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【考察】水星の魔女総括-2 魔女とはWitchだけ?

水星の魔女全24話を視聴しての総括、その第2弾です。

機動戦士ガンダム水星の魔女という題名の通り、「魔女」というのはこの作品において大変大きなキーワードの一つです。しかし、あの作品における「魔女」とは何か、というのはぼやけたものではないでしょうか?

しかし、水星の魔女の本当の「魔女」はもっと違うというか、もっと希望もあれば私たちへの深いメッセージもある。そういう存在だったのではないか。という考察です。

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。


そもそも魔女とは何か?物語における魔女


これはガンダムインフォにおいて
「異端者、マイノリティ側の人物が抑圧された自分を曝け出すような「声」がほしいと要望を頂いたので、」(GUNDAM.INFO 2022年12月3日 ■大間々昂コメント より引用 https://www.gundam.info/news/video-music/01_9684.html)
とあるので、水星の魔女においての「魔女」とは、「異端者、マイノリティの人々」です。

もっと言えば、差別されてきた人々、弾圧されてきた人々、搾取されてきた人々、そういう強者の社会で虐げられてきた人々であるだろうと思います。

それこそ、「魔女」として弾圧されてきた人々です。

そもそも魔女とは何でしょうか。

非常に激しい魔女裁判が行われたドイツでの参考資料を見てみると。
(参考:関西大学『独逸文学』第 49号 2005年 3月 史実の「魔女狩り」—魔女の幻影に怯えた人々— 奥田紀代子著 https://core.ac.uk/download/pdf/250303104.pdf)
(参考:立命館大学法学部特設サイト 本当にあった!ヨーロッパの魔女裁判。https://www.ritsumei.ac.jp/law/study/answer02.html/)

魔女。西洋社会において主に「キリスト教」の尺度において弾圧され、魔女と定義され、抹殺されてきた女性、もしくは男性、あるいは子供です。彼らは神ではなく悪魔を崇拝し、善き人々に自然災害などによって害を与えるもの、あるいは直接的に害を与えたり堕落させたりするもの。

1590年頃の迫害第一波。彼らはキリスト教以前の土着の信仰を守る人々を「魔女」と定義し、異教徒を排除する目的、また女性は男性よりも劣っているというキリスト教価値観のもと一般女性をもターゲットにし、「魔女裁判」を利用しました。
民間の人々についてはもう少し俗的で、当時の人々は「幸福の総量は一定であり、自分が不幸なのは誰かが幸せであるからである」と考え、その幸せを奪い取っているのが「魔女」であるとしました。

魔女とは男性も当てはまります。1630年頃の第二波では男性や子供の犠牲が増えていきます。それまでは女性の中でも老女が目立っていたのが、男性の魔女をも矛先に入っていく。

そして1660年頃の第三波。犠牲者は子供の方が多くなります。しかも彼らは「自分は魔女である」と自己申告をして、共犯者を必ず言わなければいけないという制度を逆手に取るように「この人も魔女だ」と告白をした。つまり自分の命を犠牲にして他者を道連れに殺すために魔女裁判を利用し始めた。

さすがにこれは異常だろうと、次第に魔女裁判は終息していくわけですが、始まりはキリスト教による異教徒狩りです。さらにドイツはキリスト教以前はゲルマン神話を信仰しており、それには北欧神話が含まれている、というか、もはや北欧神話ぐらいしか残っていないらしいので(キリスト教化してしまったので)

北欧神話において魔法(セイズ)を司るのはフレイヤで、大っぴらに使えるのは女性です。なので恐らく、第一波に迫害されたのはこのセイズを使う女性たちだったのでしょう。

そして北欧神話、とりわけ女神フレイヤは、宗教観の薄い水星の魔女において出てきた唯一の神であり、カルド博士は女神フレイヤの圏域の名をヴァナディースの研究フロントに付けているので、カルド博士にたちにとって第二の家であるフォールクヴァングは、女神フレイヤの強い影響を受けている場所であり、あそこは北欧神話の支配する場所である。

と見てみると、それを破壊したモビルスーツ開発協議会、そしてカテドラルは「ゲルマン神話をキリスト教化」し「異教徒を魔女として弾圧した」キリスト教がモチーフです。
※ただし、モビルスーツ開発協議会がキリスト教にのっとり~ではなく、あくまでモチーフであって、彼らの中のキリスト教のバイブルに相当するものはモビルスーツ開発におけるルールである、と思います。

だからPROLOGUEで行われたのは、北欧神話を信ずる人々をキリスト教聖職者たちが弾圧する、かつての魔女裁判であった、ということなのだなと。

実際、デリングは「これは道具ではなく、もはや呪いです」と、彼らの技術に対して呪術的な解釈をしているので、これは神々との儀式や魔法を「魔術」であり、これを行うものはすべからく魔女であると定義したかつての聖職者と、やっていることは似通っています。

このように、水星の魔女の「魔女」は西洋的魔女をかなり参考にしていると考えられます。

しかし、魔女は同時に「異端者、マイノリティの人々」であり、史実的には差別された女性たちが元々です。

そして差別され恐れられた女性というのは、西洋だけにいたわけではないはずです。

感情によって人ならざるものとなった女性たち


西洋の魔女は、キリスト教やゲルマン神話など、宗教が絡んでいるので、魔女の認定は信仰によるところが大きいです。

しかし、信仰ではなくただ感情の高ぶりによって人ならざるものへと変化し、人に仇なす存在となる女性がいます。

それは、東洋の女性というより、日本の女性です。

こんなお話があります。

平安時代の京に六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と呼ばれる女性がいました。皇太子と結婚した高貴な身分の女性ですが、夫とは死別し、いわゆる未亡人となります。そんな中、7つ下の絶世の美青年である光源氏に言い寄られます。ここの言い寄られている場面は六条御息所が、自分と源氏は身分が違うと袖にしているとされていますが、原典ではここの場面が抜けているとのことなので詳細は不明で、兎にも角にも二人は付き合い始めます。
しかし六条御息所は光源氏に対して本気で好きなのですが、光源氏はだんだんと六条御息所から距離を取り始めます。彼女は話していて一番楽しいと光源氏に言わしめるほど、教養やセンスがある美しい女性でしたが、プライドも相応に高く、プレイボーイな光源氏にとっては、もっと魅力的な女性はいるし、正妻葵の上も子供を宿しているので、もう六条御息所は光源氏にとって魅力的な相手ではなくなっていました。
そんな中、偶然光源氏の正妻が乗る牛車と鉢合わせするのですが、「愛人風情が」と正妻側の従者が無理やり六条御息所を押しのけます。大衆の面前で恥をかかされ、正妻との扱いの違いを見せつけられ、六条御息所はふさぎこみます。無事に赤ん坊も産まれ、正妻を憎む気持ちすら湧きあがり、急転直下、正妻は赤ん坊を産んでほどなく亡くなります。実は牛車で遭遇してから、六条御息所はふさぎこみすぎて意識もはっきりしない日も多く、そうした日は正妻に対して自分がつかみかかったり暴力をふるう夢を見ていて、もしかしたらあれは正夢で、自分は物の怪となって彼女を襲い、そして殺してしまったのではないか。それを裏付けるように、光源氏から六条御息所が物の怪となって妻を襲っているのを見たというのをほのめかす手紙が送られ、彼女の行為を「つまらないことである」と言われます。
やはり自分が正妻を殺したのだと確信した六条御息所は、皇太子との間に生まれた娘とともに伊勢へと離れ、二度と京に戻ることなく一生を終える。というところで、六条御息所の物語は終わります。

ということで、源氏物語の六条御息所。彼女はもしかしたらもっとも有名な情念によって人ならざるものへと化した女性ではないでしょうか。

彼女以外にも、鬼子母神は今でこそ神様ですが、元は自分の子供を失って狂ってしまった母親が鬼となり、人の子供をさらって食らったというものです。
男とその相手の女を恨んで、自分から鬼と化して彼らを皆殺しにした宇治の橋姫。
安珍という僧侶に一目ぼれし、最終的に大蛇となって焼き殺して入水自殺をした清姫。
などなど。このほかにも女性の嫉妬心や情念が妖怪と化したという話は様々あります。

このように、古来日本では女性は嫉妬などに狂い、物の怪と化して人々を襲うという考えがありました。西洋の魔女のように宗教的教義によって定められたものではありませんが、「人とは違うもの」であり「人に仇なすもの」として「恐れ」られ「差別」された。という点では同じです。

なぜ日本女性は人でいられなくなるほど嫉妬深いとされたのか、またなぜ多くは神として祀られることなく、倒されたり遠ざけられたり調伏されたりしてきたのか、というのはこちらの記事が興味深いので見ていただければと思いますが、鬼子母神などのわが子に関連していたり、山姥のような純粋な妖怪などもいますが、大半は嫉妬によるもの、特に恋愛感情を抱いた男性からの仕打ちや、男性を奪った女性に対する嫉妬によって、女性は物の怪へと変貌します。

水星の魔女においては、魔女について調べ、それらを参考に物語が組み立てられているとのことですが、魔女は差別された女性のアイコンであると大きく捉えれば、身近な日本の女性蔑視と、特別な力があるとして魔女と同じく人ならざるものへと貶められてきた彼女たちのことも、同じように調べたのではないか?と。

と、思うのは、西洋、すなわちヨーロッパ文化圏だけだと偏りが大きいだろうというのと、やはりわたくし、ラウダたちジェタークの関係性とテーマを見ていて、彼らは男性によって狂わされ魔女となった日本の女性を表現しているのではないか、と思ったからです。

23話はラウダ六条御息所グエル光源氏による能舞台「葵上」だった


まーたとち狂ったことを!なんですが。

総括-1で、グエルとラウダは男性社会の光と影を象徴するキャラクターだったのではないか、という考察をさせていただきましたが、女性を排除して男性のみが長らく支配している業態があります。

それが日本の伝統芸能です。歌舞伎と文楽(人形浄瑠璃)は男性しか舞台に上がれませんし、表題の能楽は第二次世界大戦後まで男性のみが演者でしたので、女性にも開かれたのはつい最近と言えます。

このように、日本の伝統芸能業界、特に舞台はまだまだ男性のみの世界です。そして水星の魔女のおおもとのモチーフは、西洋演劇のテンペスト。西洋の演劇と、日本の演劇ということで、これも恐らく調べられただろうテーマです。

その中でもなぜ能楽の葵上なのか、ということですが、これはまさに先ほど紹介した六条御息所が主人公で、彼女の生霊を調伏する演目だからです。つまり、嫉妬に狂った魔女を退治するお話です。

能楽の葵上はすこし話が違います。

正妻である葵の上はすでに病に臥せっており、その回復のためにあらゆる手段を試す中、物の怪によるものでないかと考え、巫女が物の怪の正体を明らかにするところから始まります。
そうして現れた六条御息所の生霊は、正妻とのひと悶着と光源氏のつれない態度による怒りや悲しみを訴え、彼女の姿を見るだけで嫉妬にかられて殺したくなり、実際にそうしているのだと明かします。自分たちでは六条御息所を止められないと、光源氏の部下たちは高名な僧侶へ助けを求めます。僧侶がさっそく祈祷すると、六条御息所の激しい嫉妬心から彼女を鬼女へと変え、般若と化します。それからは激しい怒りによって舞う六条御息所と、彼女を鎮めようと祈祷を行う僧侶の声とが響き、ついに六条御息所は仏法の力によって調伏され、成仏し、幕引きとなります。

生霊が成仏ってどういう…とは思いますが、源氏物語では六条御息所は正妻をとり殺してしまったのに対し、葵の上においては正妻は死なず、六条御息所が代わりに成仏します。なので葵の上では正妻は恐らく生き続けることができるのでしょう。六条御息所を殺して。

ところでこの物語と関係性、特に2期からのジェターク兄弟を取り巻く関係性と似ていませんか?

六条御息所はラウダ、光源氏はグエル、光源氏の正妻はミオリネ。グエルとミオリネは婚約者=将来の正妻関係となり、ラウダはそんなミオリネを強く激しい感情から殺そうとした。それを止めに来たのは高僧ではなく光源氏であるグエルで、グエルはラウダが命を削っているのを止めようと祈りにも似た訴えで対峙し、ラウダはそんなグエルに自分の感情をぶつけて戦った。

ただし彼らの関係性や感情は葵の上とも光源氏とも違います。

グエルとラウダは幼いころから一緒の同い年で、ミオリネはグエルの正妻として収まるポジションの女性ではない。なので多分にアレンジされていて、それはこういうものだったのではないか、と私は見ています。

光源氏(グエル)、六条御息所(ラウダ)、正妻葵上(ミオリネ)として、見ていきましょう。

光源氏(グエル)は、葵上(ミオリネ)と、水星の魔女の最初から婚約者=将来の夫婦関係として登場しますが、そのもっと前に六条御息所(ラウダ)と出会っています。なので、光源氏が葵の上と結婚してから六条御息所と出会った源氏物語とはそもそもの前提条件が異なります。

内心の関係性についてもそうで、光源氏(グエル)は六条御息所(ラウダ)と将来の夢を共有していて、六条御息所(ラウダ)は終生光源氏(グエル)を支えていくつもりで、光源氏(グエル)もそれを当然に思い、頼りにしている。つまり、内心においてはこの二人は愛人というより、一生涯を共にするパートナーであり、葵上(ミオリネ)よりもずっと正妻に近い関係性です。本編でも、「これは兄さんだけの戦いじゃない。ドミニコスのエースパイロット、諦めてはいないんでしょう?」「ああ。俺は、必ず勝つ!」と、ミオリネはグエルにとって得たいものではないし、関係性も冷え切っているので、光源氏(グエル)自身も正妻は葵上(ミオリネ)ではなく六条御息所(ラウダ)である、と考えています。(一生涯を共にする=概念的夫婦として)

ところが、六条御息所(ラウダ)は光源氏(グエル)を裏切った。実際六条御息所(ラウダ)は、あくまで自分は光源氏(グエル)のよき理解者で正妻ではない=最も愛するものではない、と思っているので、光源氏(グエル)が避けるという妻を不安にさせるような態度を取っても、それに対して何も言ってはくれなかったので、二人は関係がこじれた。なのでこれ、六条御息所(ラウダ)の方が心変わりをして光源氏(グエル)が傷つくという、真逆の結果になっているんですよね。

