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自分のこと。血液型やら星座やらで半分意識的に育ててきた自分はあると思う。それも含めて、トップの存在より二番手とか裏方に関心が向きがち。勢いに伴走できない気がしているのか行く先が見えてる超特急に興味が少ないのかも。同じ行先でも快速とか鈍行を選ぶかも。自分の感覚で風景を味わえるかも。
宗教と制度と経済的弱者(という表現が適切かわからんけど)を支援する仕組みの在り方についてチラッと興味ある。①支援する対象がない世界があるべき姿なのか ②制度化して仕組みが永続するサイクルが回るのが理想なのか ③支援する仕組みはいつか無くなって文化として浸透しているのが望ましいのか
「いつまで勉強してんの?」と聞かれたことがある。会話の流れから「いつになったら学んだことを使って成果だすの?」という意図の問いかけ。その時は「学ぶことに満足してるだけ、愚痴をつまみに楽しんでるだけか?」と自信が持てなかったけど食事を終える頃には自己解決。たぶん治療と予防の違い。
話がふにゃふにゃしてるなーと感じる人に、自分の発言をメモ(記録)してくださいと伝えてみたら書き出すのが難しいみたい。その点をリーダーがフォローしてくれるの助かる。代筆するのは簡単だけど少し見守ってみたい。
生まれてきたときはおめでとう!ってポジティブな感覚だけど、亡くなるときは悔やむとか悲しいといった感覚になるのはどちらも共感なんだろうな。当事者(新生児や故人)がどう思っているかは本人から聞けないわけで、自分や誰かが共感している相手は当事者の周囲の人(家族や友人)なんだろうな。
「わくわくしてはしゃぐ気持ち」に気づいたら大切にしたい、一方で視界の外側で何かや誰かをないがしろにしていないか気にかけてみたい。すべてを見まわしたり満足させたりはできないけど自分が見ていない世界がある可能性を忘れずにおきたい。な。
一緒に研修受けた仲間と会話してたら、必要とされるところに身を置く面白さを再認識している。人生2回目なら2回目なりのことしてみてもいいかもしれない。しなくてもいいかもだけど、試すだけ試すのもあり。
習慣化の安心と不安。「タケのシタさんと色々お話できたので、幸せでした~。もっと色々とお話しできたらと思います。」という感想をもらった。「幸せ」という表現は初めてだったかもしれない。私としては「この人だから語れるこの人の話」をただただ興味もって聞いていた。再現性あるかわからん不安。
肩書きとか単価とか外から見たその人のことをいったん脇において、その人の中に見えるものを見つけに行くの楽しい。でも私は外からしか関われない。本人が内側から出してくれるのを見守ってたり外を意識して媚びたり捻れたりした出し方してきたときに素直に違和感を伝えられるのは外側だから。たぶん。
相手から「同じ理解や価値観を持っている」と思われると、結果として好感度や特別感があがることある。うっかり相手が「この人、私(俺)のこと特別に好きなのかも」と思っているかもしれない。意識的に使いこなせるもんなら苦労はしないが時々思い出したい。距離感齟齬ってズッコケないために。
ゲームにあるような「行動力」「体力」「正気度」の数値、実際にあるんだろうな。日々変動するだろうけど。そしてチームにもあるんだろうな。チームの数値はメンバーだけでなく外部環境の影響も受けるだろうし。仕事じゃない事ほど「次にやるコト」が明確になった翌日から一気に行動力が低下する現象。
「親しさ」と「配慮」はシーソーではないだろう。親しくなり仲間や身内のような感覚が持てるほどになると、自分の主張だけ放り投げて、相手がどう受け取るかについて勝手な期待をしたり、なおざりになってしまうのかもしれない。気を付けたい。これもサービス精神の話なのか?
この人と恋バナする日がくるとはなと思う日々を送っている。というか自分が恋バナしてるとかな。おかげで心拍数上がった曲を次々に思い出せている。やなぎなぎとかsupercellとか気分あがる。(noteの使い方を失念気味だけど下書き気分で)https://www.youtube.com/watch?v=4YHUamjfJ0k