罪人の「やり直し」の機会について。 スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム

 軸はやはりヴィランたちの物語。エンドゲームと同じく、映画企画としてよくこんなことを成し遂げたなという感動がすごい。ソニーコロンビアのスパイダーマンを見続けた人たちへのご褒美のような作品。

 かといってノスタルジーだけを攻めてくる作品でもなくて、現代的なテーマもしっかり描いている。

 セカンドチャンスという言葉がある。原語では本編でも何度か言っていたフレーズだ。貧困に陥った人、罪を冒した人たちにも再起を与えるべきという思想で、この映画の場合は後者になる。

 歴代スパイダーマンのヴィランの多くは当初は普通にコミュニケーションのとれる人たちで、それがいくつかの不幸や「大いなる力」を得たことでヴィランになった。そんな彼らに「セカンドチャンス」を与えるべきという物語であり、ノーマンがメイの働く支援施設で縮こまっていたシーンはその象徴だろう。歴代ヴィランの過去作における描き方があってこそ生まれた作品だ。

 やはり厚みを感じるために重要なのが過去作を見ているかどうかで、見ておくと、この人にセカンドチャンスは訪れるべきかとか、大いなる力が得られなければこの人は違ったのだろうかとかいった自問自答をしながら見ることができるのでオススメだ。個人的には「この人はアレがなくてもやはりまた同じことをするのでは」とか思い巡るのである。そして、感傷的な動機で誰も彼も救おうとするとやはり悲劇が起こりかねないとか、そういう面を描いている現代性に感心した。

 だだしこの点で脚本レベルの不満があり、特定のヴィランに関して、なぜ再び悪堕ちしてるのかちょっと説明不足というか腑に落ちないというかやるせないという感想をもつ。ここが残念だった。

 「大いなる力」を「ギフト」と表現するシーンもあり、その「授かり物」には大いなる責任が伴う、というシリーズ通してのテーマに対する投げかけも十分に行われていて、そういう面でも満足感があった。

 世界を御せる大きな力を手に入れた時、それを正しく使うためには、自分の中に何が必要なのだろうか。そんな大いなる力を手に入れる経験はその時までないから、私たちはその魔力に抗えるかどうかわからないのだ。

 ともかく、主人公側に更なるサプライズのある作品ではあるけど、テーマそのものはヴィランたちが十分描いていると思う。

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