映画「嘘喰い」 世界平和のために不誠実(≒嘘)を食う。原作への誠意はある!

 迫稔雄による、ギャンブルを題材にした漫画「嘘喰い」。先日、実写映画が公開された。自分は原作全49巻読了済み。

1. 原作も映画もまっとうな娯楽作

 原作は所謂デスゲームも盛り込まれ、この群のえげつないイメージを未読者は想起しがちかも知れないが、最終的には主人公側の勝利と、人間への慈愛の目線が盛り込まれる、真っ当なヒーローものにして娯楽作だ。

 映画版は色々と映像化に不向きな部分もあり疑問点もあるが、世界観がよりマイルドになり口当たりの良い作りになっていると思う。以下、良し悪し織り交ぜて感想を書いてゆきたい。 

2. 主人公、斑目貘とは何者か?異名「嘘喰い」の由来とは

 作品の主人公「斑目貘」(以下、貘さん)には原作では象徴的な設定が一つ用意されている。彼は「ジャンケン」が弱いのだ。貘さんはギャンブラーであるが、「機械相手など含め、運任せの勝負運は基本もってない(本人談)」という設定だ。原作では冒頭のパチスロでそれを表現していたが、実際は大勝してるなど矛盾もあったせいか映画では描かれていない。

 では貘さんのギャンブルは何が強いのか?ここが彼につけられた異名「嘘喰い」の由来で、彼はイカサマをはじめとした相手の不誠実≒嘘から生まれる作為を逆に利用し、運任せでない必勝への道筋をもたらすのだ。彼が打ち砕く相手はずるい者たちなので、だから面白い。

3. 映画前半の再構成は丁寧な印象。キャラ描写も良く入り込みやすい

 映画版では、チンチロのイカサマを返り討ちにするオリジナルのシーンを序盤に配置しており、次のルーレット勝負やその他小さな賭けなどいずれも、貘さんにとってイカサマや罠を仕掛けてくる相手こそが獲物であるということをテンポ良く描写している。

 前後するが、冒頭アバンタイトルでまず獏さんの過去の大敗を描写したことによる構成のメリハリも効いている。最初に敗北を描くことで、その後の勝負で本当に勝てるのか少し疑ってみることができるし、貘さんが勝てば勝つほど、ならば冒頭の相手は強敵であったと伝わるようになっているし、トレンドとしては彼の復活劇としても成りたち、入り込みやすい。ここまでの再構成はかなり好感触だった。

 人物描写もいい。原作の獏さんはふと死線を超えた凄みもみせ割とキツイことも言ったりするのだが、映画では柔らかい時のイメージで一貫していて安心して見ていられる。むしろバディとなる梶くんのほうが映画尺に心情変化が圧縮されてやや情緒不安定に見えるが、基本的には原作同様、読者目線の役割を担っており、つまりメインであるこの二人に不快感がないので口当たり良く見ていられた。

4.中盤は映像化に苦戦!?しかしマルコは良い!

 残念と感じたのは主に中盤、原作の廃ビル脱出ゲームのあたりだ。これは盛り込むことになった時点で苦しかったと思う。原作でもギャンブル勝負をほとんどしてないうちからサバイバルゲームが始まって個人的にやや困惑してしまったあたりになる。連載初期ということもあり描かれる心理戦も以後のシリーズに比べると見劣りを感じるのだが、そのためか映画も心理戦やトラップはかなりサクサク消化しており、それだけにやはり映画でもジャンル迷子状態になってる感は否めなかった。

 なら脱出ゲームはカットしたら良かったのかというと、もし今後の映像化も見据えていたなら居ないことにはできないキャラクター、マルコ(ロデム)との出会い編にして彼のバックグラウンドそのものになるエピソードでもあるのでそうもいかなかったのだろう。ロデムの超人描写もとても予算が追いついておらず、正直かなり厳しかった。ただ、そのマルコ(ロデム)役の俳優さんは本当にマルコっぽくてこれはビックリした。

 しかしこのあとの佐田国編でも改変がありマルコは活躍しないので今回はこれきりである。なんというか、色々もったいない。ともかくこの中盤辺りに、原作の映像化しづらい部分がそのままそうなってしまった感は否めない。

 そして蘭子邸で共同生活というオリジナルをはさみ(蘭子関連はどう感想に手を付けたらいいかわからないのでノーコメントでいきたい)原作序盤の名エピソードである佐田国編へ。