そして光源氏(グエル)は六条御息所(ラウダ)を遠ざけるのではなく、自分から離れていくことを選んだ。正妻である葵上の元にいて六条御息所の元へ訪れないことで関係を断った光源氏とは違い、光源氏(グエル)自身が六条御息所(ラウダ)から離れて逃げた。
そのことは六条御息所(ラウダ)を悩ませはしましたが、まだ狂わせるには至らなかった。六条御息所(ラウダ)はなにせ、光源氏(グエル)の心が自分から離れてもそれは仕方のないことだと考えているので(ラウダがスレッタにイライラしているのはグエルにふさわしい相手ではないから)。

しかし逃げて行った先で幸せが待つことなく、父親を殺してしまい光源氏(グエル)は自分は無価値で生きている資格すらないと悔恨します。

自尊心を失った光源氏ということで、このまま物語は終わるところでしたが、光源氏(グエル)にはまだ守るべきものである六条御息所(ラウダ)いて、彼のために戻ることを決めます。

六条御息所(ラウダ)としては、いなくなった光源氏(グエル)が戻ってきてくれたのですから、舞い上がるほどに喜ぶ事態でしたが、ところが光源氏(グエル)は葵の上(ミオリネ)を再び婚約者となり協力者となったのは良くても、自分を助けてくれる仕事上のパートナーとしても葵の上(ミオリネ)を側に置き六条御息所(ラウダ)を遠ざけ始めるのです。

六条御息所(ラウダ)は光源氏(グエル)の正妻になるつもりはありません。しかし、仕事上のパートナーの座については誰にも渡す気はありません。六条御息所(ラウダ)は自分が寵愛を受けて報われることに興味はなく、ただひたすら光源氏(グエル)が望むように生きられることを望んでいるので、直接彼を手伝うことのできるポジションを明け渡したいと願うはずがない。
光源氏(グエル)としては六条御息所(ラウダ)を守るための処置だったのですが(多分)、そんなもの六条御息所(ラウダ)が望んでいるわけもなく、また本当のところ光源氏(グエル)も六条御息所(ラウダ)のサポートに不足を感じていたわけでもないので、双方ともに不幸な選択なのですが。

しかしそれでも六条御息所(ラウダ)が怨霊と化すには足りない。彼にはまだ守るべきジェタークの子供たちがいて、彼らを託された責任があるから。

それでも、葵の上(ミオリネ)の大失策と、光源氏(グエル)がずっと自分に隠していた罪を知って、ついに六条御息所(ラウダ)は怨霊となり、その身を鬼(Gund-armパイロット)へと変えます。

さぁ、ここからがいよいよ舞台「葵上」の幕開けです。

狂気と嫉妬と怒りとに支配された六条御息所(ラウダ)は葵の上(ミオリネ)を殺すべく現れる。それを止めたるは主役である光源氏(グエル)。自らも鎧兜に身を包み、暴れ狂う鬼女に一歩も引かぬ大立ち回り。
ついについに、一念通じ、鬼女と化した六条御息所は光源氏手ずから引導を渡され、成仏しましたとさ。めでたしめでたし。

とはならない。

グエルがラウダのことを止めたのは最初こそミオリネが危険で、船の仲間の命が危険にさらされたからですが、ラウダがスコアを上げる前から船を守ろうというのはあまり考えておらず、とりあえず避けて思考を整理しようというような動きを見せます。

そしてラウダが本当にスコアを上げる、すなわちもう戻れない人ならざるものへの領域まで踏み込めば、彼の正当性ではなくラウダの命を心配し、ラウダからの「なぜ父さんのことを黙っていた!?」という一連の問いに、「俺が全部背負うべきなんだ!」と答えているので、これには「お前がこんなことをしなくてもいい」という意味も含まれていて、やはりラウダを止めたいという思いで終始一貫しています。

最後にグエルが選んだのは、ラウダを命を懸けて止めて、自分の恥ずべき本当の秘密をラウダに吐露することです。そして仏法ではなく、グエル自身の言葉によってラウダはパーメットの接続を切り、自分の命を削ることをようやくやめます。
グエルの一番愛する人にはなれないと諦めていたのに、グエルは自分の命を捨てられるほど、死が間近に迫っていてもラウダの命を助けるためならば逃げないことを選べる、それほどまでに自分を愛しているのだと、初めて理解することができたから、ラウダはグエルが何を考えていて行動していたのか、自分が何をしてしまったのかに気づいた。

光源氏(グエル)が六条御息所(ラウダ)を、鬼として調伏するのではなく、鬼から人間に戻す。めでたしめでたし。

にもならない。

鬼とは遠ざけられ退治され調伏されるものであり、許されるものではない。もう不可逆な変化です。

鬼となった六条御息所は死ぬのが筋です。

その筋書きを歪めた光源氏(グエル)は、抹殺されなければならない。そうして、グエルはそれを受け入れた。光源氏(グエル)が六条御息所(ラウダ)の代わりに死ぬという幕切れだから。

ところがどっこい。それもそうは問屋が卸さない。

光源氏が死ぬという美しく悲劇的な最後なんて「笑えない!」と、舞台外からよりにもよって女性(フェルシー)が殴りこんでくる。

ジェタークの物語というのは、グエルとラウダの物語で、フェルシーたちは傍観者や、裏方として手伝うことはあれども、二人の意思決定や物語にほとんど影響を及ぼさない。二人だけでも話は回るんですよ。葵上も登場するのは、主役である六条御息所と対峙する高僧で、他は場面のつなぎにちょこっと現れるだけです。

しかし、最後の最後に、彼女が外から割り込んできて、その舞台をめちゃくちゃに壊す。悲劇的な物語?美しい幕切れ?知るか。そんなもの
「兄弟喧嘩で死ぬとか、マジ笑えないっすから!!」

で、これって男性のみで構成されている組織である、日本の伝統芸能世界に、その輪から弾かれてきた女性が、あろうことか舞台に殴りこんできて、ずっと変わることのない古典的演目の結末を悲劇からハッピーエンドへ180度変えてみせた、ということにもなります。

グエルとラウダだけでは、伝統芸能世界の構成員であるからどんなに嫌でもその中のルールから逃れることができない。しかしフェルシーたちは役者ではなく、舞台に上がることすら許されない、ある意味で部外者なので、役者たちが壊せないルールを壊して、それに縛られてしまった二人を助けることができた。

これの前に、グエルとラウダは男性社会の光と影を背負ったキャラクターであり、そのくびきから解き放たれることがテーマなのではないかと言いましたが、まさにこれはうってつけの舞台であり、違和感のない落とし込み方だと私は考えました。

水星の魔女がテンペストという西洋演劇の演目がベースなので、そもそもあの世界はすべて「舞台」であること。
日本の伝統芸能の特に演劇というものは、未だに男性のみで構成されがちであること。
それが女性という外部の力によって変わるということ。

日本の魔女=鬼として女性の負の面を背負ったラウダと、間違っていても格式あるだとかごちゃごちゃ言って変えられない男たちに水を浴びせて間違いを正させる女性の陽の面を背負ったフェルシーと。

それらが包括され描かれたのがあの23話なのではないか。
だからすごい情報量なんですよね、あの23話は。一時停止しなければわからないコマとコマの隙間もきっちりと描かれているのでぜひ見ていただければ…。

ここまで言って、ジェタークは別に、グエルが武士らしいと世間では評判だけどそれだけで、特に日本らしい描写なんてされてないだろ。ニカの方が直球で日本人じゃん。というご指摘はごもっともです。この二人もヴィムも全然日本名じゃないですからね。

しかしモビルスーツに目を向けてみると、改修されたダリルバルデとシュバルゼッテは、ど直球に刀モチーフのサーベルを装備しています。

そして、最終的にグエルが乗った彼専用のディランザですが、これもまた日本的なモチーフが使われています。

それがこの槍です。ビームパルチザンとプラモデルでは名称が書かれていますが、パルチザンってここまで露骨に十字を切った槍ではないんですよね。
ここまでのものはどちらかというと、日本の十文字槍に近いのではないか?と。

イギリスロンドン塔の衛兵隊ヨーマン・ウォーダーズ(ビーフィーターズ)
正式装備がパルチザン
参考画像
室町時代末期「牛角十文字槍」

他にも、頭のすこし外に出た丸みを帯びた部分が兜の縁(錣)に似ている(ような気もする)し、頭の角はラウダも結構大きくて目立つので、兜の前立てのようなイメージになり、ジェタークの特徴的な顔は兜の面頬のようにも見えなくもない。

錣(しころ)とは、兜の後頭部から首にかけての部位を守る目的で付けられた物
面頬も種類があるので、顔の半分を覆う目の下頬か半頬のどちらか

ダリルバルデは特に初期の槍を携えているのは西洋チックな印象を受けますが、武装が刀に代わり、グエル専用ディランザと同じく両肩の盾は鎧の大袖のように上半身を保護しています。

そしてシュバルゼッテは、ガンダムのブレードアンテナにしてはずいぶんとしっかりとした、しかし小ぶりな二本の黒いアンテナ。黒い色も、二本額から突き出ているというところも、それこそ鬼であり、般若面にとてもニュアンスが近しい。

シュバルゼッテ、私は最初に見たときにどうも和風なイメージを抱いて、なぜかと思ったのですが、足の部分が足袋のように私は見えていて、牛の足がモチーフなのでしょうが、指の間がそれほど広くなく、きゅっと足先がすぼまった足の形は、鼻緒をつかむ爪先に似ているなと(私が着物に親しんだ環境故かもしれませんが)。

それから片翼のようなこのガンビットの構え。これも盾ビットを要とした扇子のように見えなくもない気がしないでもない。能楽において扇子というのは舞や所作、武器などの表現に使う大事なアイテムであり、実際に高貴な女性は、御簾越しや扇子を隔てて逢瀬を行うもので、シュバルゼッテの顔がデンとクローズアップされている場面において、扇子で顔を隠し、その隙間から相手をうかがうような構図になっている。これは特に「家族以外の男性」と会うときの所作なので、ラウダが六条御息所として光源氏であるグエルに怒りをぶつけているという意味であるとともに、兄を大切にして反抗などしてこなかったラウダが、兄弟でなくなってもいいという覚悟でここにいる、という意味も込められているのかもしれません。

他にも、くるくると舞うようにディランザに迫ったり、だらりと手足を下げた姿は幽鬼のようであり人形のようでもあり、随時止まってポージングをする、ということもよくするので、舞を行う能楽、人形を使う文楽、見得を切る歌舞伎と、動作すべてに日本の伝統芸能のエッセンスが詰め込まれている。

※ちなみに舞台葵上の六条御息所の衣装は通常上が白地に金の模様の着物、下が黒い縫伯(腰巻)なので、これも白と黒のカラーリングのシュバルゼッテと合っています。

実際にデザインをされたのは刑部さんですが、自身もイラストを描いて細かく監督が指示を出しているとのことなので(2023年9月発売ガンダムフォワード参照)こういった意味が込められている可能性はあります。あと小林監督、描写はするけれど自分の考えをあまり明言しない人なのではないか?となんとなく感じるので、刑部さんへの指示に意味が描かれていなかった=そういった意味はない、とも取れないのかな~と。詳しくはまた3回目あたりでやろうと思いますが(主にグエル周りがわかりやすいので)、ここではそういった可能性がある、という私の考えとして受け取っていただいて。

ジェターク、特にグエルとラウダの兄弟には日本的エッセンスが入れられていて、それは伝統芸能舞台演劇世界を表していて、悲劇である葵上を題材にしつつ、鬼と化した六条御息所を殺すのではなく、六条御息所を鬼から人へと戻し代わりに光源氏が犠牲となるところを、日本の伝統芸能世界には本来関われないはずの女性たちが悲劇を止めて、悲劇を幸せな結末へと変えた。

というモチーフも含まれていて、それまで関わることができなかった女性が最後に悲劇から幸せへと変える、やはり男性社会の有害な部分からの脱却の物語であり、そもそもそれが起きたのもグエルがラウダを守ろうとしていた、男性社会のカルチャーに抗っていたからでもあり、二重三重にこの問題を扱って層を厚くしていたのではないかなと。

…と、考えると、やはり23話もすこし物足りないというか、2期に入って全体的にメッセージが弱くなっているのでなんとも言えないのですが。

止めに来たのはフェルシーだけなのですが、ここは本来ペトラがいたのではないか?と。いやコクピットに一緒に乗っているのではなく、メカニックとしてディランザの武装を攻撃用のものから救護用のものへと変換し、どのタイミングで介入するべきかのスポッターとして行動を共にしたのではないか?と。

というのも、このテーマであるとすれば、女性であるペトラがフェルシーと一緒に出てこないのは違和感であるし、ストーリーとしてもペトラがラウダの秘書であったり私生活でのパートナー?関係になっていましたが、それがジェタークの物語に何かを及ぼしたかというと、ほぼ何も及ぼしていないというか、ペトラがいなくとも成立するのではないかと私は思うんですよね。

ペトラが足を失うというのも、彼女が失うことに意味があるのかと言われるとないというか、これ見よがしに片腕や臓器?を失っているネームドキャラであるオルコットがいますし、ペトラがラウダを愛することはまぁなくはないとしても、彼女はまずグエルを尊敬している仲間でもあるので、ラウダだけに好き好きになって夢中になるというのは、元々の彼女の芯というものがブレているように感じるんですよね。

それに秘書として行動を共にするというのも、2年生でまだ授業があるのに仕事に拘束するのも、付き合いの長さという点でも、ペトラよりはむしろカミルの方が適任だったのでは?と。

授業がそれなりに空きコマになるであろう最終学年で、3年間同じ学園に通いモビルスーツを整備してきて、兄弟にとって最も近しい同性の友達というのはカミルで、ペトラはもう少し遠い。

それで、秘書として友達として深くラウダと関わるのはカミルだとすれば、やはり舞台に直接影響を与えるポジションにいるのは男性、ということで一貫性も生まれますし。

主役級の男性二人、その間でカバーする男性一人、それを見ている女性二人。

ミオリネとスレッタがテンペストをしているのなら、グエルとラウダは葵上を演じていた。

しかし葵上の舞台はフェルシーたちによってご破算になり、舞台が消滅したことで演者であったグエルとラウダもまた役から解き放たれる。

ということで、ラウダは今度こそ恐ろしく倒されるべき鬼女ではなく、愛する人によって救いを得て運命からも解き放たれた「魔女」として、スレッタたちテンペストの舞台へと合流して、彼女たち西洋世界の魔女の、魔女とはすべて火あぶりになるべしという決まりから解放する、そういう来訪者としての役割になったのではないか?と私は推測しています。

