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『カムカムエヴリバディ』を見終えて

NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』の放送が終了した。主人公3名が親子3代にわたってNHKのラジオ英語講座を通して英語を学び成長していく様子を描いたドラマで,戦前から近年の公共放送における英語教育番組の推移などが窺い知れるドラマだった。私はこの番組以前にNHKの朝ドラを最初から最後まで見たことはなかったが,今回初めて通して見続けることができた。現在自分が英語教員という仕事をしており,若い頃にこのドラマがフォーカスしていたラジオ講座を聞いていたからなのだと思うが,番組を見終えた感想を一言で言うとするならば「自分の人生に多かれ少なかれ影響を与えてくれた人たちが総出で出てきた番組」だった。ということで,自分自身の昔の思い出を交えながら,このドラマについて少し振り返ってみたい。

高校2年生の頃,そろそろ大学受験勉強を考えなければならないなという頃に,同じ陸上部に所属していたH君という友人にNHKラジオの英語番組について教えてもらった。彼は通っていた高校で英語の外部模試が学年で一番いい成績だった。何か秘訣があるに違いないと思い,思い切って英語の勉強方法を聞いてみた。当時教えてもらった内容を簡単にまとめると次のようなものだった。


家があまり裕福ではないので予備校などに行くことができないので,大学受験はラジオ講座とZ会の通信講座だけで準備をするつもりである。早いうちからNHKのラジオ英語講座を3つ聞いている。


周りの友人が受験勉強について話すことが多くなってきた頃,予備校に通うという選択肢が圧倒的な多数を占めていたので自分もなんとなくそういう道を歩むのだと思っていた矢先にこうしたアドバイスをもらった。彼にならい,同じやり方で大学入試の準備をすることにした。

H君は東京外国語大学の英米学科を目指していた。私は彼ほど英語の成績が良かったわけではないが,なんとなく英語という科目と相性が良く,成績もまあまあ良かったので,嫌いではなかった。そのうち英語をもっと学んでみたいという気持ちが強くなっていたので,彼と同じ大学を目指してみたいという気持ちになっていった。彼が聞いていたラジオ講座は,遠山顕先生の『英会話入門』,大杉正明先生『英会話』,杉田敏先生の『やさしいビジネス英語』だった。私も同じ講座を聞いていくことにした。高校2年次の後半で,たしか11月あたりだった。

ラジオ講座を聞き始めた頃は,放送される英語をすぐには聞き取れなかったものの,辞書を引いたりしながらできるだけ毎日聞くようにしていた。毎日55分間の時間をラジオ講座に費やすというのはなかなか大変だったが,カセットテープやMDに録音しながら続けていた。

ラジオ英語講座は想像していた以上におもしろく,のめり込んでいった。受験勉強をしているという感覚はあまりなく,番組を聞きながら繰り返しリピートなどの音読をしているうちに自分自身の英語の発音がよくなっていくのが感じられた。遠山顕先生の『英会話入門』は番組の進め方がユーモラスで,部活で疲れ切っていた時も元気をもらい聞き続けることができていた。例えば,Say it!というコーナーでは,毎回リスナーにキーセンテンスを一息5回で言わせ,楽しそうに話しかけてくれる様子が好きだった。大杉正明先生の番組を聞いたのは数ヶ月間だけであったが,スキットが面白く感じられた。ニューヨークで生活している若者が,アパートの家賃が滞納してしまい大家さん(landlord)にEnough is enough!というセリフを吐かれていたのが印象的でよく覚えている。杉田敏先生の『やさしいビジネス英語』は当時の私にとってはまったくやさしくなかった(笑)が,格式高いビジネスレベルの英会話を学んでいるのだという気持ちで,少し背伸びをしながら聞き続けた。高校3年生になると,『ラジオ英会話』は担当者が大杉正明先生からマーシャ・クラッカワー先生に変わったが,よりいっそう楽しんで番組を聞くようになった。マーシャ先生の番組のスキットも環境問題などを扱って興味深く,weekend retreat(週末の隠れ家),moonlighting(副業),flora and fauna(植物相と動物相)など興味深い表現を学んだことが思い出される。こういうこともあって,このドラマの中で,遠山先生,大杉先生,マーシャ先生が登場したのはなかなか感慨深かった。

ラジオ講座のおかげもあってか,第二志望の早稲田大学教育学部英語英文学科に合格・進学することができた。大学3年次は松坂ヒロシ先生のゼミに入り,4年次には卒論の指導までしていただいた。松坂先生はラジオ講座を1970年代に担当されていたが,私が大学生だった頃も『英語リスニング入門』という講座を担当されていた。「入門」という名前がついてはいたものの,かなり骨のある内容だった。のちにご好意で先生からこの番組のCDを一揃いいただくという幸運に恵まれたが,現在もTALK(田辺英語教育学研究会)という研究会で大変お世話になっている。今回のドラマの中で,松坂先生は戦前の英語教育者掘英四郎氏の声で出演されていた。また,70年代に東後勝明先生と一緒に担当されていた『英語会話』のテキストの上にもお名前が書かれていた。

