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なにも作らない日 【日記】

充実したな… のイメージ

長期休暇の最中に、1日の満足感について考えて腑に落ちたことを記録。

2024年のGWは、平日3日間を休めば10連休となるということで、例に漏れず中3日を有給休暇として長期のお休みをゲットした。
初めの3日間は人と会う・お出かけに使い、これを書いている休暇4日目(世間では平日)からはひとりで過ごす期間となる。

お出かけ、もっと言えば観光とかお買い物をした1日というのは、よほど悪いことが起きない限り「充実したな…」という実感が湧く。
帰宅中の電車の中とか、家についてしばらくのんびりしている間に頭の中でリザルト画面が映るイメージ。経験値とか手に入れたアイテムとかを振り返る感じで。

これに対して、基本的に家でのみ過ごした1日。
こういう1日については、振り返りとかも特になく、充実ゲージはあまり満たされない。休日もそうだし、テレワークを終えた平日についても同じ印象である。

なにも作らない日

こういう、「今日なにしたんだっけ?」な1日は、不思議なことに全く何もしていない日 というわけではないのだ。休日だったら普段サボっている掃除などの家事諸々に読書・映画鑑賞、平日はもちろんフルタイムの仕事、ときどき運動。なにかしらのクエストを終えたという点では、前者の『なにかした日』とは変わらない。
この違いはなんだろう、とぼーっと考えていたのが今日。

結論として、自分にとって「今日はなにもしていない」と仕分けるのは「今日はなにも作っていない」と感じたか、ということなのだと気づいた。
後者の、だらーんと過ごした休日 or テキパキルーティンな平日は、なにかしらいつもしていることをただただこなしたり、ただそれだけの1日なので、「新しくなにかを作った!」という実感はない。よって『なにもしていない』。
当然、この2種類の日において何かしら作ることはある。仕事で新しくプログラムを書いてみたり、休日にちまちまと写真を現像してみたり。そういうことをした日は、確かに「今日はなんかしたかも!」になる。ちょろい。

逆に「充実したな…」の休日は、外出がてら写真を撮ったり、新しい何かを探して手に入れたりという体験があるので「なにかをした日」。
(ただ買い物をしただけでもこの判定になるのは、自分でも判定がゆるいな〜と思ってしまう。)

ものを作るっていることが、自分において結構な充実度の判定基準になっている。おそらく同じタイプのひとは多くいるだろうし、それより「人と会話したかどうか」とか「どれだけ効率よくタスクをこなしたか」とか…判断基準はさまざまだと思う。

とりあえず、なにか作ってやる

そういった気づきを得たので、この文章をつらつら書いている。
今日なにかしたっけ…とベッドの中でもやもやと考えてしまうよりは、多少の充実のためになにか作る、というか自分のために「作ってやる」ことを当分は大事にしたい。
撮りためた写真を編集したり、休日なのにプログラムのことを考えてなにかしらアイデアをまとめたり、何だったら実際に組んでみたり…あとはこんな感じで適当に文章を書いてみたり。

この休暇中は、以上のことを宿題として過ごそうと思う。



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