魔女とされた子供たち


水星の魔女ではガンダムに乗る子が複数登場します。

偶然ガンダムに乗ったエリクト。エアリアルというガンダムと家族同然に育ったスレッタ。ガンダムパイロットとして拾われ調整されたエラン。地球の孤児であるガンダムパイロット、ソフィとノレア。自らガンダムに乗ることを選んだラウダ。

全員異なる事情、異なる境遇で共通点などないように見えますが、全員何かしらの「不遇」を抱えている弱い立場の人間であるというのは、恐らく共通しています。

エリクトは、生まれこそ愛情ある両親のもとに生まれましたが、幼い頃からヴァナディース機関のフロントにいて、親の勤め先があまり良くない状況に追い込まれているせいで家族と過ごすことよりも仕事優先になってしまったり、そのフロントごと襲撃されて父親も家族代わりだった人々も全員落命。母親と水星という辺境の地に身を寄せるものの、耐えられず死亡してしまい、ガンダムルブリス試作型へと吸収されて延命。それからは人間ではなくモビルスーツとして生きることに。

スレッタはそれこそエリクトを助けるために生み出された、初めから魔女として母親が作り出した子供、いわゆる道具です。

エランは自由な身分と引き換えに、命の危険のあるガンダムパイロットとして訓練され、すでに3人が亡くなっているガンダムに乗り続けなければならず、さらにエランの影武者として顔も、記憶すらも奪われてしまった。

ソフィとノレアは最初から親のいない孤児として、恐らくガンダムパイロットとして訓練され、そのまま戦闘にも出された、少年兵です。

ラウダはこの中では一番特殊で、一見すれば生まれも悪くないどころか最上級で、血のつながった父親と自分を庇護してくれる兄を持っていて、何もマイナスなところなどないように見えます。しかし彼はそもそも愛人の子供で、その母親も彼を捨ててそれまでの環境とは全く違う家へ引き取られて、正妻である兄の母親も恐らく自分のせいで家を捨て、父親はどんどんDVに走るようになり、兄はストレスで粗暴で粗野な性格になっていって、自分はそのバランサーとして気を配らなければならなくなってしまった。

エリクトはGund-arm開発を巡る大人たちのとばっちりを受けた。
スレッタは愛する母親からの愛情は、実は人間ではなく道具へ向けるものだった。
エランは弱者につけこむ強者によって食い物にされた。
ソフィとノレアはそうしなければ生きていけない社会の犠牲となり。
ラウダは家庭のひずみを一手に引き受けざるを得なかった。

全員が全員、何らかの力による犠牲を強いられている。

スレッタへのプロスペラの愛情は「魔女に育てた覚えはないんだけどな~」という発言もありますが、プロスペラはスレッタへ「戦うこと」を要求しています。しかし本当は、
「 スレッタのお母さんは、僕の開発者で、ガンダムのテストパイロットでもある。 
 そのせいか、お母さんもスレッタも、この類のゲームが得意だ。」(© 創通・サンライズ・MBS 機動戦士ガンダム水星の魔女公式ホームページ 大河内一楼著「ゆりかごの星」より引用https://g-witch.net/music/novel/)
プロスペラは戦うこともできるし、六歳時点ではありますがそれはスレッタよりも優れている。戦おうと思えば戦えるんですよ。

しかしプロスペラは、スレッタに人を殺すことを要求する。自分たちを、ミオリネを守るためにと囁いて。

もしあなたに大切な守りたい存在がいるとして、自分はその大切なものを守るだけの力を持っている。だったらその大切なものを守るために自分が戦うことを選びますか?その大切なものに戦わせますか?少なくとも、私は自分が戦うことを選びたい。そしてミオリネとエリクトもそうです。ミオリネもエリクトも、スレッタがこれ以上戦うことのないように力を取り上げ突き放した。

けれどプロスペラは真逆です。いくら自分よりもスレッタの方が強くとも、できる限りのことをしたいと願うのではなく、最初から彼女を戦わせ、血みどろの道を歩ませることを選ぶ。

スレッタをリプリチャイルドとして作り出すのもド直球に彼女を道具としたことではありますが、それから17年間を共にしても、彼女をエリクトの覚醒のための道具として扱っていることは変わりませんし、実はプロスペラは最愛の娘であろうエリクトですらそう思っている。

なぜエアリアルに武器を持たせているのかといえば、「戦わせるため」です。そしてスレッタをエアリアルに乗せるとはすなわち、スレッタの殺人の道具としてエリクトを使わせるということです。

アーシアンの兵器をオーバーライドさせて攻撃させ、自分が持ち場を離れてルブリス試作型を破壊するための口実に使い、そしてルブリス試作型を破壊したことでアーシアンは自分たちにスペーシアンから攻撃を受けたと判断して反撃し、スペーシアンは突然アーシアンが攻撃してきたので迎撃し、戦乱の火ぶたが切られたせいで、恐らく何百人もの死傷者が生まれ、クインハーバーは火の海になりました。口火を切った最初の最初は、プロスペラのオックスアースへの復讐のためです。

宇宙議会連合の艦隊を破壊したのも、数百人単位で確実に人が死んでいる。

そうした殺戮をプロスペラはエリクトに嬉々としてさせているんです。「ありがとう」と言って、彼女を盾と矛にしてクワイエット・ゼロを守る。エリイに自由な世界を、と言い、本当にエリクトを助けたいのでしょうが、やっているのは自分たちの代わりに邪魔者をすべて消してほしいという、自分の娘に願うにはあまりにも血なまぐさい道です。

それを母親が娘に願っている。親が子に要求している。親から子供へのこうした理不尽な要求も、強いものから弱いものへの暴力です。子供と親では、特に成人前はヒエラルキーは圧倒的に親が高い。お願いは命令に近く、嫌だと思っても丸め込まれる。ちょうど12話のスレッタのように。

とまぁこのように、Gund-armのパイロットになった子供たちは、全員何かしらの力に虐げられてきた子供たちです。

魔女とは差別されてきた人々でもあるので、まさにその側面を表している。

ただし、魔女とは差別されてきたかわいそうな人々だけではありません。中には魔女であることを利用したり、魔法を悪用して実際に社会に害をなしている魔女もいます。

それは、水星の魔女の世界においてもです。

悪い魔女


魔女と言えば「差別された人」、「冤罪によって処罰された人」という、何の罪もない人々が冤罪で殺された悲しい歴史の代名詞のようですが、実際に「魔術」や「薬」などで社会に害を与えた人々もいます。

フランスのルイ14世治世の時代、ヴォワザンという女性がいましたが、彼女は媚薬や堕胎薬を煎じ売っていて、黒ミサもしていた魔女です。毒薬も作っていて、彼女の顧客やノウハウを学んだ人は宮廷の中にもいて、ルイ14世の愛人だったモンテスパン夫人ですらその一人で、実際に媚薬を使用したり、ルイ14世の新しい愛人を呪い殺そうとしたり、当時の宮廷世界を揺るがした大スキャンダルを巻き起こしたのですが、具体的なものは割愛して。

このように魔女は全員が全員被害者ではなく、実際に悪事をなす人々もいた、やはり恐ろしい側面を持った存在でもあります。

で、この恐ろしい側面を持った魔女というのが、作中でも最低二人います。

それがプロスペラとベルメリアです。

ベルメリアは悪気はないというか、彼女自身は魔女であるという自覚もないのですが、やっていることは邪悪な魔女そのものです。

ベルメリアはエランたちの体を直接手を加えて強化人士として作り変えるという、この時点でもマウスではなく人体を操作するという倫理観が飛んだことをしているのですが、さらに彼らの命を使いつぶしています。

そうするしかなかったと言いますが、カルド博士はベルメリアの人体を作り変えてGund-armに耐えるというコンセプトは、はっきり止めているので、彼女の研究に先がないことはわかりきったことであり、ベルメリアがずっとこの研究をしているのは、それをアピールしてペイル社に雇われたのもあるでしょうが、Gund-armの技術や知識についてはヴァナディース機関で働いていれば最低限持っているはずなので、自分の仮説にこだわって固執しているのはベルメリアの意地なのではないかと私は見ています。

彼女は自分がやっていることは間違っていることだとは思っているようではあるのですが、「恨み言はやめて」「やめて!」「違う、私は…!」「わからないの」「あの時死んでいれば…」「ごめんなさい」とか、私が私がで、強化人士たちに対する謝罪もこのタイミングなので、彼らに対するものなのかそれともヴァナディースの仲間に対するのかは微妙で、自分がやったことがどれだけの大きな罪であると本当にわかっているのかというと、そうとう微妙なんじゃないか…?と。

この崩れ落ちるのも、わざわざ一歩引いて机から距離を離し、
膝を強打しないようにゆーっくり下ろして(本当に笑っちゃうほど遅い)
膝をついたら足首を外に向ける。
ただ崩れ落ちたんじゃなく自分が怪我をしないようにすんごい
気を遣ってるようにしか見えないんですよね私には。本当に反省してる??
それで最後には泣き落としと。…うん

正直やっていることはGund-armに命を吸わせるのとはまた別ベクトルでヤバいんですよね。何をしているのかは知りませんが、やっているのは人体実験ですし、死ぬまで実験をしているので、人間にするにはあまりにも非人道的です。

ペイル社がそうさせている、ということをベルメリアは言うでしょうが、先ほども言ったようにそもそもカルド博士が彼女の研究は認めていない、進めさせてすらいないので、それを承知の上でペイル社に付き従ったのはベルメリアです。

この点で、彼女は本人がいくら否定しようが魔女です。人に害をもたらすとわかっていて、止めてもらっていたのに、自分の欲望を優先した。

プロスペラはもっとわかりやすく魔女です。先ほども言ったように彼女は母親でありながら、娘たちに血にまみれた道を歩むことを強制している。

他者に破滅をもたらし、何人死のうが関係ない。自分の悲願を叶えるためならば、大人はもちろん子供でもだれでも利用する。

ベルメリアとは厄災の規模も違うし、彼女は自分が悪であることを自覚している、まさに世界を破滅させる魔女です。いや、自分こそが正義であると認識しているかもしれませんが。彼女にとって絶対の悪はデリングでしょうから。

いずれにせよ、彼女は止まることなく突き進み、厄災をまき散らす誰にも止められない魔女であることに変わりはない。

彼女たちは確かに虐げられてきたものではありますが、今では逆に他者を虐げる側に回り、そして魔女を作り出しているものたちでもある。魔女めと後ろ指を指され、苦労してきた彼女たちが、今度は逆に弱い立場の子供たちを魔女に仕立て上げている。

これもまた負の再生産として、非常に重たいものです。魔女は生まれついての魔女なのか、周りが魔女を作り出すのか。

しかし、水星の魔女における「真の魔女」というのは、また違う。本来の魔女と同じように、虐げられるような意味を持つものたちではなく、むしろ畏怖されるべき存在です。

真の魔女の要件


んじゃあ真の魔女って何よってところですが。

そもそも魔女とは、魔女単体で活動できるものではありません。

魔女とは必ず、人ならざるものの力を借りるものです。

キリスト教が定義した魔女は、「悪魔」と契約したものです。悪魔と契約したから、魔術を使うことができるし、知識も薬の作り方も、悪魔がもたらした知識です。

キリスト教以前の、それこそ北欧の魔女も、女神フレイヤから力を与えられた特別な女性です。

つまり魔女には必ず、神や悪魔がセットで存在している。

水星の魔女というSF世界で神や悪魔?非科学的なと思いますが、それに近しいものは存在しています。

それがガンダムのAIです。

あの世界のモビルスーツはすべてAIで制御されています。AIとは人工知能です。自ら考え行動する、思考能力を持ったプログラムです。

ならばGUNDを搭載したGund-armは、もはや「人間」と遜色のない、知性を、思考を、心を持つことは可能なのではないでしょうか?

GUNDとは、例えば腕や足のような四肢を補うものでもありますが、臓器の代わりにもなります。臓器というものは、どこからどこまで可能なのか、さすがに脳の運用はされてはいないでしょうが、パーメットとは情報を共有する性質を持っています。

この情報を共有するというのは、生物の細胞と非常によく似ているのではないかと私は感じています。人体とは細胞の集まりであり、神経細胞はそれこそ情報を伝達する組織で、臓器というくくりでも日々脳や他の臓器同士で情報を送りあっています。例えば満腹であるとか、塩分過多だから多めに塩分を排出してほしいとか。

そしてGund-armに搭載されているGUNDとは具体的にどこに搭載されていて、形状は何か、というところはまだ明かされていません。私的には頭部が破壊されてしまうと何もなくなってしまうので、一番傷つく心配がなく、これ見よがしに映されている脊髄がそうなのかと思っていますが、これだけ巨大なGUND、そして脊髄という体全体をつなぎ神経が密集している部分。ここにパーメットの情報を共有する性質と、AIという人工知能が組み合わさり、巨大な脳となって機能する。そういうことは、まぁ少し不思議な世界においては、ありえないことではないのではないでしょうか。GUNDのことについて、すべてを把握しているのはカルド博士だけしかいないのですから。

そしてそのカルド博士はルブリス試作型を「赤ん坊」と称しています。自分が製作者である、一種のマッドサイエンティストのような心地で製作物を「わが子」と呼ぶこともありますが、カルド博士はルブリスがレイヤー33にパイロットを繋げないことを「この世界は怖くないって教えてやってくれ」と、ルブリスが世界を怖がっているからだと判断していて、赤ん坊であるルブリスにとってはお姉ちゃんであるエリクトに「教えてやってくれ」と頼んでいるので、本当にルブリスをわが子として扱っています。

このルブリスにはまだエリクトは入っていない、人間の意識は介在していない。しかしカルド博士はこのAIしか入っていないプレーンなルブリスをして、赤ん坊として扱っていますし、ルブリスは特別です。何が特別なのか結局わからなかったのですが、後継であるエアリアルが外装ではなく内側に秘密があるということは、内部のGUNDか、ソフトウェアであるAIの方に秘密があります。

GUNDに秘密があり、ルブリス試作型のGUND系列のみが特別であるとすると、それだと最終回で虹色のパーメットを宿したのがシュバルゼッテはともかく、そこまでのGUND技術のないペイルとベルメリアが作ったファラクトもあるということ、GUNDは特別な技術知識もない学生も開発できる、お金も手間も必要ない手軽さが売りですし、問題があるのはGUNDではなくGUNDを軍事転用するGund-armにあるので、GUNDそのものに対するものではないはず。

