないようだ。

帰り道もブラブラ歩き、宿へ戻る。
かけ流しの湯にのんびり浸かったり、部屋で休んだりを繰り返した。

【懐かしの再会へ】
(復路5日目)
この日は石巻までの移動。
朝風呂もしっかり堪能してチェックアウト。オバチャンと猫に見送られながらの出発だ。
出発して早々、まだまだ入るぞ!とばかりに、近くの川渡温泉の共同浴場にも突撃。
ここも熱めのお湯。サクッと入って、もう肌がふやけそうだ。

お昼ご飯を求めて、登米市登米町へ。
え?なんか変じゃない??と思われる人も多いでしょう。
しかも、漢字の読みを聞くとさらに混乱必至。登米市登米町と書いて、「とよましとめちょう」と読ませるのだから。
同じ漢字で違う読み。地元の人は慣れてるのかもしれないが、他所から来ると大混乱だ。
ここへは、名物の油麩丼を食べに来た。
震災の被災地を巡るイベント・ウルトラシャルソンに参加した時、僕は都合でこの登米から途中合流。前日、メンバーが食べた、油麩丼が美味かった!という声を聞いて、いつか食べたい!と思っていたのを叶えるためだ。

物産センターに車を置いて、少しまち巡り。閑散とした雰囲気。しかし、明治時代の建物なども残り、歩くのも気持ちいい。
大衆食堂という感じの趣ある食堂で、お昼。狙い通りの油麩丼を頂く。

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要するに、親子丼の具を麩にしたという感じ。これはぜひ家でも作ってみたいなと思い、油麩をお土産に買って帰ることにした。

見覚えのある景色を見ながら石巻市内へ。市内を一望できる、日和山へ上ることにした。
石巻市内は復興工事真っ只中。刻々と道路工事も行われていて、Googleマップとも微妙に異なる道路に戸惑いながら日和山へ。
海側には公園が造成中。しかしその傍らには新築と思われるマンションもあり、住民の住む気配も。
あれ、おかしいな?

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確かウルトラシャルソンで話を聞いた時、特に酷い津波被害に遭った、日和山公園から海側に見下ろした一帯は、居住不可の地域になったはず。実際に展望公園の解説を見ても、その通り。居住できない区域に指定したとある。
どういうことなのか?違和感を感じる。

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津波に耐え、多くの人の命を救ったという日和大橋を渡り、工場地帯へ。
道路部分のみ嵩上げされ、津波が来た時に道路が防波堤になりつつ、水を工場敷地に溜める構造なのか。内陸の人が居住する街を守る構造なのだろう。

ウルトラシャルソンでは近くを通る度に食べた、エクレール。
それまでシュークリームは生クリーム派だったが、ここのカスタードクリームは絶品!

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折角来たのだからと、エクレアとカスタードシューの二本立て。
どこで食べようか?と思い、牡鹿半島に入ったところのサン・ファンミュージアムの展望広場で食べることにした。
人気のないサン・ファンミュージアムで、海を眺めつつ美味しくいただく。
やっぱりうまい!

今日の宿は、割烹民宿めぐろ。少し海岸線を見てみたくて、海岸沿いに点在する集落間をつなぐ細道をドライブすることに。
アップダウンを繰り返しながら、小さい入り江には数件の家がある集落が。

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そしてどんなに小さい集落であっても、その入り江には震災後に設置された大きな防波堤が。
景観は台無しであり、漁業にも影響がある防波堤。確かに人命最優先というのはわかるものの、実際にこの集落で暮らすのは、ほぼ高齢者であろう。この防波堤が効果を発揮する数十年先、いやもっと先か?に、果たしてこの集落は存在しているのだろうか?
大いに疑問が残る所だ。


久しぶりのめぐろに到着。外観はリニューアルしたのか、あれ?こんなところだっけ?と思ったが、変わらない出迎えを受け一安心。館内もかなりリニューアルされていて、変化に驚いた。
ひとっぷろ浴びて、夜ご飯。地元の海の幸が並ぶ豪華な夜ご飯。名物のカサゴのみぞれ揚げや、この季節にしか食べることが出来ないという、ワカメのしゃぶしゃぶ。
これが一人前か?という量に満腹満腹。

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繁明さんと少しお話ししたところ、震災復興関連の補助金の期限が近い関係もあり、各種工事も最後の追い込みというところらしい。
石巻市内の工事もそのためか。
非居住エリアのはずの場所に建っているマンションについて聞くと、やはり途中で詩の計画変更があったらしく、いつの間にか作られてしまったそうだ。

旅行者は昨年からの情勢でかなり落ち込んでいるのはやはりというところだが、その代わりに工事関連の長期滞在も多いよう。この日ももう一組はその関係者だった。

【牡鹿&雄勝をまわる】
(復路6日目)

朝ご飯を腹いっぱい頂き出発。
繁明さんから、岐阜の地酒と海産物の交換しましょうよ!と提案を受け、是非にと約束した。(その後、3.11に合わせて地元のお酒を送る。お返しに、ホニャラノイエの1周年祭に合わせて三陸産のわかめやめかぶを大量に頂いた)

