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地方創生の傘の下で生きる僕たち(Z世代)は。

ここ数年で大学生が地方に出向いて地域住民と交流したり、プロジェクトを起こしたり、生活したりする動きが活発になってきている。僕もその流れの中にいる。

こうした大学生の地域活動は、地方創生や地方活性化・関係人口といったキーワードと結び付く。そしてそれらが地域にもたらす可能性を考察されたり、僕ら自身でも考えを巡らせたりする。

でも結局「ばか者」としての価値が一番高いよねという話に収まる。大学生が地域について(的外れながらも)一生懸命考える姿が地域住民を刺激して、主体形成につながるというわけだ。

確かに地域住民の主体形成はそう簡単にはいかないことで、重要なことだ。けれども、僕たち大学生の視点からこうした一連の流れをどう語ればよいのかわからなくなることがある。

よくする大学生視点の語りは、「地域には都会にはない可能性を感じている」とか、「まちの課題を解決したい」といったものだろう。

外から地域を”発見”した時の高揚は僕たちを突き動かすのに十分な力を持っている。でも結局「ばか者」の機能を果たす僕らが積極的にその語りをこなす気にもなれないし、こなせる器用さも持っていない。オリエンタリズム的なまなざしから抜けられていない気がして、そんな自分にも嫌になってしまう。

他には、「まちに愛着を持ったのでこれからも関係人口として関わり続けたいです」という宣言をすることで将来の自分に託す手もある。

これは確かに本音ではあるのだけどちょっと背伸びしている感じがするし、そう言い続けることが自分自身を不自由にしてしまうようにも思える。安易に郷土愛やシビックプライドといった文脈で片付けられることへの違和感もちょっとある。

半年(もっとかかりそうだけど)ROMります!と宣言して(死語…?)いろいろ吸収するのが手っ取り早いけれども、やりすぎると地域に入り込めないというジレンマに陥ってしまう。

そんなこんなで、大学生が地域に関わる理由やその価値を語るのは難しさを感じている。だからこのnoteでは「大学生が地方創生の文脈をどのように乗りこなし、そこにどんな価値を(大学生に)見出せるのか。また、その背景にはどのような時代の変化があるのか。亅というテーマで書いてみようと思う。

この文章を書く行為自体が自分の経験を振り返り、合理化するものになるだろうなということを補足して軽く保険をかけておきつつ、当事者の一人としての語りを関連しそうなテーマと結びつけながら書いていく。

ちょっと長くなってしまうので軽くネタバレをすると、このnoteでは「大学生の発達」の視点から地域とのかかわりを捉えなおし、変化する現代のモラトリアムと関連させて捉えなおすことを試みようと思っている。

地域で学んだ高校生活、地域と向き合う大学生活

僕は幼少期を北海道で過ごし、高校3年間を島根県津和野で過ごした。現在は21歳、大学3年生。

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北海道釧路
人口17万人。霧と漁業の町。

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島根県津和野
人口7000人。山陰の小京都。

地域みらい留学という制度を使って島根県立津和野高校に入学した。
津和野では高校生が主体的に竹林を管理し、竹を利用できる仕組みを作ろうとした。

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地域コミュニティは自分にとって居場所の一つであり、社会に触れる原体験でもあった。同時にそのコミュニティが近代化、都市化、過疎化の波にのまれていることも実感した。

大学入学後は東京で生活を送りながら、数回津和野を訪れた。周辺環境の変化から地方格差を実感し、特に教育格差について考えるようになった。

大学生を呼んで母校で授業したり、進路支援のようなこともしている。高校生や地域のコミュニティに入りながら都市工学を学んでいて、そのスケールの狭間にいる。

こうした取り組みや関心の推移は、割とよくいる教育系・地域系の若者の一人なのだろうと思う。

地域と大学生をめぐる3つの視点

こうした僕の背景を踏まえて、大学生が地域に関わる中で直面する出来事やそこでの変化を3つの視点からまとめていこうと思う。

1,主体者としての自分の発見(当事者性の獲得)
2,複数の社会の横断と葛藤(よそ者性と危機)
3.場所性を持つコミュニティへの受容(居場所感覚と対話)

ここであらかじめ断っておきたいことは、僕が使う「地方」や「地域」という言葉はきわめて具体的で、ある意味では限定的なニュアンスを持ち合わせていることだ。例えば、地域コミュニティはまちづくりコミュニティと表現した方が正確かもしれない。

ただ、僕が今イメージする「地方」や「地域」は高校、大学の日常生活の断片的な集積であって、逆にそれでしかない。今回は一人称の語りとして捉えたいと思っているので、あえてそのまま用いることにしている。

1,主体者としての自分の発見(当事者性の獲得)

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大学生が地域で活動することの魅力として僕たちがよく挙げられるのは、

地方には挑戦するフィールドがあり、アイデア次第でなんでもできる。
知識量よりは、むしろ空間や文化の読み替えから新しいアイデアが生まれる。
体験ベースで共有できて何か新しいことが始まる。

とかだろう。「地方だと生き生きした感覚になる」というのもこれに近い気がする。はじめは新しい世界を発見したときの高揚や全能感として現れてきて、次第に生活やキャリアの延長として、もしくは一部として取り込まれていく。