では高度なAIにあるのだとすれば、ファラクトのパイロットである4号ではなく、シュバルゼッテのパイロットであるラウダが生き残った理由にもなります。

ジェターク社は他に先駆けて第五世代の意思拡張AIというまったく新しいAI技術を取り入れているので、高度なAIを搭載しています。そしてこのAIは
「ベイズ予測では、新しい情報が手に入ると、それを反映した新しい理論モデルをつくりだす。学習する予測だと言える。ジェターク社の開発チームは複数の異なるAIを組み合わせることで、従来よりも正確で、より未来まで予測できるAIを開発したと自負している。」(kindle版 小説 機動戦士ガンダム水星の魔女1 高島雄哉著 p.161 より引用)
とあります。

学習するAIということで、ここも人間的ですが、複数の異なるAIを組み合わせることで、とあるので、矛盾思考もできるのではないかと思います。例えば右を行く方が確実にいいことがあるが、左に行くという判断も受け入れられる。

特にダリルバルデは、「次世代のドローン(遠隔操作無人機)兵器技術をモビルスーツで運用することが最優先課題に上げられた」(Ⓒ創通・サンライズ・MBS BANDAI SPIRITS HGダリルバルデの説明書から引用)とあり、明確にドローンを操作するサポーターで、操縦権がグエルにある17話でも恐らく死角からの攻撃を勝手に避けています。(レネが「んだよあの動き!」と言ったり、グエル自身が驚いているので)

このことから、ダリルバルデに搭載されているAIは、「パイロットが取りうる動き、気づくだろう動きや可能性をすべて予測し、だからこそ気づかない動きというのがわかるので、どれが来ても対応することができるようにしている」のではないかと。

だからこそ、3話でも17話でも死角からの防御に対して非常に素早く反応できる。ここは明確にパイロットが警戒しないポイントだから、重点的に意識を割いて、警戒している。

操縦桿が勝手に動くのは、3話では操縦権を奪っている表現だと思いますが、17話でも動いているので、本来はパイロットが少し操縦桿を動かしただけで動くようにするアシスト機能なのではないかと思います。もしくはダリルバルデに「意思がある」という表現ですね。操縦桿は彼の体の一部であり、パイロットと繋がるダイレクトな部分なので、どう動くのか、それを探ろうとしていて、ダリルバルデも意思を持って「動こうと」している。

現にグエルが手を離しても操縦桿が動くようには動いておらず、17話では手を離してこそいませんが、かなり動いているのにそのまま静止しているので、ダリルバルデは勝手に動くつもりは微塵もない。

3話は地面が動いておらず、17話では空が動いていない

で、ダリルバルデが攻撃がどうも下手なのも、この思考が反映されているのだと思います。彼は自分のパイロットをどう守るのかについて考えるのはとても得意なのですが、無限の予測の中の一つを自分で決めるのがどうしてもできない。

攻撃はまずどう攻撃するのかが定まらない。ドローン?直接?遠距離武器?それをどう動かせばいい?
攻撃をしても選択肢が出てくる。そのまま攻撃し続ける?それとも引く?反撃してくる?それはどうやって?反撃されたらどうする?防御?かわす?それとも攻撃する?

守るのは、無限の選択肢の中で相手が一つを選ぶので、それに反応して、いったん引いてしまえばいいのでとても楽なんですよね。ダミーにいったん止まってしまったのも、とりあえず反応はしてどうするのかは本来パイロットが決めるから。でも攻撃は自分から選択をしなければならない。

だから本当に3話の運用は何から何まで間違いで、ダリルバルデが本当にかわいそうで、そして基本はパイロットが自由に動いて、彼らが気づかない部分をアシストすればいい、とパイロットに対してとても信頼した運用をしているのが、やっぱりヴィムではなく、パイロットの優秀さを心から信じているどこかの弟が作ったんじゃとチラつきますが、それはまた置いておいて。

その開発ノウハウを応用して作られたシュバルゼッテは、さらにガンダムとなったことでここの弱点を恐らく克服している。

最初のビットによる攻撃は、ドローンをサポートするダリルバルデの意思拡張AIの本領発揮の場面ですが、ここで初手ディランザの顔をぶち抜きそうになっているんですよね。そしてその延長コースとして、コクピットもその線上に入っている。グエルが切り払いを選択していなければ、非常に危うい攻撃をしていて、しかもシュバルゼッテは細いビームでもディランザの装甲を削れるので、これまともに当たっていたら、真面目に危なかったと思うのですが、これを果たしてラウダがやったのか?と。

先ほども言ったように、第五世代の意思拡張AIは無線ドローン、ガンビットの動きを制御するのが目的です。そしてエアリアルも、ガンビットの動きは「みんな!」とスレッタが号令して動いているので、スレッタではなく「みんな」が主のような印象を受けます。

そしてこの「みんな」ですが、学園レギュレーションでコクピットへの攻撃はできないようになっているはずですが、初めての決闘でさっそくディランザのコクピット付近へ一発当てていて、ファラクトもかすらせて溶かしているので、かなり殺意が高いんですよね。

なぜこんなにも殺意が高いのかと言えば、これがガンダムに搭載された戦闘用AIだとすれば、そりゃあ殺意が高いのは当たり前になります。

彼らは戦うためのAIです。相手を破壊し、殺害することこそが存在理由であり意味です。だから相手を損なう、徹底的に破壊することは、彼らにとって正しいことです。

ルブリス試作型も、あれがすべてエリクトが指示をしてやったことではないはずです。彼女が願ったのは、「ひとつ、ふたつ、みっつ!」の何かをやっつけること。そのためにどうするのかは、恐らくルブリスが自分で考えている。エルノラもいますが、彼女は怯えていたり、状況が把握できていないので、ガンダムを動かしているのはエリクトとルブリスです。

敵への反応も、
まず敵の攻撃を防ぎ、相手が近づいてきたらライフルで反撃する。
対応がどうもマニュアルで決められているんじゃ?とも思えるし、
ベギルベウは撃ちながら近づいてきているので、
シールド形態を維持してそこに隠れながら反撃という、
訓練された兵士のような反応をしている。

パーメットは情報を共有し、モビルスーツの制御の補助もしている。ので、多分これは曖昧指示で動かせるのではないかと。例えば今の車は自分でハンドリングしなければいけないのですが、それを右に曲がりたいな、左に曲がりたいな、と思うだけで勝手に車が動いてくれる。ガンダムはこれにさらに、「ここに行きたいな」で勝手に車を運転して、途中にあの店に寄りたいと思ったら右に曲がる左に曲がるという指示も出さずにスマートに目的地まで連れて行ってくれる。

人機一体と言っていましたが、まさしく物を取りたいと私たちが思った時、物体との距離数十センチ、親指の第一関節を二十度、人差し指も二十度、第二関節十度、などをいちいち指示するのではなく、漠然と物を取りたいと思ったら体が最適な動きをしてくれる。普通のモビルスーツは距離はこうで、手の形はこうなどのイメージをしなければいけないけれど、ガンダムは人間のようにシームレスに機体が動き、最適な動作をしてくれる。

スコアを上げていくというのは、この差を縮めていく、というのも機能の一つなのでしょう。

ガンビットがエアリアルに装備されて加速したことがありますが、あれもスレッタがこうすれば加速するとわかっていたわけではなく、エアリアルが「エランに追いつきたい」というスレッタの願いを聞いて、それに最適な機能を拡張したんではないか?と。

シュバルゼッテも多分これをラウダにしています。

あの最初の極太ビームは、ラウダ的にグエルをじゅっと溶かしたいわけではなく、ビビらせたいぐらいの気持ちで展開したと思うのですが、照射した後に逆にラウダが威力にビビっているような感じもするんですよね。まず最初はグエルのいない明後日の方向に撃っていて、グエルに向けはしましたが、それもかすりもしないかなりの大回りです。

そしてガンビットは殺意が高くて威嚇がそのまま死になりそうで、拡散ビームに切り替えたらスパスパっとディランザの装甲を削り取った。

ラウダはグエルと戦いたかったと言うよりは、ビビっていったん撤退したり間違いに気づいて帰ってくれれば全然OKなので、殺したいわけではない。と考えると、多分ラウダはこう考えていたんですが、ビビらせるのに高威力の攻撃をで「敵を一瞬で溶かすレベルの威力」、ガンビットと近接を織り交ぜて包囲するに「つまり自分が操るガンビットで致命傷を与えればOK」と、めちゃくちゃ大雑把で兵器としての模範解答をシュバルゼッテは出していたのではないかと。

ルブリス試作型が寝返りもできない生まれたてなら、シュバルゼッテは初乳を与えられたばかりの新生児なので、「戦いたいが殺したくはない」という微妙なニュアンスはまだまだ汲み取れない。

まぁ色々と言っていますが、まだまだ私の妄想の範囲として片づけられますが、実はもうガンダムが人間に「成れる」可能性というのは示されていて。

それがエリクトをルブリスに移せたという明確な事実です。そしてエリクトは、しっかりと自分の意思を持つ人間と同じレベルの自意識がある。だからそれを入れられる前、人工知能の段階のGund-armも、人工知能から人間へとステップアップする可能性は十二分にあるのです。

だからまぁ、カルド博士もマッドはマッドなんですよね。機械であるルブリスを人間と遜色ない心を持つ存在にして、エルノラがエリクトをルブリスに入れる前にスレッタをもう作っているので、ガンダムに人間を移せるというのは、理論値として計算した人もいれば、実際に「成って」しまった人もいる可能性があるんですよね。なぜならGund-armの実験によって寝たきりになった人々はこれだけいて、死亡した人々も大勢いるとされているので、中にはGund-armの中に「取り込まれて」しまった人もいたでしょう。

なのでまぁ、GUNDを兵器転用した人間はもれなくアウトですが、ルブリスというモビルスーツを人間にしたカルド博士もマッドに近い人間ではあります。結局のところ人工知能と機械の体なので人間とは言えないものでもありますが、心というものは持っている。ルブリスは「この世界を怖がって」いたのですから。

じゃあシュバルゼッテは心を持っていたのかというと、私は持っていたと思います。

ラウダが苦しがっているとき、必ずピピピピという警告音が鳴っているからです。ちいちゃくてちょっと聞き取りづらいですが。

苦しがっている、というよりは、ラウダが後悔している、と言った方がいいのかもしれません。最初のビット展開でもラウダは苦しがっていますが、警告音は鳴ってはいません。この時のラウダは、グエルと戦う気が満々なので、退く気は毛頭ない。

けれども、拡散ビームを撃った時。このときのラウダの顔は、恐怖だったり呆然としていたり、そういった表情に見えます。

ガンビットでグエルを追い詰めているとき。この時もうつむいて苦しそうに息をしています。この時のラウダは、
「これが…ガンダム!これなら、兄さんに並べる…兄さんを止められる!魔女を…ミオリネを…!」
と言っていますが、これは自分を鼓舞しているように私は感じるんですよね。

この前に明確に死や苦痛に恐怖している描写が挟まっているので、万能感に酔っているというよりは、「ガンダムならできる。兄さんを止められるしミオリネを排除できる。だから大丈夫」ということを言い聞かせているのではないかと。顔をあげての表情も、憎しみはあれど自分の万能感に酔っている描写はない。むしろ、眉や唇を震わせてやはり苦しそうです。

そしてシュバルゼッテはダリルバルデと同じく「パイロットを守ること」が基本的な根本プログラムであり、感情もまた情報として共有しているのなら、恐怖を感じ、逃げたいと思い、苦しんで死に近づいているのがわかっているのなら、もうやめることを促してアラートを鳴らし続けるというのは、Gund-armができる精一杯の言葉を伝える方法です。

エアリアルがゆりかごの星において「僕は同意の意味をこめて、モニタ表示を二回瞬かせた。」とあるように、ミョンミョーンという光と音を走らせるコミュニケーションではなく、モニタなどを使ってガンダムはパイロットとコミュニケーションを図ることができる。(© 創通・サンライズ・MBS 機動戦士ガンダム水星の魔女公式ホームページ 大河内一楼著「ゆりかごの星」より引用)

エアリアルとスレッタは、エリクトという元人間が取り込まれていて、彼女たちは姉妹でありエリクトはスコアを高く設定することができるので、言葉をかわすこともできるということであるならば、姉妹という絆はなく純粋な機械であるシュバルゼッテはラウダに自分の考えを伝えるのなら、こうした機能を使うよりほかはない。

ダリルバルデは20話でミカエリスに下半身と上半身を泣き別れされた時、すぐにコクピットの電力は落ちていません。ディランザ・ソルもコクピットを貫かれてアイサイトが消灯しても、コクピット自体の電源は落ちておらず、最後に通信ができているので、ジェターク社なのか共通規格なのかはわかりませんが、コクピットまで最後まで電力を供給するという機能を備えています。

その中でもダリルバルデは、下半身が吹っ飛んでいるので、電力ケーブルなども切断されているとすると、上半身に残る電力が尽きる前にコクピットへ集約させたとも考えられます。その後グエルはハッチを開けて出てきてもいるので、最後にパイロットが脱出できるようにアイサイトを消灯してなるべく電力を節約して、コクピットへ電力を集中させていた。から、グエルは間に合った。という考え方もできなくはないです。実際のところはわかりませんが。

しかしダリルバルデが防御偏重のAIをしているところからも、第五世代の意思拡張AIは無線ドローンを使うことを目指して作られたのはもちろんですが、その根幹の根幹は、「パイロットを絶対に生還させる」ことです。例え自分が爆発四散したとしても、パイロットを生きて帰すことができたのなら、彼らの目的は達成される。

その後継であるシュバルゼッテもまた、パイロットを生還させることを第一目標に掲げ、その生命維持に能力の大部分を割いているとしても、不思議ではないはずです。彼らはAI、人工知能なので。

そうした視点で見てみると、警告音はもちろん、ガンビットで包囲戦を仕掛けているときにも、描写としては不思議でも、ラウダを守ろうとしているのなら不審ではない点があります。

それが、シュバルゼッテの周りにもビットのビームが及んでいる点です。この時、シュバルゼッテの前だけではなく、後ろにもビームが通っている。ということは、ディランザが真下やかなり近い場所にいなければなりません。しかし、そこまで肉薄しているのに強引に突破できないというのは、グエルの力量や、その後シュバルゼッテが散弾を放ってから近づいてきたのを見るに、それなりに離れているのではないかと思います。それにグエルはその後「ラウダ、もうやめるんだ!これ以上は!」と言いながら斜め前へ全速で向かってきて、シュバルゼッテも斜め下へ散弾を撃っているので、二人は向かい合っているのに近い位置関係である。とすると、下から撃っているような角度はすこし違和感があります。

