Nostalgia

 不意に襲われる懐かしいという感覚は、はるか昔に閉じ込めてあった記憶の澱が、なにかのきっかけで掻き回され、表象に浮かんでくるものである。
 だいたいにおいてそれはセピア色に色褪せていて、色彩も、匂いも、物に触れたときの感触など、思い出せることはごくわずかであるにもかかわらず、杭を打ち込まれたかのようにそこから動けなくなってしまうものである。
 一般的にはそれを"Nostalgia"という言葉で表現したりする。この"Nostalgia"は実にそこここに転がっていて、何気なく散歩をしているとき、小説を読んでいてある情景が想起されるとき、昔なじみの友人とたわいない会話を交わしているときなどと、さまざまな場面でよみがえってくる。

 たとえば、いま目の前に果てしなく広がる大草原が展望されているとして、私はもちろんその景色を見ることは初めてである。にもかかわらず、照りつける太陽の熱さや、それを反射する草原の煌き、吹きつける風にそよぐ黄金のさざ波。これらがかつて私の身に起こったことのように錯覚され、あたかも過去に自らが体験したことのように思われてくるのである。
 遠くに忘れ去られたものを探ろうとして、迷路に迷い込むような感覚であろう。
 けっして追いつけないとわかっていながらも、追いかけてしまうのだ。やがてそれは幻影のようにあとかたもなく消えてしまうものであると知っていても、なんとかして、もう一度それを掴んで取り返したいとあがいてしまう。
 時間が不可逆的なものでなかったなら、それはたやすく行われたことであろうに。
 しかし記憶は刻々と遠ざかってしまっている。現在というこの時も、いつかは時間という波に押し出され、堆積して、またいつか忘れたころに、化石となって発見されるのだ。