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ブレグジット記念硬貨のコンマ問題

『ファイナンシャル・タイムズ』電子版でこんな記事を見つけました。

先月31日に欧州連合(EU)から離脱した英国で、記念の50ペンス硬貨が発行されました。

ところが、表面に刻まれている「Peace, prosperity and friendship with all nations」について、児童文学作家のフィリップ・プルマン氏が「Twitter」で次のように噛みついたのです。

「ブレグジット」の50ペンス硬貨にはオックスフォード・コンマがない。読み書きのできる者は皆でこれを排斥しなければならない。(@PhilipPullman)

文芸週刊誌『タイムズ文芸付録』(“The Times Literary Supplement”)の編輯長スティッグ・アベル氏もこれに追随し、「『prosperity』の後にコンマがないのにはうんざりする」と言っています。

オックスフォード・コンマとは、3つ以上の事物を並列するときに、「A, B, and C」「A, B, or C」のように、andやorの前に付けられるコンマのことで、シリアル・コンマともいいます。オックスフォード大学出版局で長らく標準的な表記とされていたため、この名があります。

記念硬貨の文言が「平和、繁栄及び諸国民との友好」という意味ならば

Peace, prosperity, and friendship with all nations

と、prosperity(繁栄)の後にコンマが要るはずであり、これがなければ「peace」と「prosperity and friendship with all nations」が同格となって、「平和、すなわち繁栄と諸国民との友好」という意味になってしまうではないか、というわけです。

このように、オックスフォード・コンマは時として文意の解釈の厳密性に影響します。英語話者の間でも、些末な問題と捉える人もいれば、厳密性の観点から必要だと考える人もいて、論争の的となっています。

オックスフォード・コンマがないことにより、法律の解釈をめぐって法廷に争いが持ち込まれたこともあります。2017年にアメリカのメイン州で、乳製品会社とその流通ドライバーとの間で、残業代の支払いに関する訴訟が起こりました。訴訟の争点は、州の法律にある、残業代の算出対象から除外される作業に関する次の条文でした。

...packing for shipment or distribution

これが「……搬送のための梱包、または流通」と解釈されていたことが、残業代がないことの根拠とされていました。しかしドライバーたちは、「or distribution」の前にコンマがないのだから、条文は「……搬送または流通のための梱包」という意味であって、梱包作業がなく、流通だけを担っている自分たちには残業代が支払われるはずだ、と主張したのです。この「コンマ裁判」は、結局ドライバー側の勝訴で幕を閉じました。

オックスフォード・コンマは、学術論文などを除いて、一般的にはあまり用いられていないようです。コンマがなくても文脈から意味が伝わるケースが大半だからでしょう。私もこれまでは「A, B and C」と書いていました。とはいえ、思わぬ誤解が生ずる余地を残すくらいなら、コンマを付けておいた方がいいのかもしれません。いずれにせよ、誰が読んでも等しく意味が伝わる文章を心がけたいものです。

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