そしてグエルが動き出すと、まるでその間を遮るかのようにビームの数が増える。グエルがどこから向かってこようが近づけさせないと言わんばかりに。

以前ラウダが足を止めて棒立ちになっているのは、ガンビットの操作に集中するためではないかと考察しましたが、それでもガンビットは元来パイロットが完全制御をするものではなく、第五世代の意思拡張AIの領域です。

ならば、グエルを倒すために必要な動きではなく、ラウダを守ろうとしているかのようなこの動きは、シュバルゼッテが制御しているのではないでしょうか。シールド部分を使っていないのは、ラウダはガンビットが破壊されるのを防ぐために使っているので、彼の戦闘を邪魔しない範囲で守るとなると、攻撃に参加していないガンビットでちょこちょこ進路を塞ぐしかない。グエルがこちらにやって来たということは、それこそ肉薄される危険性が高まったので密度を高くしてプレッシャーをかける。

という考えからの描写であるとすると、これは違和感のない描写です。もちろんビームがびしゅびしゅ飛んでいる方が絵的に映えるという判断もあるんじゃないかとも思いますが、もし意味があるのだとすれば、シュバルゼッテがラウダを守ろうと一所懸命考えた行動である、と見ることもできます。

シュバルゼッテに心があるのか、というのにもう一つ。ディランザから噴き出すオイルがシュバルゼッテに付着し、まるで涙のように見えるというのがあるのですが、これもラウダではなく、シュバルゼッテが涙を流しているという描写の可能性です。

以前ラウダの涙の描写だと思ったのですが、しかしラウダはこの後明確に涙を流します。タイミングがかなりずれているんですよね。

シュバルゼッテはラウダがグエルを突き刺してしまって、そのことを深く後悔してグエルに逃げるように言う、ときにオイルが噴き出すので、この時にもうオイルが付着していたら、この時ぐらいから泣き始めている。ラウダはこれよりももっと後、「俺は、もう逃げない!父さんからも、お前からも!だから…ガンダムなんて、もう乗るな」たっぷりこの後にラウダは涙を流す。シュバルゼッテは画面に映り出す時から泣いていたとしても、「父さんからも、お前からも!」で、ラウダがはっとしてからなので、やはりラウダよりも早い。ラウダは「ガンダムなんて、もう乗るな」と言われてパーメットの光が消えて、それから涙を流す。

モビルスーツが泣いているのがパイロットの泣いている表現なら、同じにするんではないか、もしくはパイロットは涙を流せないという風にするんじゃないかな?とも思いますが、これは表現の違いなので確証はできませんが、しかしモビルスーツが涙を流していて、改めてパイロットが泣く、という時間差の表現は、モビルスーツとパイロット、それぞれが涙を流している、という表現にもできる。

じゃあシュバルゼッテは何に涙を流しているのかというと「どうすればいいのかわからない」ということだろうと思います。

シュバルゼッテにとってはグエルが敵で、敵がパイロットを苦しめる原因です。実際にラウダはグエルに敵意を向けていて、排除するために戦っていて、スコアを上げるのも戦うためで、シュバルゼッテからすればラウダが苦しんでいるのはグエルのせいです。

しかし、グエルのディランザを貫いてやっつけたというのに、ラウダは後悔に苛まれて、グエルの言葉に感化されて、敵意も向けていなければ逆に生きてほしいと願っている。グエルもまた、ラウダに生きてほしいと願っている。グエルは敵ではなかった。じゃあシュバルゼッテにできることは何になるのでしょうか?

シュバルゼッテは兵器で、敵を倒すことが仕事で、パイロットを慰めるために必要な知識はない。ラウダを助けたい、守ってあげたい、でも戦うことをラウダが望まないのなら、シュバルゼッテにはもう何もすることができない。

シュバルゼッテは子供です。万策尽きてしまった子供はもう泣くしかない。そうしてグエルにシェルユニットを破壊されて、自分はパーメットリンクを切断して機能停止しなければならないと理解した。ラウダとの繋がりを断ち、機能を停止してラウダがリンクを切ることを促して、よしんば戦おうとしてもシュバルゼッテは動かない。ラウダの真の望みはもう、グエルと戦うことはもちろん、ミオリネを殺すことでももはやなくなった。

ラウダはもう、戦う必要はない。

ガンダムシュバルゼッテは、ラウダに必要ない。

だからリンクを切って戦意を喪失するのはシュバルゼッテが先、ラウダが後になる。額のシェルユニットが壊れたからすべてのリンクが停止する、というのは可能性としてはあります。ありますが、ある特定部品が砕かれて機能すべてが死ぬというのは、鉄の棺桶になってしまうので安全上問題がありますし、やはりラウダのリンクが切れたのとシュバルゼッテが切れたのはタイムラグがある。そして最後に元気に虹色に輝いていたので、機能が死んでいるわけではないとすると、やはりパーメットリンクを切ったのはシュバルゼッテの意思であると考えた方が自然だと思います。

Gund-armのAIには人間と遜色ない意識や心が宿りうる。ではエアリアルのAIはエリクトなのか、と言ったら恐らく違います。彼女はあくまで人間で、ルブリスの中に取り込まれた存在です。

実はこの中には欠けている登場人物がいます。それがルブリスのAIです。カルド博士の子供、正真正銘の魔女の子であり希望。しかしたぶん彼は存在している。

それが11人のカヴンの子です。18話でエリイの拡張意識で、遺伝子によってお母さんから作られたリプリチャイルドと言っていますが、では彼らを作り出したのは本当にプロスペラなのか?

そもそもリプリチャイルドが何なのかまったくもってわからないのですが、彼らがスレッタと同じならばプロスペラは赤ちゃんをさらに11人作っていて全員失敗したかルブリスに移したということになりますが、物理的に無理だろうと思います。資金的にもかつかつでしょうし。

ここで注目するのは、彼らはエリイの拡張意識です。これに非常に似ているものがすでに登場しています。

それが意思拡張AIです。意思拡張AIはドローンを制御するためのAIです。そして「みんな」もガンビットを主に動かしている。

エラン4号のように機械に遺伝情報を転写して、実際に本人と同一に近い存在を生み出すことができます。これをもしAIに注入した場合は果たしてどうなるのでしょうか?遺伝情報とAIの情報が混ざり、何か違う新しい何かが生み出されるのではないか?(実際にクワイエット・ゼロに移された情報はオルガノイドアーカイブらしいですが、オルガノイド(臓器のような)とは幹細胞から作り出す組織のことなので、オルガノイドアーカイブとは細胞の情報?遺伝情報?のことだと思います。これも造語なのではっきりとはわかりませんが)

恐らくですが、ルブリスは主AIの部分をエリクトに明け渡したのでしょう。彼女はルブリスにとっても大切なお姉ちゃんであり、世界を教えてくれる先生です。そしてルブリスもまたモビルスーツなので、自分のパイロットであるエリクトを守ろうと、彼女にAIとしての主たる部分を譲り、自分はガンビット制御のAIという小さな枠に入った。

個人的に、カヴンの子はエリクトの拡張意識ということですが、エリクトに似ているかといわれると、言っていることがかなり人の心がないんですよね。

「扉は開いたよ!鍵の役目はもうおしまい。鍵は、あなたでしょ?スレッタ。データストームの中でしか生きられないエリイの代わり。肉体のないエリイの代わり。エリイの身体、エリイの手足。エリイの拡張意識。それが私たち、カヴンの子。」
「キミたちは、僕の遺伝子から作られた、リプリチャイルドってことだよ。」
「17年前にお母さんが。覚えてないの?でももう大丈夫!クワイエット・ゼロが完成したら、エリイの居場所、作ってくれる!だからスレッタはもういらないの!」

僕の遺伝子から作られた、というのはエリクトの言葉ですが、スレッタを「鍵」と言ったり「エリイの代わり」「スレッタはもういらないの!」無邪気なんですが、無邪気過ぎて鋭いんですよね。

「わかった?スコア8なら僕は自分の意思で動ける。パイロットはもう必要ないんだ。だから、君はもうこれ以上すがっちゃいけない。」
こちらはエリクトですが、先ほどのカヴンの子と比べると、スレッタを説得しようと言葉を重ねているし、言い方もお姉ちゃんという感じです。

そして彼らはエリクトのことを「エリイ」と呼びます。これはプロスペラがエリクトを呼ぶときの愛称ですが、PROLOGUEでもエリクトは自分のことを「エリイ」と言います。ルブリスに話しかけているときも「エリイはね、エリクト・サマヤっていうの!ケーキは好き?今日はエリイの誕生日なんだよ!お誕生日の帽子も被るの!」と、自分のことをエリイとして話しかけます。

同じカヴンの子であるスレッタはエリクトのことを知っても「エリクト」と呼ぶ。まぁ彼らはエリクトよりもかなり幼い意識しかなさそうなので「エリイ」と呼ぶのかもしれませんが、彼女たちもエリクトは特別で自分たちとは違うと認識している。

エリクトとは違う、エリクトをエリイと呼ぶ、ルブリスのAIの行方は謎であるという点。これらを統合すると、カヴンの子がルブリスのAIのなれの果てである、ということもまぁ、ないことはないのではないかと。

Gund-armにはAIが搭載されていて、そのAIはGUNDを通して人間と呼べるほどの自意識を獲得できる。だとするならば、魔女と契約している人ならざるものは、彼らAIである。

シュバルゼッテは第五世代の意思拡張AI、エアリアルはルブリスAIでエリクトではない。

この観点からいくと、ファラクト、ウル、ソーンがただのGund-armとして終わり、中のパイロットは全員落命したのは、これらのGund-armに搭載されているのは、高度なAIではないため自意識獲得までは育たなかったためである、という共通点が生まれます。

ファラクトもエランのモビルスーツですが、彼の命を気にするそぶりはなく、ウルも同様。ノレアだけは、「ソーン!」と乗る前に呼びかけていたので、AIについて気づきかけてはいたのかもしれませんが、それが彼女を救うことはなかった。

これが水星の魔女における真の魔女の要件です。Gund-armを開発するだけでなく、そこに人間に近い高度なAIを開発し搭載し、彼らに魔女=自分のパイロットとして認識されていること。

だからエアリアルはこの意味でもかなり特殊です。このGund-armには、悪魔であるルブリスAIと、かつてはそれと契約していたエリクトが同時に存在している。

カヴンの子の当たりがスレッタに強くて、エリクトには彼女の望みを叶えられるように味方をしているのもこのためであると思います。彼女たちの中ではまだ、パイロットはエリクトであってスレッタではない。スレッタはエリクトの心身の一部で、エリクトがそう望むから手を貸しているに過ぎない。

最終話でキャリバーンにエアリアルのガンビットが装備されたのも、悪魔であるルブリスAIはガンビットに宿るものなので、あの時正式にスレッタはカヴンの子たちと契約を交わし、真の魔女となった。だから奇跡を起こすことができた。エリクトが下駄をはかせているのではなく、スレッタ自身が魔法を使った瞬間なので。

AIに人格が宿るのなら、キャリバーンにもあるのではと思ったのですが、多分彼にはそんな高度なAIは積まれていない。何せフィルターがないので。このフィルターというのも恐らくAIが制御している。物理的に高いスコアにアクセスができないようにしてしまう安全装置ではなく、負荷がフィルターがある場合は負荷が多くかかり、フィルターがない方が負荷が低く済むということは、フィルターがない状態ではAIを介してスコアを段階的に上げていくのではなく、油断すると青天井にスコアが上がっていく危険がある。ということは、逐一ラウダのことを気にかけていたシュバルゼッテとは違い、まったくパイロットを気にかけていない、ってことなのかな~と。

まぁよしんばあったとして…そんな人間の命を顧みないあほたれAIに大切な妹をエリクトが任せるはずがないので、あれはエアリアルが力を貸していると素直に受け取っていい。

まぁこの考察は、先ほどのカヴンの子とエリクトの発言と矛盾しているところも多々ありますが、ゆりかごの星においてもエリクトは自分のことを「エアリアル」と認識していて、お母さんは僕の開発者とかそういうことを言っているので、この時点でもう考察なんて意味をなさないんですよね。すべてが矛盾するので。

けれどもエリクトはもう、人間でいた頃よりもモビルスーツでいた期間の方がはるかに長いし(人間7~8歳、エアリアル17年)、ヴァナディース事変も4歳の時の出来事なので、記憶や自意識がめちゃくちゃあやふやになってそうではあるんですよね。プロスペラから復讐するぜ~となってからなんじゃないでしょうか?そういや自分人間だったしこんな事件そういやあったわ。となったのは。だってエアリアルはスレッタといることが楽しかったので。だったら辛い記憶を思い出の片隅にしまいこんでいたとしても不思議ではありません。

いずれにせよ、真の魔女には人ならざる存在が必ずバックにいるのなら、水星の魔女においてはGund-armに搭載されているAIがそれで、魔女とはAIが「自分のパイロット」と認識している人間で、真の魔女とこの世界で呼べるのは、エリクト、スレッタ、ラウダの三人である。

真の魔女のいる世界、融和か排斥かそれとも受容できるのか


真の魔女とは、エリクト、スレッタ、ラウダの三人である。

では彼ら三人は世界から受け入れられるものであったのか。究極のところ、魔女として魔女であるものすらも受け入れられるのか、というのは最大の問題提起でもある。

私たちは日々誰かを差別しながら生きている。受け入れがたい人が現れた場合、それを排斥するか、融和するか、受容して受け入れてみせるのか。

私はスレッタはやはり、根底に異常性を抱えているキャラクターだと思っていて。

それは彼女は、ミオリネのためならば人を殺すことができる点です。愛する大切な人のためならば、彼女は人を殺せる。殺したくないと思いながら、罪であると自覚しながら、それでも人を殺すことができる。ミオリネのためなら。

そういう根幹の異常性を抱えている。

それはラウダも同じです。ラウダも倫理観は人並みにあるし、人並み以上にあるかもしれない。彼は9話において、不当な取り引きであると思ったらマルタンとリリッケに背を向けて手でも見えないような位置に隠している。普段はほっぺたあたりに手をやりますが、この時は目の位置で髪の毛をつかんでいる。マルタンとリリッケはアーシアンという公然と差別していい人々なのに、彼は差別をしたくないと思っている。暴力的な手段もなるべくとらないようにしているし、それが暴力ではなくルールのある範囲でとどめられるようにわざわざお遊びであるランブルリングで仕返しをしようとしているので、ミオリネを殺そうとしたのは本当に例外中の例外です。

