イラストレーターがアップリケのメーカーになるまでのこと ①
はじめまして。
イラストレーターのトヨクラタケルです。
専門学校を卒業後、イラストレーターとして書籍の表紙や広告のポスターの絵などを描いています。
僕の絵の特徴は、フェルトを使うこと。
フェルトと紙を切りはりしながら絵を作っていきます。そこに絵の具やペンを使うことは一切ありません。
そんな僕が4年ほど前からフェルトの雑貨メーカーを始めました。
その経緯などをここで書いていけたらと思います。
そもそもイラストレーションは企業なりのクライアントがオーダーするところから始まります。
いわゆる受け身の仕事で、オーダーのないところにイラストレーションは生まれません。
オーダー仕事なので、もちろんクライアントの希望に沿ったものを仕上げないといけないですし、デザイナーさん、編集者さん、カメラマンさん、スタイリストさんなど多くの人と一緒にチームとなって一つのものを作り上げていきます。
そこにイラストレーションの楽しみもあるのですが、反面、意に反する要求などもあったりで、描いてる絵が自分が良いと思わないものになって完成を迎えることもあります。
また立ち位置もクライアント、代理店、デザイン事務所、イラストレーターと一番クライアントから遠い位置にいるため、立場も弱いことが多く意見は反映されにくいです。
そんなフラストレーションを展覧会などの自分のオリジナルの表現が100%できる場所で発散もしていたわけですが、展覧会だけだとイラストレーションほど多くの人に自分の絵が届かないのに気づいんです。
そこで細々と手作りで続けていた自分のオリジナル雑貨をきちんとメーカーとして商品を製造してお店に卸そうと考えました。
ちょうど大阪にあるondoさんというギャラリーでの展示も決まっており、そこで新しい試みをしようとオーナーの池田さんと話していたタイミングもあり、その展示をきっかけにプロダクトを量産してメーカーとしてスタートしようと決めました。
一度はフェルトメーカーに打診して、一緒に組んでやったほうがいいのかもと真剣に考えましたが、組んでやると、イラストレーションの仕事と同じで、きっと売れるものばかり求められたり、自分のやりたいことが結局できないのではないかと思いやめました。
自分で100%やりたいことをするためは自分で全部責任もってやるしかない。
リスクはありましたが、リスクのないビジネスなんてないと思い、100万円をプロダクトの軍資金としてスタートしました。
そして初めて作った量産のプロダクトがそれまで細々と手作りしていたフェルトコースター2種類です。
このデザインは僕のアイコンとしても使っているほど代表作で、まずはこれを1000個ずつ作ることにしました。
量産といっても機械ですべて作れるわけでなく、まずはフェルトをカットしてくれる工場探しからです。
いろいろとインターネットで工場を探して、見積もりをとっての繰り返しで、埼玉の方に条件の合う工場が見つかりそこにお願いすることにしました。
そしてデザインの図案を工場に出して、フェルトをカットするトムソン型を作ってもらい、1ヶ月後にはカットされたフェルトのパーツが合計2000セット届きました。
パーツが送られてきたものの、次はこのパーツを組み立てる方法を考えないといけません。
量産するので、一個一個ボンドで貼り付けていては、手間がかかる上に、作る人によって良し悪しができてしまいます。
そこで誰が作っても同じものができるよう、シリコンゴムシートで制作板を作ることにしました。
シリコンゴムにしたのは最終的にはアイロンで接着加工するため、熱に強く耐久性があることが決め手でした。
その制作板がこちら
ここにフェルトのパーツをはめ込んでいくことで、早く正確に綺麗なものができあがります。
最後に思い切って買った業務用のアイロンプレス機でプレスして仕上げます。
そうしてプロダクトの第一弾となるフェルトコースター2種類、合計2000個ができあがりました。
その後、ギャラリーでの展覧会で販売をしたところ評判も良く売れたので、さらに雑貨屋さんなどに販路を拡大していこうと考えたものの、そう簡単にはいかないのでした。
つづく