5.メイン敵キャラが大きく改変、しかし個人的には理解

 さてこの佐田国編、かなり改変が入っており、原作ファンからの猛烈な批判も少なくない。これ以降クライマックス付近の話も絡むので詳細を言えないところもあるが、特に勝負のトリックと打開策に関しては矛盾や不足が発生しており、それは残念だった。

 一方で、佐田国自身に設定されたオリジナルのバックストーリーは自分は支持したい。映画版がこのように変更した思いが伝わってきたのである。それは、獏さんの目的が何なのか、貘さんはどんな内面を持ったものなのか、原作を一通り読んで今回の映画に落とし込もうとしていることだ。 

5.2. 斑目貘とは何者か 再

 原作の獏さんの目的とは?まず貘さんは「屋形越え」というとりあえずの目標はあるが、その先の話をここでは指す。これは原作全49巻中の3巻収録の23話で本人が言ってるのでネタバレではないと判断するが、目的は「世界平和」である。獏さんはこういうことで嘘はつかない(相手に誤認させるよう仕向けることはあるが基本的に嘘はつかないのである)。

 しかし原作ファンの間でも、この貘さんの目的については熱気を持って語られることはあまりなかった。そもそも原作の勝負では貘さんは不在のことも多く、それどころか割とポッと出のキャラが何話も担うこともある。娯楽作としては、要は敵側が不誠実なやつなので、それをごく一般的な道徳感を持った主人公側の誰かが返り討ち(嘘を食う)にすればタイトルには沿っていたから問題なかったのである。

 以上のことにより、原作では以下の2つのことが成り立っていた。1つは、貘さんの目的やバックストーリーは長らく語られないまま原作は進行し、かつそれは読者も問題化はしてなかったこと。2つは、頭脳的超人である貘さんも怒りを感じるものは凡人のわたしたちとも普通に共有できるものだったということ。

 そして、原作で貘さんの目的について掘り下げが入るのは本当にずっと後になってからだったが、その目的は確かに世界平和だった、と思う。

「目の前に嘘を出されると 我慢できず食ってしまう 嘘を食う それが 俺の 正義だ 」

5.3. 映画版のとった選択

 話を佐田国に戻すが、つまり映画版の彼は、貘さんの世界平和という目的が伝わりやすいように改変されていると考えられる。原作の佐田国は大量殺害も厭わないテロリストであり、貘さんはそんな彼に怒りと嫌悪感を露骨に示していて、それはそれで世界平和が目的であることとつながるのだが、映画の佐田国は逆に、貘さんのパラレルといえる役割に近い。本当に映画の最後のあたりになるので書きづらいが、2人は最後の会話で、たしかに共鳴していた。

 それだけ改変していながら思い出したように原作のセリフが出てきてブレが発生しているなど気になるところはあるが、それでも、斑目貘という人物のテーマを掘り下げようとしている姿勢を自分は支持した。この一作に、「嘘喰い」の異名をもつ男は確かに描かれている。

おわりに(と追記)

 前述したが打開策のおかしなところや賭郎が組織として色々良くない感じになってるとかどうにも気になるところは沢山あるのだけど、それはそれとして。

 貘さんを演じた横浜流星さんは良かったと思う。

 他にも色々あるけど、ともかく一言、見て良かった。


 追記。正直言えば、期待値はかなり下げて鑑賞に臨んだし、本当は言いたいことはちょっと多すぎる。でも自分は可能な限り映画化そのものを肯定したい。

 なぜかと言うと、原作の売り上げは巻数で割ると発行ベースで18万部。これははっきり言うと、全国公開作品として企画に予算が降りたことそのものが幸運と言わざるを得ない水準だからだ。原作は傑作だが、序盤は面白さにブーストがかかるのがやや遅いこともあり、新規とりこみによる部数が中々伸びなかったのだと思う。

 映画企画において、動員の根拠になる原作売り上げはかなりの重要指数だ。それをそれこそ大博打で企画を通してくれた映画関係者の誰かがいるはずなのである。

 少なくともこの映画化とその宣伝によって、原作を知った人や読む人が増えたのは間違いなく、自分はそこに感謝したい。それくらい、この漫画が好きなので。

#映画感想文 #嘘喰い  

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