しかしラウダは、グエルのためなら人を殺せる。罪だと忌避している暴力的な手段で訴えてでも、変えられてしまった兄の兄らしさを取り戻そうとする。ただグエルのためならば。

この点においてこそ、スレッタとラウダは似ている。どうしようもなく。彼らは一度心底愛してしまった人に、過剰なまでに尽くそうとする。その異常性において彼らは互いを分かり合えた可能性がある。

…まぁ例のごとく本編では分かり合ったような描写がないのですが、状況証拠としてはそろっています。

スレッタもラウダも、二人のためなら自分のできることをして助けになろうとします。

スレッタは9話の団体戦をしのぐために助っ人をかき集めようと走り回り、ラウダは4話でその前のスレッタとの戦いに敗北して取り上げられそうになっているダリルバルデを取り戻そうとギリギリまで働きかけていた。

自分は嫌われているのかもしれないと思っても、自分のやるべきことからは逃げずに待ち続ける。

スレッタは12話で人を殺し、「人殺し」とミオリネから言われても、それでも決闘から逃げずに花婿の座を守り続け、その日が来ても花婿としてミオリネを迎えられるよう待ち続けた。

ラウダは3話で「お前も父さん側のくせに!」と言われても、先ほどのようにダリルバルデを取り戻そうとあがき、自分を見ずに去り学園からも逃げたグエルの代わりに寮長となってジェターク寮を守り、グエルが戻りたいと思ったら戻れるように退学届も秘密裏に処分した。

ミオリネとグエルが何かをしても、ミオリネではなくスレッタが代わりに謝罪したり、グエルが行けないからと謝罪をラウダが代行したりもしました。

そして、本当に二人から手放されても、スレッタもラウダも、唯一残された温室を守り、ジェターク寮を守り続けた。「もうお前はいらない」と突きつけられたのに。それでも唯一残された繋がりにすがりついて何とか関わろうと無駄な努力を重ねた。

彼らは「空っぽ」で「馬鹿」で、「不釣り合い」で、それでも諦められないほどに相手を愛している。

あの温室の時、二人は本当に同じだった。今までも同じだった。チュチュはスレッタの境遇に憤り、進むように無理やり背中を押しましたが、ラウダは恐らくスレッタの気持ちが痛いぐらいによくわかり、背中を押すことはしなかったはずです。

同じ恐怖、同じ絶望、同じ喪失を抱えて同じ道を選んだ相手に、進めとは言えない。

だからあの温室の場面も、ジェターク寮生ではなく、チュチュではなく、ラウダとスレッタとで自分たちは同じなのだと確かめ合う展開がないと、足りないというかちょっと不自然なんじゃないかと思うんですよね。

だから24話でああいうセリフになっちゃったのかな~とも。ラウダはここでスレッタと自分が同じなんだと気づいたのかなと思ったんですが、もしかして彼気づいていなくて、スレッタからどうしてここにまだ縋っているのかの心情を吐露されなかったらわからない、ってことだったのかもしれません。確かに彼、他人の気持ちとか心情とかを推し量るの下手くそなので、言われなきゃわからないのかもしれない…。

スレッタも彼女もだいぶ成長しましたが、元々はそういうのはあんまり上手ではないので、この二人スレッタは「ラウダさんの言ってること正しいな~」ラウダは「なにみっともないことしてるんだ水星女」だけで終わってたのかな~!

そりゃ、「え、なんでグエルさんを一人で行かせてるんですかラウダさん!?一緒に来ないんですか!?(私ならそうしますよ!)」とか「なんで兄さんが危険を冒さなきゃならないんだ!ふざけるなよ水星女!(お前ミオリネだったら同じことさせてないだろ!)」とか、そういうイベントは発生しないで、なんかよくわからないことになりますわな…。

この二人は真の魔女であり、唯一の生き残りなので、絶対に何かしら自分たちは同類で、自分たちを理解できるのは自分たちだけである、というそういう類の二人だけのイベントが絶対あったと思うんですけどね~…う~ん…。

まぁそれも置いておいて。

二人は愛する人のためならば殺人を正しくない悪いことだとわかっていながらできてしまう。

スレッタが殺人を決意するのは、プロスペラたちだけが理由とは限りません。「スレッタが、エアリアルと一緒に戦ってくれたら」と言われても、スレッタは目を泳がせます。彼女の震えが止まるのは「お母さんも、スレッタも、ミオリネさんも、みんな救われる」と言われてからです。そして地球寮については無事を確認したらそれ以上の安否確認は行いませんでしたが、ミオリネに関しては見つけてすぐ「今行くよ、ミオリネさん!」と文字通り飛んでいきます。ミオリネがピンチになったのは恐らくこの後なので、この時点ではまだ銃は向けられていなかったとすると、無事であることはわかっても、矢も楯もたまらず直接迎えに行きたかった。ということになります。

この震えが止まったのも、「救う…?」と初めて肯定的な返事を返したのも、何がトリガーだったのかというと、今まで出てきていなかったのはミオリネの名前です。お母さんも自分も、そして何よりミオリネを救える。それなら進める。

そしてたまたまミオリネが殺されそうになっていた。だから殺した。ミオリネが殺される前に。迷うことなく殺すことを選んだのは、それが救うことになるからでもありますが、ミオリネが殺されそうだったから。愛する人を守るためならば、スレッタはためらわない。

これ見て気づきましたが、男の逃げ道を塞ぐ形で手を傾けていて、
逃げないとしても潰される位置に手を振り下ろしているので、
完全に最初から殺す気ですね。
ミオリネが小指側にいるので
進行方向予測ではなくミオリネの所に行かせない目的もあったでしょうが、
最初から殺す気だというのは多分変わらない。

ラウダもそうです。彼はグエルが何よりも大切で、愛する人である。だから彼を変えてしまったミオリネを殺して、戻そうとした。というのもあり、ミオリネはグエルに不利益をもたらす存在にもなった。

あの時のミオリネを何の情報もない状態で見れば、地球に宣戦布告してアーシアンを虐殺した大戦犯です。そしてグエルを見てみると、彼女に協力しているとしか思えない行動をしている。

シャディクの正体はプリンスと呼ばれる地球のテロ組織の旗頭であり、アーシアンの希望です。その彼を地球への宣戦布告のまさに同日直後に捕縛した。というのは、彼らが裏でタイミングを合わせて行った、ということに他ならない。アーシアンへの虐殺だけならば理由付けはできますが、旗頭であるプリンスを無力化したということは、彼らにとってのリーダーを無力化したことになるので、本当に宣戦布告以外の何物でもない。反逆の象徴を捕縛したということは、彼らの希望の芽をひとつつまんだことになる。

それをしたのは誰かというと、ジェタークCEO、グエル・ジェタークです。傍から見ればミオリネのアーシアン虐殺とプリンス捕縛はタイミングを合わせて行われたチームプレーです。まったくの偶然というか、まずミオリネがアーシアン虐殺のトリガーを引いたわけではないですが、タイミングが嚙み合い過ぎている。

この時にまずジェターク社を守るために何を行うべきかと言えば、当然ミオリネを切り捨てることです。自分たちはミオリネとは全く関係ない、アーシアン虐殺には関わっていないと真っ先に表明しなければならない。

なのにグズグズグズグズ、ミオリネと一緒にいる。これではジェターク社は関与していないと証明するのはどんどん難しくなってしまう。その点ペイルはうまく切り抜けた。あそこまではいかなくとも、ミオリネのことを批判し、せめて中立の立場を取らなければ世間の信用はどんどん下がっていく。元から落ちつつあったジェターク社には致命的です。

「まだあの女に囚われているのか、兄さん」
「兄さんこそ、どうしてあの女の側にいるんだ!」
というのは、まったくもって正しい。ジェターク社のことを考えれば、即刻手を切らなければならない。父さんが遺してみんなの親兄弟が勤める会社よりも、ミオリネが大切ならば、話は別ですが。

ならばどうすればいい。もちろんグエルの目は覚まさせなければならない。ミオリネも殺した方がいい。彼女がいる限りまたグエルが利用されてしまう。ミオリネを殺しただけでは信用も回復しない。またクワイエット・ゼロの矢面に立たされたりとか、そういう貧乏くじを引かされかねない。

ならばラウダが悪役になればいい。グエルの罪をもっと大きな新しい罪で覆い隠す。新総裁の殺害、魔女の機体として未だに恐れられているGund-armに乗ってそれを行えば、自分に魔女というレッテルがつく。ドミニコス隊にもそれなりの損害を与えれば、それはより確実になされる。捕まったらミオリネと自分に罪をすべて被せて、グエルは騙されていたということにしてしまえばいい。グエルが変わってしまったのならそれを利用する。終わればグエルは元のグエルに戻っているのだから、ジェターク社は彼の手で再興されていく。

わざわざガンダムに乗るのも、あれがミオリネにとっても罪の象徴だから意趣返しもあったでしょうが、ラウダは自分が魔女になることで罪をすべて引き受けて元から罪人となる気だった。だからガンダムに乗る必要があった。以前あの特攻は己を罪人として兄に裁かせ、兄をジェタークの誇りに戻させるためのものであると言いましたが、死ぬ覚悟をする前から彼は彼だけで罪を背負うつもりだった。

自分一人が罪人となることですべてが丸く収まるのなら、それでいい。

スレッタもそうです。彼女はエリクトともう一度話し合うためにキャリバーンに乗ることを決めた。そして、ミオリネのお父さんお母さんの大切な計画が自分の母親によってめちゃくちゃになっている。それを止めたいだろうミオリネを助けるためにも。

スレッタもまた、愛するミオリネのために自分がパーメットの呪縛に苦しめられることを選び、自分の大切な人を守るためならば死のリスクを負うことを選ぶ。もう一度、何度でも、成功するまでキャリバーンに乗ってスコアを上げる。

傍から見れば痛ましいほどの献身で、周囲の人間は助けようとしても遠巻きに見守るしかできない。自分たちにはそれだけの情熱はなく、手段もない。魔女ではないから。

でもラウダ、そしてスレッタは違うはずです。自分一人の犠牲で丸く収まると判断したから決断したと聞けば、そりゃあそうだ。と思う。私だってそうする。

大切な家族を生き返らせたい。自分の愛する人を守りたい。そのためなら自分の命を削り、死が刻々と迫ろうとも戦い続ける。いいんじゃない?と思う。僕だってそうする。

だから助ける。命を削るのなら、二人でそれを分担すればいい。スコアの負担を肩代わりするというのは、エリクトがエルノラに、エリクトがスレッタにやってきたのだから、スレッタとラウダだってできるはずです。

愛する大切な人のためならば、自分の命を真っ先に犠牲にすることを、愚かに思ったり、怒りに震えたり、悲しみにくれたり、他の人々はするでしょうが、スレッタとラウダだけはフラットに肯定できる、恐らくこの世に生存している中では唯一の存在です。グエルとミオリネは、彼らに命を捧げられる側で、彼らのことが何よりも大切だけれども「責任」が降りかかる運命に多分ある。

スレッタとラウダは空っぽです。持たざるものである、だからこそGund-armに乗ることになる。

だからグエルとミオリネ、ラウダとスレッタは、それぞれに互いを守り互いに振り回されるコンビなんじゃないかなと思います。

グエルはラウダを守りたい。ミオリネはスレッタを守りたい。だから協力し合える関係になれる。

ラウダはグエルを支えたい。スレッタはミオリネを支えたい。だから協力し合える関係になれる。

スレッタとラウダは、ミオリネとグエルのためならば世界だって敵に回せる。彼らを損なうものは絶対に許さない。間違っていても、彼らが許してくれなくても、何度だって人を殺すし、Gund-armだって乗ってみせる。必要であるならば。

24話の虹色の光と、惑星間攻撃兵器が沈黙したのは、水星の魔女の真の魔女のみが扱える魔法であるならば、多分もう一度でも何度でも、Gund-armに乗ってラウダとスレッタが協力するなら、あるいは負担を度外視で一人だけでやるとしても、できてしまう。あれは奇跡ではなく、魔女のやったことであるのなら、再現性のある魔法だからです。

パーメットを沈黙させるということは、パーメットを使用したすべてを沈黙させられるということで、クワイエット・ゼロのやったことのミニチュア版かもっと広範囲なことができるんですよね。月にも通信を飛ばしていて、遠く離れた兵器にまで届かせているので、恐らく射程距離は実質無限です。

そんな圧倒的力を、彼らは世界の危機でも全人類のためでもなく、自分が愛する人のためという超個人的な理由で振るってしまう。「これをすれば世界の危機だぞ!?」「はぁ~?ミオリネさん/兄さんを困らせたのはそっちだろ?」と、交渉のカードも切れないどころか、彼らがここまでの手段を使うのはまさにミオリネとグエルが損なわれたからでしょうから、断罪はすべからく行われる。

そういう根本的な異常性を抱えているのが、スレッタとラウダ、二人の魔女です。

周囲から見たら恐怖でしかないでしょうね。ミオリネとグエルが平穏無事ならまったくもって大人しいのですが、それがひとたび損なわれようものなら、暴走特急と化し根源を叩き潰すまで止まらない。

唯一止められるのが、これまたミオリネとグエルだけです。そして彼らはスレッタとラウダを本当に大切に思っている。グエルはラウダの愛を失いたくなくて父殺しを黙っていたし、ミオリネはスレッタを守るためについには会社も立ち上げた。

この二人もまた、愛するものを守るためならば自分を犠牲にすることもためらいませんが、アプローチは個人ではなく世界に対してです。スレッタの家族であるガンダムを守るために、ガンダムを合法のものへ変えようとし、ラウダが過労で倒れたり余計な苦労をかけさせないように会社を一人で背負おうとしたり、この二人はそのスケールが大きい。

そういう意味では英雄的ですね。そして自分たちのためならガンダムに乗ることを迷わず選択する愛しいものを守るためにするべきことは、彼らがガンダムに乗る必要のない世界を作り出すことです。

ガンダムに乗った過去があるということがスペシャルな付加価値があるものではなく、そんなものは何のステータスにもならない世界にしていく。そのために必要なのは、もちろん世界に向き合うこと。アーシアンとスペーシアンの差別問題、貧困、人間の欲望、それらに正面から向き合わなければならない。