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まずは女川を目指す。牡鹿半島の背骨に当たる部分を走る、コバルトラインを走り向かった。
すると、以前は工事現場だらけだった町が、一気に姿を変えていた。
駅から一直線に海に向かって伸びる広々とした道。その両側に商店街が姿を現している。

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意図的に「海が見える」ような街を作り、津波災害が起きた時に高台へ迅速に避難できるような街づくりをしているようだ。
チラリとみてみるも、まだ満腹ということもあり食指が湧かない。今夜泊る宿は素泊まりなので、明朝用のパンを買って後にした。

雄勝半島を目指してさらに走る。大型トラックが行き交い、すれ違いが頻繁に。慎重に走る。
雄勝湾に入ると、異様な光景が。湾を囲うように、真新しく真っ白な巨大な防波堤が姿を現したのだ。

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以前はプレハブの仮設住宅が所々建ち、防波堤も破壊されたまま、手つかずの状態だったので、かなりの変貌だ。

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ただ、防波堤の内側はまだまだ工事の中途。いぜんあった雄勝店こ屋街は、プレハブの仮店舗から、新しく作られた道の駅的な施設の中に入ったようだ。
ここから、雄勝半島の先端に位置する白銀神社を目指す。めぐろで教えてもらったパワースポットで、呼ばれていないと悪天候などで行けないという話。

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この日は晴天。クルマを止めて、暫く岬の先端へ向かう道を歩くと、白銀神社の境内へ。断崖絶壁の勇壮な風景。風が強くて飛ばされそうな恐怖はあったが、無事に神社のお参りをすることが出来た。

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半島を一周する形で雄勝の街へ戻る。先ほどの移転した雄勝店こ屋街でお昼ご飯を食べようかと。しかし選択肢は少ない。少し迷い、ご当地バーガーを提供するカフェで簡単なお昼ごはんにすることにした。

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少し店の方とも話したが、作ってしまったものはどうしようもないが、地元でも巨大な防波堤に関しては否定的な意見も多い模様。
景観だけでなく、自然環境や漁業への影響も心配される所だ。
山に含まれるミネラルが海へ流れ出なくなることで、どのような影響がでるか。近い将来に、「負の遺産」として扱われるようになる気がしてならない。

少し移動して、大川小学校跡地へ。
地震発生により公邸に避難したものの、海まで4キロも離れた場所ということもあってか、津波がここまで到来するとは想像がつかなかったのか、高台への避難までは及ばず、結果多くの命が奪われてしまった。
結果論としては、教師の責任論なども追及される所ではあるが、史実ではこのエリアにも大震災後に津波の到達もあったとのこと。それを忘れることなく伝えていればというところ。ハード面の防災対策も確かに大事だが、何より過去の大災害を風化させないという取り組みも重要なところだと思う。

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津波の爪痕が残る建物は保存の上、公園としての整備がされている途中。この日は工事は行われていない模様だったので、外から建物を見ることも出来、祈りを捧げた。


Google検索で出てきた、追分温泉へ向かう。山中の秘湯…という雰囲気で、古い建物に期待感が上がるが、泉質は…あれ?
温泉ではなさそうな感じ。脱衣場などいろいろ見てみたが、温泉ならあるはずの泉質表も見られなかったので、もしかしたら昔は湧いていたものの、今は枯れたのか?
期待していただけに残念だった。口コミを改めて見ると、三陸の海の幸などの料理は好評らしい。

再び石巻に戻って、旅の最後に会うおしょうのご希望で、笹かまぼこを入手し、仙台へ向かう。

仙台では、ウルトラシャルソンで知り合い、それ以降、時々会う仲になっている、成田クンと会う。山形で合宿免許中にも遊びに来てくれたので、久しぶりな感じはしないが。
成田クンの大学時代の友達が営むという、Hostel KIKO に泊まることに。
場所を調べたら、めっちゃ狭い道にバックで入る羽目に。大型免許を取った経験が活きるか?無事に入庫することが出来た。

チェックインして荷物を置き、丁度成田クンも合流。オーナー・勝永くんも一緒に、今夜は仙台名物だという、痛風鍋を食べに行く。
なぜか、そこへ行くのにカラオケ店の店内を通る謎仕様の雑居ビルの中。
やけに狭い個室席に男三人で通される。痛風鍋とはなんぞや?と思われる方も多いであろう。タラの白子・牡蠣・あん肝を載せた海鮮鍋。

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仙台のとある居酒屋が、常連さんに頼まれてえいや!と作ってみたら、その美味しさと
豪快さに、瞬く間に大人気となったらしい。それがキッカケで、幾つかのお店で提供されるようになったそうな。
つまみも注文しつつ、いざ痛風鍋を喰らう。
名前の通りに痛風にはならなかったが、とても旨かった!

宿に帰ると、シェアハウスの住人もリビングで過ごしている。
以前はその名の通り、Hostelとして、短期滞在の旅行者が多かったようだが、一部は長期滞在のシェアハウスとしての機能もあったよう。それがこの情勢もあり、完全に逆転。旅行者用には1部屋だけあるものの、ほぼ友人が時々泊る程度。長期滞在者でほとんどの部屋が埋まっているということだ。
すこしリビングでノンビリ話ししながら過ごし、明日に備えて就寝だ。


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