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言葉の覚え書き

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2022年4月の記事一覧

「満面の笑顔」?

「満面」の「面」とは顔のことなので、「満面の笑顔」だと意味が重複してしまいます。「満面の笑み」が適切です。 同様に、「満天の星空」も不適切です。

「遊戯」と「遊技」

「遊戯」は、一般に言うところの遊びごと。 「遊技」は主に、麻雀やパチンコなどといった、許可営業の大人の娯楽に使われます。

扁桃「腺」?

かつては「扁桃腺」と呼ばれていましたが、現在では「扁桃」に改められています。 「腺」とは、涙腺、汗腺などのように、何かを分泌する器官、組織のことをいいます。扁桃はリンパ節の集合体であり、何かを放出する器官ではないので、厳密には腺に該当しない、というのが改められた理由です。 ちなみに、扁桃とはアーモンドの別名です。形が似ていることからこう名付けられました。

「各駅停車」と「普通列車」

どちらも全部の駅に止まる電車のことだろうと思われるかもしれませんが、その認識だと、例えば浜松町駅で降りるつもりで、東京駅からJR東海道線の「普通列車」に乗ってしまうと、大変なことになります。 結論を先に言うと、「各駅停車」は近距離電車に対して、「普通列車」は中距離列車に対してそれぞれ使われる運転種別です。 2つの違いは、正式な路線名と運転系統とが分かれている首都圏のJR線で特に顕著です。例えば、正式名称としての東海道本線には、京浜東北線、東海道線その他の運転系統が設定され

「悲壮」と「悲愴」

「悲壮」は、悲しみの中にありながらも、勇ましさが感ぜられるさまを表します。 ただただ悲しく痛ましいさまを表すときは「悲愴」と書きます。「愴」は心が痛むという意味です。

読めますか?──「聖路加」

「せいろか」は誤り。正しくは「せいルカ」 聖路加国際病院の英称St. Luke’s International Hospitalからわかるように、「路加」とは新約聖書に登場する聖人ルカの漢字表記です。使徒パウロの協力者の一人で、『ルカ伝福音書』『使徒行伝』の著者とされています。 『コロサイ人への書』に「愛する醫者ルカ及びデマス汝らに安否を問ふ」(第4章第14節)という記述があることから、ルカは医者であると信じられており、その守護聖人として崇められています。

読めますか?──「貴翰拝誦」

キカンハイショウ。 「貴」「拝」は敬語。「翰」は「書翰(書簡)」の「翰」で、手紙のこと。「誦」は「暗誦(暗唱)」の「誦」で、読むの意。全体で「あなたのお手紙を読みました」という意味になります。返信文の冒頭で使われる表現です。 見慣れない表現かもしれませんが、一つずつ見ていけば意味を読み取れます。但し、同音の漢字による書きかえの表記しか知らないと、読み解くのは難しいかもしれません。

「阿佐ケ谷」

[カ][ガ]と読ませる文字は、本来片仮名の「ケ」(Unicode:U+30B1)ではなく、小書きの「ヶ」(U+30F6)を用います。 小書きの「ヶ」は、漢字の「箇」の略字「个」が変形したものであり、あくまで「箇」の代わりに使われる記号という扱いです。これに対して、片仮名の「ケ」は「介」の変形とされ、そもそも小書きの「ヶ」とは由来を異にします。 したがって、東京都杉並区にあるJR中央本線の「あさがや」駅は、本来「阿佐ヶ谷」と小書きの「ヶ」を使うべきところですが、実際に赴いて

「皮算用をはじく」?

「皮算用」は無論「捕らぬ狸の皮算用」のことで、当てのない期待をすることですが、「算用」自体が計算する、勘定するという意味を含むので、この後ろに計算する意の「はじく」を付けると、意味が重複してしまいます。 「皮算用」を活かすなら「皮算用をする」、「はじく」を用いるなら「算盤をはじく」などとする必要があります。

「春秋に富んだ老人」?

「春秋に富む」とは、生い先が長いという意味で、年齢が若いことを言います。 なお、「春秋高し」と言った場合は、高齢であることを表します。

読めますか?──「払底」

フッテイ。 底を払うという字義どおり、物がすっかりなくなることを意味します。 通信販売などで、「在庫払底」という表示を見たことがある方も多いのではないでしょうか。

「花粉の当たり年」?

「当たり年」とは、作物がたくさんとれる年、物事がうまくいく縁起の良い年という意味です。 厄介な年、災難の多い年といった、ネガティブな意味合いで用いるのは適切ではありません。

読めますか?──「端倪」

タンゲイ。 「端」はいとぐち、「倪」は田の境の意。物事の始めと終わりのこと。 また、動詞としては、見通す、予測するという意味で用います。「端倪すべからず」は、容易に計り知ることができないことを表す慣用句です。

読めますか?──「恬淡」

テンタン。 無欲で物事に執着しないことです。