デート代論争の憂鬱

昨年の10月の投稿を最後にすっかりご無沙汰になってしまいました。
特に書きたいことが見つからず、年末年始の想定外の忙しさとも相まってほとんど放置していました。近い将来、独自のコンテンツを作るための足掛かりにと思って始めた割には早々に行き詰ってしまって自分の実力不足を痛感しています。でも、懲りずに更新は続けるつもりです。そんな中、個人的に物申したい話題が見つかったので久しぶりに書いてみたいと思います。

つい先ごろ、とある女性タレントがTwitterで「デート代は男が奢るべきだ」といった内容の投稿して物議を醸していたようです。主旨をかいつまんで話すと、女性はデートのために多額のお金をかけて身だしなみを整えてくるのだからその分のお金を男が出すのは当然だ、ということなのですが、この件については界隈の著名人からも疑義を呈されたようです。ある人は、いつもの常とう手段で論点をはぐらかして勝ち誇っていたようですし、またある人は右翼的な論理で非難していたり、はたまたある人は性差別意識を躊躇なくさらけ出して論破を試みていたりと。内心「勝手にやってろ!」と思いつつも、目にするたびに何とも言えない違和感を禁じえませんでした。

デートで女性に奢ることに何の躊躇いもない私にとって、この話題というのは価値観の問題でしかありません。だから、あえて是非や正否を問うことはしません。ですけれども、ネタを振った人もそれに絡んだ人も、相手への感謝や敬意というものについてどれほど考えていたのかは疑問です。というか、そういうものがないからこういう話が出来てしまうのではないのかな、と私は思うわけです。

そもそも、人に会うために身綺麗にするというのは最低限のマナーだと思います。第一印象から相手に不快感を与えないのが全ての始まりだと思うからです。そこに、男性女性の区別はありません。だから、「男は、女は、かくあるべき」といったような意見や、性は経済力との等価交換といったような考え方は、全く論点としてずれてしまっていると思います。ましてや、結婚して夫が他の女性と食事に行った時も夫がお金を出さなきゃいけないのか、なんていうのは議論の俎上にも乗りません。そういった発言に拍手喝采を送っている外野も、どうかしているのと思います。そういう意味で、私はこの論争は非常に不毛だと感じます。

また、デートをするということは、お互いがその人のために自分の時間を提供するということでもあります。それって、当事者にとって非常に大きな負担がかかることだと思うのです。そんなことをわざわざ自分のためにしてくれているというところに、感謝や敬意を感じないというのは大いに問題だと思います。

結局のところ、こういう話が出てきてしまうのは男女関係を上下関係で見ているからなのでしょう。世の中では、性別をめぐって様々な不平等や不公正が存在していますが、デートというワンシーンを考えたら立場は平等であるはずです。お互いを同じ労力を分かち合った者として認め合う、そんなところから出発しないと楽しいデートなんて成立しないと私は思います。

とはいえ、世の中の動向に触れるにつけて、日本人は相手を承認するということがとても下手なように感じます。私もその例に洩れません。頭ではわかっていても、言動で示すことがなかなかできない。そのような状況の中で、私が最近心掛けていることは「ありがとう」をちゃんと言うことです。どんな些細な事でも、自分のためにしてくれたことには「ありがとう」と伝えるようにしています。近ごろプライベートで立ち居振る舞いなどを褒められることが増えているのですが、それに対しても「ありがとう」は必ず言います。そういうことをやっていると、不思議と相手の褒めるポイントがわかってきたするのです。実際、私は以前より人を褒めることができるようになってきたと実感しています。自分と関わる方々への感謝の気持ちを忘れないこと、それが対等で円満な関係を築くことの第一歩だと思います。

ちなみに、昨今では身綺麗にしなければいけないのは女性に限った話ではなくなってきているようです。知り合いの女性から聞きましたが、女性も男性の肌の色つや、手入れの状態を厳しくチェックしているとのことです。今流行りの男の脱毛とまではいかなくても、洗顔料や化粧水、ハンドクリームなどは十分吟味して常備することは必須であると思います。

今日は、ここまでにしたいと思います。



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