新潮45、パワハラ、・・・。共通して欠けているのは「見所同見」

「新潮45」10月号の特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」。

多くの批判を浴び、内容に問題があったと社長名で談話を発表している。なかでも、最も批判を受けているのが、文芸評論家の小川栄太郎氏の論文で、LGBTを擁護するなら痴漢常習者も同じで、「彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか」などと書いた箇所だ。一方、女子体操の塚原副会長。フジテレビのインタビューで次のような趣旨の発言をしていた。相手が圧迫感を感じたら、それパワハラですか?そうなったら、世の中パワハラだらけですよ。さらに、まさに今。新幹線の中でこの文章を書いているのだが、後ろで大きな声で車内に声を響かせているオバちゃんたち。

これらすべてに共通しているのは、「相手の立場に立って考える」ことの欠如。自分の視点からしかものごとを見られなくて、相手から自分を見る視点が欠けている。痴漢にも触る権利がある。私は教え子のためを思って指導している。オバちゃんにどんな理屈があるのかわからないが、周りの迷惑どこ吹く風。共通しているのは、される側から自分を見ようとする視点が失われている。

以前セブン&アイの鈴木敏文さんの講演を聞いていて、印象に残っていることがある。「うちの会社では、“お客さんのために”という言葉は使わせません。“お客さんの立場で”と言っています」とおっしゃっていた。「お客さんのために」という時の主語は「私」で、「お客さんのために」と言いながら、結局自分のできることしか考えない、やらない。だから、“お客さんの立場”に立って自社を見て、お客さんが何を期待しているのか?を考えなさい、との趣旨だと記憶している。

約650年前のスーパープロデューサー、世阿弥が自分の劇団に書いた芸人論『花鏡』に「見所同見」とある。見所(観客席)から観客が自分をどう見ているかの視点を持って演じなさい、と言っている。これは鈴木さんと同じことだ。役者もビジネスパーソンも、自分がどう演じるか、何をするかは重要だ。しかし、もう一つ重要なことがある。自分が相手から見たら、どう見えるのか?どう聞こえるのか?この視点を持つことだ。

自動車王のフォードも、まったく同じことを言っている。「私に成功の秘訣というものがあるとしたら、それは他人の立場を理解し、自分の立場と同時に他人の立場からも物事を見ることのできる能力である」。自分目線のカメラだけでなく、他人の立場から自分を見るもう一つのカメラを持つ。この二つ目のカメラ、「見所同見」は、AIなどの科学技術が進歩しても、人間しかできない能力の一つなのではないか。人間を人間らしくしているのは、相手から自分をみる視点であり、それを想像する力だ。

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1809/19/news098.html

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO35638270R20C18A9CR8000/

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