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火のある暮らし
火のある暮らしは実はとても豊かです.防火の問題であったり、手間の問題で、火を焚くということが今では少なくなってきました.「火を焚く」と一言でいってもその内容は様々です.家の中で暖を取るために薪ストーブを焚いたり、台所で調理をするためにかまどを使ったり、五右衛門風呂で風呂を沸かしたり、一方で屋外では焚き火をしたり、BBQをしたりと家の内外を問わず人の暮らしに深く関わっています.
火を使って調理をしたり、暖を取るといった実用性があるだけではなく、人の心に働きかける不思議なエネルギーを火はもっているのです.火には、とても惹かれるエネルギーがあるけれども、そのエネルギーが何なのか、長い間、なかなか言葉にするのが難しかったのですが、少し調べていると井戸尻考古館の学芸員小松隆史さんの記事で、次のように説明されていました.
火が持っている力のひとつは、便利、快適、安心。熱として利用する、あるいは野生動物やまがまがしきものが寄ってこないなど、現実的な便利さがある点です。
もうひとつは、神話的な領域なんです。神話の世界において、火というのは生と死の境にあるものです。命を奪う火、同時に新しい命を生み出す火。すべてがそこから収斂(しゅうれん)したり拡散したりする、その核になるのが火です。家のなかに囲炉裏を置くのは、湿気をとるために必要だったのではなく、火がそこにあるということが重要で、それは絶対的なものなんです。だから絶やすこともありませんでした。
…
体の真ん中で、火に向かっている体の“前”は生きている世界だけれど、“後ろ”は死の世界。縄文時代の火というものの意味合いは、そういうものなんです。
この説明を読んで、自分でなかなか言葉にできなかった火のそばにいる時の感覚を上手く代弁してくれているような気持ちになりました.そういえば、仏教の護摩行も焚き火の前で修行されるし、人が亡くなった時にお通夜は夜通しで蝋燭を灯したりするのは、火が生の世界と死の世界を隔てる、そんなエネルギーがあるように感じるのです.禅堂で坐禅をするときには、必ず線香をたきますが、これも火が点っています.
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薪ストーブの前でぼーっと炎を眺めている時の感覚は、壁に向かって坐禅をしている時に感じる感覚と似ているように感じます.言葉にはならないエネルギーに満ちた不思議な世界.モロッコのサハラ砂漠に行ったとき、何もない砂漠の世界を前に立ち尽くしていたときにも同じような感覚を感じました.
火の炎によって、日々の生活に追われて忘れてしまいがちな生活の原像を私たちは思い出したり、生と死を繋ぐエネルギーに満ちた世界を体験できるように思うのです.何かをゼロに戻すような力学が働いているように感じます.昨年末、枯木堂に来てくれた20代のゲスト二人が、薪ストーブを囲みながら「一年の煩悩が浄化されてる気がする」と呟いたのが印象的でした.あながち大げさではない様に感じます.
本当に大切なものでありながら、日常から離れつつある「火」の存在.それを毎日の生活の中で淡々と相続していく、禅堂で大切にしていきたい価値観の一つです.
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