思春期の自分③(養護学校~中学部③)

いよいよ決意を伝えました。
この時、その伝えたことで満足していた自分もいました。

前回の記事はこちら。

さて、いよいよ人生初の努力する日々です。

両親や兄弟はというと…

ちなみに、先生に気持ちを伝えたのが最初だった。
施設入所していたこともあったから。

週末に家に帰った際、それを伝えた。

オカンは「大丈夫なの?」と心配していたが、基本否定はしなかった。
もちろん、オヤジも否定はしなかった。

姉は…確か「良いんじゃない?」と言ってくれていた…気がする笑

兄は…どうでも良かった気がする笑

多分ウチの家族は基本自由なのだ。

ちなみにウチの家訓は、
「人様に迷惑をかけないこと、警察の世話にならないこと」
である。

それ以外なら、何をしても良いということらしい。

だから、ウチの学校の中学部で恐らく初めてチョーカーを付けて髪を染めて登校した最初の生徒だろう…。
(当然、先生から怒られたが、親が協力しないと出来ない私に先生も強くは言えなかった…笑)

そんな私が受験などと言い出すとは…正直今の自分からすれば嘲笑に値する。

が、私の周囲にいた人達は誰もそんなことはなかった。

学力テストの結果

学力テストは、健常児と混ざって受けた。

そう…本当に一般的な受験対策テストで、手術で負傷してから初と言って良いくらい外界に出て行った。

テストを受けることに緊張しすぎて当日のことは全然覚えていないが、全く出来なかったことだけは良く覚えている。

そう、いわゆる偏差値というものが測定不能の最低ラインだったのだ。
(記憶が薄れてきているが、確か20とか25とか…それ以下は一律だった)

担任は随分頭を抱えたことだろう…行ける高校がないことに。

伝説の5教科担!

学校内では、後日聞いたところによると5教科担以外は普通校進学に反対していたらしい。
「江ヶ崎が普通校に行ったところで、将来は何が変わるのか?」

ふむ…先生方、人生が180度変わったぞ!

誰が起業する未来を想像したか?
あの時、受験しなかったらそんなこと考えもしなかったぞ!

でも、わからなくもないのだ。
あまり行いが良くなかったし、甘っちょろい考えばっかりだったから。

そう、そんな中で5教科担だけは信じてくれたのだ。

私は、この先生方が世界最強の先生達だと思っている!
もうね、学校のあらゆるルールを変えて対応してくれた。

まずは、授業以外に補講する!

養護学校は、一コマ40分だった。
普通校が50分授業に対して、10分も短かった。
それに加えて、自立活動の授業があったため、普通に授業してもコマ数が足りない。

もうね、色々足りなかった。
そのため、週5日ある学校で毎日1時間補講(国語、数学、理科、社会、英語)。
曜日毎に、1科目ずつ割り振られた。
宿題は当然、全教科毎日出る。

当たり前だが、ゲームは完全封印。

それでも、足りなかった。
目の前には夏休みが迫っていた…。

先生方は、本当に腹を括ってくれたんだと思う。

学部主任や校長も見に来てくれたが、
あれはきっと激励ではなく監視しに来たんだな。
やる意味があるのか?と圧をかけに来たのだろう…。

先生方は、休み時間や休日すら返上してくれた。

そう、夏休みに補講を開いてくれたのだ。
確か6時間以上は授業をしてくれたと思う。
お盆以外は、毎日学校にいた気がする。

そして、学校が開いていない日…
先生のご自宅へ伺って教えて頂いた。

何故ここまで特別扱いのような教育をしてくれたのか…
正直よくわからないが、本当に有り難かった。

それなのにこのバカは…

何度も心が折れて、「受験やめます」と言いまくった。。。

はい、本当にすいません。

その度に何度も説得されて、
気持ちを持ち上げられて、
奮い立たされて(笑)頑張っていた。

ぶっちゃけ、こんなにシンドイの?と思っていた。。。

そんな時、オカンから言われた一言は今でも忘れられない。

「アンタ、このまま受験落ちたら(養護学校の)高等部行って、行くとこ無いんだから施設に入んな」

※ちなみに施設入所を悪く言うつもりはありません。

マジで思春期真っ只中の、受験ノイローゼ気味の息子に言うセリフかね?笑

この受験が人生を決めるのか…

本当にビビったよね。。。

まぁ、ある意味で、奮い立ったけども…。

入所施設でも当然勉強…

医療型入所施設に入っており、消灯時間は21時だったが受験勉強で起きているのは許してくれた。

遅い日は12時まで起きて勉強していた。

みんなは、当たり前だがいつも通りゲームをしテレビを見て楽しんでいる。

羨ましい…

でも、自分のやりたいことがこの先にある…

シンドかったなぁ…でも足をえぐられた入院生活よりは辛くなかったけども。

あれ以上の地獄は、これまでの人生ではない。

命までは取られないし、生きること自体が保障されている社会では、どれも取るに足らない辛さだと思う。

だけど、「決意」と「覚悟」が少し甘かったんだろうと思う。

それを5教科担をはじめ、周囲の人達が本当に支えてくれた。

今回はここまで。

受験戦争も後半になります。

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