だから構図として、生まれついてのトップ階級であるミオリネとグエルが、弱者側であるスレッタとラウダを守ろうと世界と戦う。ただしスレッタとラウダはただの弱者ではなく、魔女なので、彼らが損なわれようものならもう一度魔法を使う爆弾であり、この世界に唯一の真の魔女としての付加価値のある景品争奪戦に巻き込まれる可能性もある。
いやまぁ、普通に欲しくない?と思うんですよね。今まで誰も見たことがないことをしてみせて、なおかつスコアを人間が到達すわけのないはるか高みにまで上げて生還した唯一無二のガンダムパイロット。それが女と男で二人いる。これは研究者としては垂涎ものですし、武装集団としてもぜひとも欲しい。人間兵器として使用するのも、秘密を解き明かして量産するのも、思うがまま。

いやまぁ本編ではそうならなかったんですけれども、しかしスレッタとラウダは大切な人のためならば善も悪も両極端なことを行える異端者である、というのを前提で考えると、多様性の問題としてもあらゆる人のメッセージとしてもいいと思うんですよね。

結局多様性って、究極目標はどんな人でも受け入れる、ってことだと思うんです。

同性愛者も異性愛者もマイノリティもマジョリティも。貧乏人も富裕層も。互いが受け入れ、困っていれば助ける。ことさらに騒ぎ立てるのではなく、あるがままをあるがままに受け入れていく。その中で、誰かを愛して、そして愛を返されたなら最高だよね。もし愛する人が差別される属性にあることがわかったら、守ってあげた方がきっといい。例えその属性にない人でも、愛する人が不当に扱われたら怒っていい。

でも犯罪はやっぱりダメなので、ならそうなる前に相談できる友達ができればいいんじゃないかな?自分の心の底を理解しあえる友達はきっといる。その人はもしかしたら、君のことがあまり好きではない人かもしれない。

でも助けてくれる友達でないとは限らない。困ったときに助けてくれる人は、きっとあなたのよき友になってくれるだろう。

それでも上手くいかない時はある。上の立場の人間が色々言ってきたり、利用してきたりするよね。そういう時はガンダムが助ける。水星の魔女はフィクションだけれど、それが上手くいった世界がある。だからきっと、大丈夫。

スペーシアンの大企業であるジェターク社が親であるジェターク寮が、地球寮と助け合ったり。学生同士、スペーシアンもアーシアンも同じトマトを食べて復興作業を行ったように。

スレッタとラウダは、ラウダ側から一方的に反目しているけれど、実はラウダって事実は指摘しても嘘はついていない。「あんな田舎者の決闘を受けるなんて」というのは、水星は辺境で田舎なんで田舎と言われるのはまぁ事実。「情けない。なんだって兄さんはあんな愚鈍な女を」と言っているのも、まぁ店員があの状況で謝ってないということは、ひっくり返したのはスレッタのせいなので、うん。温室での「いつまでここにいるつもりだ。ミオリネもホルダーも、今はすべて兄さんのものだ。お前はもういらないんだよ。空っぽの水星女」というのも、その後スレッタ本人が「ラウダさんの言う通りです」と全面的に認めているので、実は一番スレッタをあの時理解していたのはラウダです。

根も葉もない噂や憶測で人を貶めることは簡単ですが、ラウダは事実を述べるだけで、まぁ言い方やそれ言う?というのはありますが、耳に痛い指摘をしてくる人というのは、友達としては悪くない。スレッタ自身、ラウダのことは名前も覚えているし、ラウダの言うことは正しいと認めているので、彼女からの相性は悪くない。

ラウダは個人的にスレッタは鈍いのであんまり相性がいいタイプではないと思いますが、後輩たちに慕われているので面倒見が悪いタイプではないですし、気を使わなくていいし、同じぐらい誰かを大切に思う人間というのはそうそう出会わないと思うので、ラウダにとってもスレッタは唯一無二の仲間になれるだろう相手です。

まぁ身もふたもない言い方をすれば、彼らが友達だと面白いんですよね。ラウダは実は感情豊かで意外と気が短いのが人間的魅力で、スレッタは驚いたり困ったり感情豊かにくるくる動いているのが魅力的です。ラウダはスレッタの愚鈍なところも短慮なところも一生好きになれないと思うので、ラウダをイラっとさせるにはスレッタが絡むのがいい。スレッタはミオリネと仲良しになればなるほど、ツーカーというか、彼女の心もやってほしいことも理解できるようになると、大人しくなってしまう。でも大きすぎる彼女への愛情が消えたわけではないので、それを理解できて高潔な判断に振り回されてきたという共通点もあるラウダに泣きついたり。

そんな感じで物語を回していける。

それにこの二人は、母親と父親に「使われてきた」二人でもあり、使われてきたのに何も知らされていなかった、親にも振り回されてきて、姉や兄に守られて守ろうとしてきたという妹弟であり、かなり近しい設定を抱えているので、本当に根本的な悩みを相談できるし分かち合える。

この二人が、ガンダム作品において最重要なガンダムパイロットで、水星の魔女において最重要な魔女であるというのは、多分かなり重大な意味があるはずで、スレッタのこともラウダのことも、根本的な部分を理解して肯定する、というのは二人にしかできないんじゃないかなと。

別に友達と必ず仲良しである必要はないんですよね。表面上仲が悪そうでも、お互いを助け合ったり関係を断ち切ろうと思っていないのであれば、それは友達です。そういう友達だっていていい。

逆に表面上仲が悪いから友達になれないと切り捨てる必要もない。もしかしたら一番の理解者になれるかもしれないんだから、本当は誰かをいじめて排斥するなんて必要はこの世界のどこにもない。

スレッタとラウダだって友達になれるんだから。

いずれにせよ、二人には二人にしか理解できず共感もできない領域があって、地雷がある。それは他者から見れば相応に不気味で厄介です。排除してしまった方が都合がいい。

けれども彼らには受け入れてくれるコミュニティーがあり、何より愛して絶対に守ろうとしてくれる人が存在する。そうなったとき、世界は、そして視聴者である我々は受け入れるか否か。

スレッタもラウダも、受け入れられない層は多分絶対に存在すると思います。スレッタは明確に人を殺害し、ラウダはミオリネを殺そうとした。その根幹の部分は矯正されていないので、彼らは何度だって同じことをしてみせる。

そんな人間を受け入れられるのか?

同じことをする「可能性」があるから受け入れない。けれども可能性があるから受け入れないというのは、それは差別の始まりです。得体が知れないからきっと悪いことをする。理解できないから悪いことを考えているに決まっている。だから排除する。

けれどもそれは間違っている。可能性があるから排除するのではなく、彼らがそんな手段を取らなければならない現実を変えるべきです。

ミオリネとグエルはそうしようとするでしょう。グエルはまだ全然動いていませんが、ラウダがもう倒れるほどにストレスのかかる立場を肩代わりして遠ざけてきたので、ラウダがガンダムに乗らなくていいようにできることをするはずです。ミオリネはそれこそ株式会社ガンダムを立ち上げた。

そしてこれは、非常に物語上都合がいい。ミオリネもグエルも進み続けて、そこでトラブルが起きればスレッタとラウダが出てくる。それをまたミオリネとグエルが阻止しようとする。どんどん物語が加速していく。

多分あの世界でスレッタとラウダが受け入れられる、存在を許してそっとしておくというのはまだまだ先の話になると思います。あの世界の問題は何一つ解決していない。21年前の復讐劇がやっと決着がついた、というのが水星の魔女のとりあえずの結末です。

問題はこれから起こっていくし、「魔女」を巡る物語もこれから始まっていく。

あと単純にあの「魔法」に100%の再現性があるか傍目にはわからないので、そういう不気味さもあるんですよね。やれるかもしれないし、やれないかもしれない。かもしれないのなら、不安の芽は摘み取ってしまった方がいい。やられる前にやってしまうことも、我々は考えがちです。

だからこそ、ミオリネとグエルは立ち上がらなければならない。

魔女を世界から守り、魔女と一緒に生きていける世界にしていく。世界で一番の異端者である魔女も生きていい世界を目指す。魔女に愛されたミオリネとグエルが。
そしてそれをまた、魔女が守る。反発され傷ついて、また余計な荷物を背負おうとする愛する人を守ろうと戦い、いざとなれば魔法だって使って禁忌だって犯してみせる。スレッタとラウダは魔女だから。

ミオリネとスレッタ、グエルとラウダ。二組の人間と魔女のペアが、世界と対峙していく。

だってそうじゃないとおかしいぐらい、ミオリネとグエル、スレッタとラウダは共通点や接点がありすぎるんですよ。ミオリネもグエルも同じような立場に立たされて、スレッタとラウダは上の通り。

身もふたもないことを言いましたが、ストーリー上の配役として、スレッタとラウダは真の魔女であり生粋の魔女である。ミオリネとグエルは彼女たちに愛され、また愛している。

だからお互いを守ろうとする。

そういう関係性にするつもりだったのかな~と。

ところで真の魔女になることのないエラン4号って一体何なのよ、彼だけ特別な称号もなくただ死んだだけなのか?

ここで出てきて、いい感じのことを言って終わるだけの存在だったのか?というのは、違うと思っています。

彼は生前では到達できなかったスコア6に到達し、エリクトと同じ存在になっているので、彼もまた特別なカテゴリーに入っています。

これは私の単なる憶測ですが、彼らは人ならざるものと生者の狭間の存在となっているのではないかと思います。

守護霊とか、人ならざるものと生者の仲立ちをする存在だとか。死後の世界にいってしまったり、現世とは違う世界と、この世を行き来することができる特別な存在。それが彼らなのかなと。

そもそも水星の魔女の死後の世界とは、データストームではないかとも思えていて。パーメットは情報を共有する性質があり、生体情報をアップロードすると魂が移ったかのように、本人が出力される。

これはなんとなく、妖精を瓶に閉じ込めたり、悪魔をものに入れたり、霊魂が何かに宿ったり、そういったものを想起させますが。

スレッタにはエリクトがいる。けれどラウダには誰もいないで、直にシュバルゼッテと繋がっている。エリクトは最初スレッタの負担を肩代わりしていたので、そういうことがエラン4号も恐らくできるようにはなっている。

それで、エラン4号は本当は何を欲しかったのか。スレッタにアプローチをしていましたが、彼はスレッタのことを「自分と同じだ」と期待していました。その期待が裏切られて、彼女は何の負担もなくガンダムに乗れる、自分とは何もかも違うことがわかって拒絶したのですが、彼はつまり「仲間」が欲しかった。友達が欲しかったんだと思います。本当のところは。

自分とみんなは違うからと、シャディクやグエルとも距離を置いていましたが、本当はそんな必要はなかったのではないか。

シャディクはともかくとして、グエルはエランの境遇を聞いていたら、話は親身になって聞いてくれたはずですし、自分にできることならしてあげた可能性はあります。結局助けられなかったとしても、自分のことを考えてくれた人というのは、きっと初めてで、きっと嬉しかったのではないでしょうか。スレッタに真剣に向き合ってもらえてうれしかったのだから。

ここで言えばエリクトにとってのスレッタにあたるのはラウダなので、グエルではなくラウダを考えると、実は彼らは似ているのではないかと思います。

エラン4号もラウダも、表面上は冷静でクールですが、その中身には熱いものを持っている。人に真剣に怒り拒絶することもあるし、怒りのままにガンダムに乗り、スコアを上げていく無鉄砲で命を捨てる判断もする。

もし、エラン4号もエリクトのようにキーホルダーか何かに宿ってグエルとラウダの兄弟と行動を共にするようになったら、それはそれで彼らにとって楽しい日々になったでしょう。

兄弟は兄弟なので、二人で狭いテントに泊まり始めたり、そういう幼い子供のようなことをしたりするので、それは記憶を失い青春というものも何もなかったエラン4号にとっては、新鮮で、遠慮のいらない男友達としてはしゃいでも許される。

兄弟にとっても、3年間一緒だったのかはわかりませんが、自分たちの知らないエランよりよく知っているエランが側にいた方が落ち着くでしょうし、兄弟だけで煮詰まらずに第三者が常にアドバイスできる位置にいてくれるというのも、ありがたいことでしょう。本をよく読んでいるので博識でしょうし。

しかしラウダと根っこが同じ熱い男でもあり、思い込むと突っ走るところがあるのがエラン4号なので、たまに暴走してグエルが止めるために奔走したり、そういうハプニングが起こる可能性もある。

それもエラン4号が死ぬのではなく生きていてもできていただろうということではあるんですが、それでもこうならなければならない揺るがしたい事実があります。

それは彼の肉体が明日生きられるかどうかわからないレベルで消耗しているという点です。これはエリクトも同じで、彼らは「こう」ならなければ死んでしまって、こうして生者に関わり守ることはできなかった。

エラン4号はあと一回乗れるが次はもうもたないという状態で、スコアを3から4にまで引き上げているので、実は動けるレベルかどうかもわからないんですよね。彼がコクピットから出た空間は無重力であり、スレッタに引っ張って連れて行ってもらっている状態。死亡時には吊るされていて、四肢は脱力していると、彼ら強化人士は高パーメット症のように手や足が動かなくなる症状がなかったので、高パーメット症がよくわからなかったんですが、この時もしエラン4号が動けないぐらい高パーメット症が進んでいたとしたら、彼は体が動かなくなりつつあるプロスペラよりもさらに症状が進んだ、末期にまで達している。

プロスペラがもう先は長くないのなら、エラン4号はもう今この瞬間に死ぬというぐらいの状態のはずです。そんな中で延命し、モルモットとして最後まで調べられるというのと、肉体を失いこうして物体に宿るのとどっちがマシかという感じですが、エラン4号もエリクトもどのみち死ぬことは変わらないので、そのまま死亡してデータストームの中にしかいられないよりは、少しでも大切な妹や友達と関わって助けられるのなら、二人とも今が幸せであると言いそうですが。

いや、エラン4号はそうなっていないのでわからないんですがね!