ドラマの中で登場した東後勝明先生(声を担当したのは伊藤サム先生)は,大学院(修士課程)の指導教官で,学生時代の最後の最後までお世話になった方だった。また,私が学生時代に最も大きな影響を受けた英語のイントネーション理論は東後先生に教えていただいたものだった。先生は残念ながら2019年の夏にこの世を去られたが,知らせを受けたとき,私は先生がイントネーション理論を学んだロンドン大学(UCL)で英語音声学サマーコースの100周年記念大会に参加していて,先生に教えてもらったイントネーション理論(O'Connor & Arnoldという研究者たちによってまとめられていた英国式イントネーションシステム)の授業をちょうど受けているところであった。授業を担当していたInger Meesは私の様子を見て「無理に授業に参加しなくてもいい」と言ってくれたが,授業をしっかり受けることが先生への弔いになると思ったので,先生が若い時分にロンドンで感じていたであろうことにあれこれ思いを馳せながら授業を受け続けた。

今回の朝ドラのタイアップ番組で,先生が以前に担当されていたラジオ講座の音源を利用するのにNHKの番組制作者の方が先生のご遺族に連絡を取りたいという連絡が知人の先生経由で私のところへやってきた。この依頼に協力をし,先方も無事許可を得られたようで,去る2月に大杉正明先生が担当されていた『ラジオでカムカムエヴリバディ』の中で当時東後先生の講座で使われていたスキットの一部が先生の声とともにそのままの形で放送された。お世話になった人の声が再びこのような形で流れてくるのはただただ懐かしく感じた。

このドラマには,私と同世代の俳優も登場していた。安達祐実さんは,およそ私と同世代の多くが見ていたであろう『家なき子』で子役として人気があった女優さんだ。癖の強い時代劇女優(美咲すみれ)の役で登場していたが,当時の姿とあまり変わらず力強い演技をしている様子がたくましく,変な意味でなく美しいと感じた。また,主題歌の「アルデバラン」を歌っていたAiさんも私とほぼ同世代だ。歌の中に次のような歌詞がある。

笑って 笑って 愛しい人
不穏な 未来に 手を叩いて
君と 君の大切な人が 幸せであるそのために

「アルデバラン」(作詞・作曲:森山直太朗 / 歌:Ai)より

コロナや戦争で暗いニュースが多い中,「不穏な未来に手を叩いて」という部分がとても力強く感じられ,個人的にとても気に入り,聞くたびに気分が晴れやかになった。

NHKのラジオ英語講座を通して私は英語を声に出して読み上げることも好きになった。私が生徒や学生に配布する教材の中には,自分自身で読み上げたものが多く含まれる。こうしたことができるようになったのも,ラジオ講座のおかげなのかもしれない。ドラマの中で,安子が英語講座を聞き始めたばかりの頃,堀英四郎氏の番組で松坂ヒロシ先生(=堀氏)がThe North Wind and the Sun(北風と太陽)を読み上げられていた。以下は番組を見た後で私が読み上げて録音したものである。

「北風と太陽」は「乱暴な手段では他人に行動を起こさせることができない」「着実な方法をじっくり取り組んだ方が実を結ぶ」といった教訓が含まれた童話だ。自分自身の教員生活を振り返ってみてもこうした反省は多いのだが,実に的を得た教訓であると感じる。ドラマの中で,主人公のひなたは何度かラジオ講座を継続して聞くことに失敗する。本当に自分自身でその努力が必要であると感じなければ,地道な努力など重ねることはできないということなのかもしない。ひなたはのちに自分の意思でラジオ講座を聞き続けることになる。最終的にはラジオ英語講座の担当者にまでなってしまうというサクセスストーリーだ。

私自身もまた学生時代にラジオ講座を継続して数年間聞いていた経験がそれなりに自信となって現在の英語を教えるという仕事に影響を与えてくれている(と思っている)。誰にでも何かしら長く続けていることがあるように思われるが,自分の場合はこのドラマ同様たまたま英語学習であった。今回のNHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』を通して,ラジオ講座で英語を学ぼうという人は増えていくと思われるが,ぜひ気長にコツコツとやってもらいたいと思う。「北風と太陽」の北風的な発想ではまずはうまくいかない。この国には,「おいこら,英語やれよ」という強迫的な英語学習の必要性がしたり顔で鎮座しているように思われるものの,実のところその実質的必要性・妥当性ははっきり確認されていないように思う。外国語のように,習得するのに長期の時間と努力が必要とされるスキルを着実にを身につけていくためには,こうした漠然とした強迫観念に惑わされず,自分自身で本当に投資する価値があるのかを見極め,それでもなお学んでいきたいという思いがある場合に着手し続けていくことで,将来振り返ったときに「やってきてよかった」と思えるようになるのではないかと思う。


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