社会の在り方は、一つではない。
ちょっと、このニュースを見てガッカリというか呆れましたね…またかって感じで。
動画自体は見逃しましたが、黒人の表現や内容の描写が思いっきりステレオタイプ的なもの。ああいうのって、
視聴者に分かりやすくしたつもり
という、視点が一つしかない。だから色んなとらえ方・見方をされるという発想自体がなかったんでしょう。
私はこうした愚行を
善意の悪行
と呼んでいますが…。ホント、日本の社会って
つもり
ということが多い。これは、ホンモノに近づけないし、なってないんですよね。方向性だけで、詰めがないし。
そもそも、TV番組や記事でもあるんですが
日本の善意・善行
を賞賛するような内容ってどうかしてると思ってしまう。相手から伝え聞くならともかく、自分からそういう報道してどうするのか。単にそういうのを読んで喜ぶ需要があるからでしょう。
こういうのって、認められることに飢えてるとか、自分が確立されてないからだろ?と思うんですよね。本当の自信を持つ人は、他人の毀誉褒貶に左右されない。自分の芯ができているので、他人の評価は受け止めつつも流されない。
だから日本凄い、日本はエライ、日本は大丈夫だ、という表現は全部的外れだと思うし、一方で自虐的に
海外礼賛
に傾くのも間違っている。
これは単純なことで、
どこであろうと、長所と欠点は必ず存在する
ものだから。だから、日本以外から参考にできること、より優れたトコを持つってのはある。逆もある。その中で、理屈で言うなら簡単ですが
良いトコをもらい、良くない点は解消していく
ことが重要でしょうに。
例えば日本的な良さというのは、
ボトムのセーフティーネット
というところかなと。これは日本の歴史が閉鎖的な社会ではあっても、基本的になんとか食っていける状況がベースだったから。極端な貧富の差というのは、他国に比べると事例は少ないと思う。
これは留学時代にメキシカンを見て感じたこと。彼ら彼女らは教育を受ける機会がまずないところから人生がスタートしていた。だから必然的に就業の機会がボトムからになってしまい、不利。こういうのを見て、いかに自分が日本で恵まれていたかを思い知った…というのが当時の体験。
教育や勉強する機会や手段そのものが最初からなかったら?というのは日本にいると中々想像はつかないと思う。だから、日本の環境でなら勉強し、まだ自力で立て直す余地がかなりあると思う。全くない、という事ではないんじゃないかな。その辺は日本しか知らないと分らないと思うよ。
欧州については在住経験がないので、書くことはできない。ただ、政治史に関してだけは色々文献を読んでいるのでそこだけちょっと言及する。欧州の場合、あの狭いエリアの中で利害の調整が大変であることは日本とは全く異なる。また、明確にするのも、しないと亡国につながりかねないからだと思う。
日本が島国で国境の問題にやや鈍感なのも、やはり海を隔てているから、というのは大きい。陸地で国境を接する、というのがどういう事なのか。それは日本人だと分らないか、分かりづらいと思う。そこからこうして、違った価値観が形成されているのは間違いないだろう。
だけど現代では、かつての日本の政治スタイルとして繰り返されていた
自国の都合での出たり入ったり
という対外姿勢は通用しない。こうして経済が停滞し、国民全般に前向きなマインドが形成されていない(と感じる)今だと、内向きになっているけどね。
歴史的に見てると、日本の場合海外外交史においてその存在感を自国都合で
消えたり出てきたり
という繰り返し。そのマインドがDNAレベルであるのか、信じられない様な発言や行動をする。コレはこの歴史的経緯が土台にあるからじゃない?と思うのだ。
叩かれたら引っ込めばいい、というこの考え方だからああいう表現で愚にもつかない謝罪でお茶を濁す。具体的に何がどう、というのが(見る限り)いつもない。そこには
是非に対する詰めと判断、改善への道筋
が示されないまま、曖昧にして逃れようとするからじゃないかなと思うのよね。
いぢょー。