でもな~、綺麗にミオリネ、スレッタ、エリクトの女性組、グエル、ラウダ、エラン4号の男性組に分かれて、相互に関係性があって、関わることができる組み合わせになったと思うのですが…。そうしたら、エリクトとエラン4号も、一風変わった枠組みの存在として、この展開にも理由ができますし…。

…エラン4号はスレッタとの方が確かに本編で関わっていましたが、周り全員女性で女性同士のカップルのところにずっとマスコットとしていなければならないというのは、思春期の男の子としても気まずいと思いますし、男同士で何かをしたこともないと思うので、男友達といた方がエラン4号も楽しそうだなとは思います。スレッタとラウダが友達になるなら、交流が途絶えることもありませんし。

なんかどうも、もう終わった恋だし、あまり自分がいるのもとグエルはスレッタたちと関わるのを遠慮してそうな気がするので、そういう意味でもスレッタとラウダが友達になったら、スレッタは「初恋の相手」ではなく「弟の友達」になるのでまた新しい関わり方もできるようになるし、ミオリネとも双方の守りたい大事な人同士が友達ということで、共同戦線を張るって、行動を共にする理由付けもできるし…な~と、素人的には思ったりもしますが。

さて、魔女とは人ならざるものの力を借りるもので、その要件は生きている中ではスレッタとラウダである。それら人ならざるものとの間にいる存在がエラン4号とエリクトである。

これだけでも魔女ですが、さらにもうすこし。魔女には必須とされるものがあります。

ガンダムとは魔女の服、ガンビットとは魔女の杖


それは魔女の服と、魔女の杖です。特に杖は、魔法を扱ううえで最も重要なものです。

GUNDとは「赤子が服を着るように」ということで、それを用いたGund-armはまさに巨大な服です。

ガンビットは、カルド博士が手掛けたルブリス試作型、それを改造したエアリアル、エアリアルのデータから作ったシュバルゼッテ、この三機のガンビットはすべて「ビットステイヴ」という名称です。ステイヴのスペルはStavesで、これはStaff、杖の複数形です。

つまり、この三機のガンビットはすべて魔女の杖です。

ファラクトのガンビットはCoraxで、ステイヴではない。ガンビットの軌跡も、ルブリス試作型、エアリアル、シュバルゼッテと、ファラクトとルブリス量産型とでは違う。先の三機は電子回路のようで、あとの二機はただの赤い光です。(外伝であるヴァナディースハートでアノクタがこの電子回路の軌跡なのですが、外伝だしパーメットの痣も本編は全員一緒なのに形が異なったりするので、純粋な本編資料として見るにはちょっと微妙で…)

ヴァナディースハートでもエリクトやナディムの本編キャラは同じ

だから最後の24話の虹色の魔法を使うときに、エアリアルのガンビットであるビットステイヴがキャリバーンに譲渡され、装備された。キャリバーンは魔女の服はありますが、魔女の杖はない。カヴンの子に力を借りて魔法を行使するのは、エリクトではなくスレッタに役目が移ったので、杖が必要になるのはスレッタだからです。

ガンダムたちが円になっていましたが、あれも魔女の儀式であるスパイラルダンスか、サバトでしょう。…そう考えると、やはりスレッタしか魔女がいないで、魔女の服や人ならざるものばっかりのあの儀式は正当なものだったのか疑問符がついてしまいますが。

カヴンの子が魔女であるという考え方もできますが、カヴンとは魔女の集団、ここでは魔女の子ということでカヴンの子と言っているので、彼らが魔女であるとは限らないんですよね。魔女は悪魔とも交わりますし、北欧神話の魔女の祖は女神フレイヤなので、そもそも人間ではありませんし。
エリクトが宿るエアリアルはともかく、ファラクトもシュバルゼッテも無人…。

魔女の杖を持っているということで、またファラクトが浮いていますが、ファラクトはファラクトで大事な内面的役割があるだろうと思います。

ファラクトのガンビットはCorax。これはワタリガラスの学名のCorvus coraxから取っているとすると、ワタリガラスは北欧神話の主神にして魔法の神オーディンの使いです。だからファラクトとは、内在している物語上の役割はオーディンの力の片りんです。

カルド博士は女性で、彼女はフレイヤを信仰し、ガンダムを作る魔女たちの祖なのでフレイヤですが、同時に隻眼でもあるためこれはオーディンの特徴を有しています。言葉遣いも「~だ」「~だぞ」など、男性のようにきっぱりとしていて、服装や性別は女性ですが男性的な側面も持っている。

なので彼女は、フレイヤでありオーディンでもあるのではないかと。そして古い神話では男女の和合というのが重要になります。

それこそ日本神話は、男性神イザナギと女性神イザナミによる子作りが重要なスタートです。北欧神話では、フレイヤとオーディンは夫婦神ではないかとも言われていて、彼らは死者を分け合って、フレイヤは豊穣神なので生命の誕生をつかさどり、オーディンは戦いをつかさどっている。

そしてカルド博士は人類の存続を願って色々なことをしていました。オーディンはラグナロクという世界の終末戦争を回避するために、戦死者の魂を集め、その過程で戦争を巻き起こして国々を混とんとさせ、でも結局予言は果たされラグナロクによって神々はそのほとんどが死に、人間は男女のペアだけが残ってそれから世界がまた始まっていく。というのが北欧神話の顛末です。(まぁ最後のこれはキリスト教が入ってからなので新しいものではあるらしいですが)

水星の魔女はテンペストが舞台ではありますが、始まるはずじゃなかったのに始まってしまったラグナロクというのもテーマの底に流れているんでないかと感じます。

オーディンはラグナロクの途中でフェンリルという狼によって丸のみにされますが、そもそもラグナロクの始まりは、バルドルというオーディンの息子がいずれ死ぬ予言を受けて、どんなものでも傷つけることのないようありとあらゆるものが約束をする。その中で唯一若すぎて約束ができなかったヤドリギを槍にして、いたずら神ロキが盲目の弟ホズに投げるように言ったらそれが見事にバルドルの命を奪う、というところから始まります。

輝ける神であるバルドルが死んだことからひずみが発生し、すべてのくびきが解き放たれ、封印していた怪物や死の神が地上に現れ、ヘイムダルという神が角笛を吹き鳴らしたことによって神々に黄昏をもたらすものたちとの戦いの火ぶたが切って落とされる。

なんですが、誰がヘイムダルで誰が怪物だったんだ?という。

カルド博士がオーディンなので、ラグナロクが始まったのはPROLOGUEからなんですが、ヴァナディース事変が起こったのはデリングのせいで、カルド博士を殺したのは実質デリングです。じゃあデリングはフェンリルなのかと言えば、戦いを始めたのはデリングでもあるので、フェンリルとヘイムダルの二つの役を負っていることになる。

そもそもデリングの名前はアース神族の一人なので、そもそもオーディン側の陣営のはずで、こんな大それたことをするような神でもない。

そもそものそもそも、バルドルもこれは多分ルブリス試作型だと思うのですが。バルドルはオーディンとフレイヤ(フリッグ)の子供で、輝ける神なので、希望であると語られていたルブリス試作型と被るので。

それでホズは私が思っているだけですが、キャリバーンです。キャリバーンは槍のようにも見える長い得物を持ち、大したAIが入っていないとすれば世界が見れない盲目の存在であるとも言える。

ただそうなると、コンペはルブリス試作型の圧勝で、キャリバーンは凍結させられているので、殺したのはルブリス試作型とも言えるんですよね。その後のエアリアル対キャリバーンは往年の対決とも言えますが、物語の最終盤に?しかもやはりここでも二人は殺しあうわけではない。むしろホズであるキャリバーンがバルドルであるエアリアルを助けたいとあがいている。

あの世界は先があったのかなかったのか、ってところにも繋がりますが、もしPROLOGUEはバリバリに北欧神話がベースなのだとしたら、あれはまだ起こるはずのなかったラグナロクがなぜか起こってしまった世界なのではないかと思います。

導き手であり命の守り手でもあったカルド博士が一足先に死に、ラグナロクがなんかうっすら始まり始める。そしてそれが結実したのがちょうど本編の時間軸の2期だったのではないか。

死者の爪でできた船ナグルファルと死の世界の女王ヘルとして、クワイエット・ゼロとプロスペラ。

世界樹を蝕む毒蛇にして竜ニーズヘグとしてペイルの四人組と宇宙議会連合の人。

そして世界を囲み災厄をもたらす大蛇ヨルムンガンドとしてシャディク。

まずクワイエット・ゼロですが、その形は棺のようで、データストームを拡張する装置、すなわち死者の世界を拡張する装置なので、まさに死者の船です。
プロスペラはすでに死んでいたはずのヴァナディースの生き残りであり、エルノラを捨てて改名した、本来なら生きているはずのない女性です。そしてヘルは半身が死んでいて半身は生きているという神で、GUNDでかろうじて延命し右腕は死んでいるプロスペラの容姿とも合います。

ニーズヘグは世界樹という世界を支える巨大な樹木の根をかじって、その寿命を削る邪悪な存在で、世界の利権を貪る醜悪な老人たちである、ペイルの四人組と宇宙議会連合と被る。

最後にシャディクです。シャディクの野望は宇宙と地球、人間の世界すべてに波及するような壮大なもので、もし叶えば彼はそれらの世界に波及する大きな存在となったはずです。あとグラスレー社のエンブレムも蛇ですし。

そしてヨルムンガンドは雷神トールと相討ちになります。トールは赤髪の男性で、赤いモビルスーツと言えばダリルバルデです。ミカエリスはまさにダリルバルデと相討ちになって、シャディクは敗北する。

という感じで、まぁこじつけかもしれませんが、2期で戦うことになる敵サイドの人々は、ラグナロクの敵ともリンクする。

しかし正当なラグナロクの始まりではないので、予言の通りにすべてが黄昏に沈むのではなく、本来殺すものと殺されるものであったホズとバルドルが、互いを生かすためにぶつかったという、摩訶不思議なことまで起こって、世界は終了するのではなく存続していく、予言の外にある世界が展開されていく。そういう世界でもあった。

これでいくとロキに相当するようなキャラクターがどこにもいないので「ラグナロクの中心人物が…!」と頭を抱えますが、ロキとは悪いことも当然しますが、いいこともする、善悪両面を兼ね備えた神なので、あの世界の人間全員がロキであるのかもしれません。

人間とは善も悪も両方持ち、完全な善人も完全な悪人も存在しないので。…完全な悪人はもしかしたらいるかもしれないんですが。

もしくは諸悪の根源はGund-arm運用をしたオックスアースとも言えるので、しかしそれにしては世渡りも下手くそなのでやっぱりロキではないか。

こう考えると、むしろファラクトではなくシュバルゼッテがめちゃくちゃ特殊になってくるんですよね。ラウダが六条御息所で、般若の面であるのがシュバルゼッテとなって、ラウダが人ならざるものになっちゃってるんですが、実は人ならざるものの力を借りるものとしても、近しい日本のモデルがいます。

それが滝夜叉姫です。彼女はかの有名な平将門の娘で、朝廷によって殺された父親の復讐を誓うと、まさにヴィムという父親を失い、それを知らせなかったことを兄に詰め寄るラウダに似ていますが。

彼女は妖術師です。朝廷から遣わされた太郎という武士に追い詰められた滝夜叉姫は巨大な人骨の化け物(がしゃどくろのようなもの)を呼び出して応戦しますが、力及ばず敗北し、これまた死亡してしまったとも、出家したとも伝えられ、やはり六条御息所のように歴史の表舞台から消えてしまう。

このように、人ならざるものになるとしても、人ならざるものの力を借りるとしても、どちらの魔女でもシュバルゼッテとラウダは和風モチーフで、北欧神話的な感じがあんまりないんですよね。

でもそれは、北欧神話を奉ずるヴァナディース機関ではなく、ジェターク社の子供だからであり、予言に一ミリも関係ないからこそ、ラグナロクをはねのける力になったのではないか、と期待してもしまいます。

よく考えたらスレッタを庇ってエリクトは死ぬのに近しい感じになるので、ホズがバルドルを殺すのに近しい状況になってもいるんですよね。…だからそれを助けるのにラウダがもし関係していたとするならば、まさしく異文化の魔女であるラウダが、魔女仲間として外から駆けつけて助けるという、そういうドラマチックな展開になりそうだなと思いますが、まぁ、そうはならなかったんで、あくまで妄想の域を出てはくれませんが。

ビットステイヴは魔女の杖で、Gund-armは魔女の服である。ビットステイヴがあるのは、ルブリス試作型、エアリアル、シュバルゼッテのみで、他は杖がなく服だけがある状態だった。

そういう意味でも、Gund-armに乗っているので、ソフィもノレアもエランたちも「魔女」だと呼称されはすれど、彼らは奇跡のような魔法を使えなかったし、生き残ることはできなかった。彼らはビットステイヴを持っていなかったから。

ガンダムとそのビットというのは、機動戦士ガンダムの中でも特別なものですが、水星の魔女では中でも、魔女の衣服と杖ということで、さらに特別な意味を持っていたのではないか。

そしてどちらも装備していたのは、最終的にキャリバーンとシュバルゼッテ、スレッタとラウダという真の魔女にして生存する魔女。

そういう繋がりがあり、だからこそ他の誰でもない、スレッタとラウダでなければならなかった。

そういう意味があったのだと、私は考えました。

おわりに


魔女とは西洋魔女だけでなく、差別され恐れられた女性という括りならば日本にも女性は鬼になるという考えがあった。

鬼になったのはラウダで、彼は源氏物語の六条御息所だった。

ジェターク社は全体的に日本の甲冑がモチーフに込められていて、グエルとラウダの物語は能楽、葵上で、前回のこの兄弟は男性社会の光と陰であり、それらを打破する物語なのではないかということも合わせると、最後にフェルシーという女性に結末をハッピーエンドに変えられているのは、伝統的な男性が支配する芸能世界の破壊を意味する。

もう舞台を演じる必要のなくなったラウダはスレッタと協力する可能性があったのではないか。彼らは人ならざるものであるガンダムAIに力を貸し与えられる真の魔女であり、グエルとミオリネのためならば罪を犯すこともいとわない異常性がある者同士である。

最終的にそんな「魔女」を、グエルとミオリネが愛し、世界から守ってやがては受け入れられていく、そういう話だったのではないか。

やはりそういう物語にはなってないので、これは妄想にすぎませんが、私はこう考えました。

次回は、結局これなんだったの水星の魔女ということで、主に2期でどういう意図ではさんだのかわからない描写とか、回収されていない問題とか、そういうよもやまを、こうだったんじゃないか、こうだったらいいんだけどなぁという妄想を書いていくものとしたいと思います。

次もお付き合いいただければ幸いです。

※なお、この考察はあくまで私の考えであり、確定情報ではありませんので、この先設定が明らかにされて否定されても、私自身に責任は発生しないものとします。
当ページに載せているスクリーンショットは考察による説明の補足として引用しているものであり、三次利用はいかなる理由があろうとも禁止とします。