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可能動詞について

前回、「行かれません」という可能の表現が、文法の観点から誤りでないことをお話ししました。ただ、実際は「行けません」の方が一般的です。これは可能動詞と呼ばれるもので、助動詞「れる」「られる」を用いた表現とは別個のものとして扱われます。

可能動詞とは、五段活用(文語の四段活用)動詞(例「行く」)が下一段活用(例「行ける」)に変化し、可能の意味を持つようになったものです。中世末期頃からみられるものと、『日本国語大辞典』(精選版)には記されています。

元来、可能の表現は、専ら助動詞の「る」「らる」(口語の「れる」「られる」)でした。例えば、「読む」の場合、未然形に「る」を付けて「読まる」となります。時代が下ると、あたかも「読まれる」の中間の音を省いたような「読める」の形が広まったため、これをもって現在のいわゆる「ら抜き言葉」も日本語の自然な変化だとする見解もあります。

しかしながら、助動詞と可能動詞との関係は、はっきりとはわかっていません。可能動詞については、四段動詞の連用形に「得る」を付けたもの(「読み得る」)が変化してできたとも、また自動詞(他動詞「切る」に対する「切れる」等)への類推から発生したともいわれています。

以下の論文では、後者の自動詞への類推説に基づく詳細な検討がなされています。

・三宅俊浩「可能動詞の成立」、日本語学会『日本語の研究』、12巻2号、2016年4月、1―17頁。

例えば、「お里が知れる」の「知れる」は自動詞で、当然「自然とわかる」という意味なのですが、これを他動詞「知る」の可能表現だと誤解したのが可能動詞の起源というわけです。

「言葉は変化する」とはよく言われますが、可能動詞にせよ「ら抜き言葉」にせよ、「本流からの逸脱」であることに変わりはなさそうです。

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