僕は大学の住宅設計の授業で、せっかく考えたアイデアや模型も結局は実現できないために、実体験を通したフィードバックが得られないことにもどかしさを感じることがある。そのたびに建築や都市工学といった専門分野においてまだまだ半人前であることに気づかされる。

一方で、地域ではまず作ってみること、やってみることから始まることが多い。試作していくうちに新しい選択肢が見つかったり、協力してくれる人が現れたりする。「制作」が生活に内部化するということかもしれない。生活というものは周辺環境との相互作用なのだということを実感できるし、その中で等身大の自分が見えてくることもある。

そこでは客観的に何が必要かとか、なぜやる必要があるかよりも、自分たちがどうしたら楽しいかとか、どうやってやるかという話に重点が置かれる。主観で語れる場は能力差や経験差で排除されずに個々人の経験や想いが尊重されるため居心地が良い。

大学生は知識もなければ社会経験もない。だからこそ、主観で語れる地域に魅力を感じる。客観的な分析でなく、体験した出来事やそこで感じたことから話せる。宮本常一が見た寄合の世界に通じる部分があるのだろう。

これは当事者性の獲得と繋げて考えられそうだ。

当事者性とは、問題や問題の渦中にある人との心理的・物理的な関係の度合いのことである。当事者・非当事者に二分されるものではなく、グラデーションで捉えられる。

・包括的な当事者の組織化(自分たちごと化)
自分より「当事者」の高い人たちと触れあうことで共感・一体感・同時存在感を増し、自らの「包括的な当事者性」を深めること
・各自の中にある潜在的な当事者の顕在化(自分ごと化)
自己の問題状況を自覚し、それとの心理的・物理的距離感としての「潜在的な当事者性」を顕在化させること
・当事者の連帯(みんなごと化)
異なる「当事者性」を重ね合い、多極的かつ有機的に「当事者の連帯性」を高めあうこと

人口減少社会と高校魅力化プロジェクトより引用、要約

これらの当事者性が高まることは、自分というものの範囲がグラデーショナルに広がる感覚とも繋がる。その点では身体性の拡張とも読むことができる。

「僕たちは地域『を』どうこうしたいわけじゃなくて、自分たちが楽しく生きる先に地域があって、それが地域『で』実現したらいいよねー」というコメントはその感覚をうまく表現している。

こうした状況を僕たちZ世代の特徴と関連させて考えてみたい。

僕たちZ世代は、どの(世界的な)社会課題に関心があるか問われたり、取り組みたい社会課題を出発点に進路を選択する人が多い。この傾向は地球市民としてのアイデンティティ形成が進んでいると好意的に捉えることもできるし、実際にアクションを起こして社会システムを変革している人もいる。

そうした人たちにはつくづく敵わないなと思うのだが、Z世代の象徴として世代全体の潮流をとらえることもできないのかもしれない。

なぜなら、その現状は逆説的に「社会課題」を設定することでしか社会と繋がれない現状、言い換えれば、想像できる「社会」が身の回りにはなく、一気に地球規模に展開せざるを得ない現状があることを意味しているようにも感じるからだ。

社会課題という覗き穴を通してしか社会と繋がれない、「セカイ系」にもつながるような自己と社会の距離感覚の喪失のなかで、「多様性」という言葉はどうしても地に足のつかないふわふわした言葉になってしまう。その葛藤に悩まされる中高生は多いのだろうなと感じる。

そうした状況下で、「地域」という存在は地に足をつけて向き合えるヒューマンスケールな社会として魅力的に映り、僕たちは地域を再発見するのだ。

2,複数の社会の横断と葛藤(よそ者性と危機)

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東京にいるとその便利さや文化環境の豊かさを感じるし、北海道や島根に戻ると自然や暮らしの豊かさを何故今まで忘れていたのだという気持ちになる。都市や風景というメディアやそこでのコミュニティはこんなにも影響力が強いのだということを、移動するたびに実感する。

地方活性化の文脈では、「よそ者」は地域というホスト社会から見た役割や性質を指すことが多い。既存の資源を読み替えたり、新たなものと掛け合わせたりするなどクリエイティビティをもたらす、といった具合にだ。

しかしながら同時に、よそ者本人も地域に入ることで「よそ者性」と呼ばれるような性質と向き合うことになる。

都会と地方を横断することは、単に地理的な移動だけではなく、社会を横断することでもある。異なる複数の社会を横断する中で、社会システムや価値観の違いを体感する。単なる比較ではなくて、そこにもっと大きな時代の流れや構造社会が横たわっていることもわかる。

高校生や大学生の年代でそうした新しい社会に遭遇すると、どちらの社会も自身の原体験として残る。たぶんアイデンティティが形成されきってからだとそうはならないのだと思う。

社会が一つではないことを知った僕らは、その狭間で生きることになる。一通りの葛藤を経験して、その先に新たな地平が見えたらいいなと願いながら、もしくはどちらかに適合しようと試みながら暮らしを送る。

その新たな地平の手がかりとして、個々人の「発達」の視点から考えてみたい。

青年期の発達課題として代表的なのが自我同一性の獲得だ。マーシャは自我同一性地位を「積極的関与」と「危機」の二つの次元の有無で区別している。

積極的関与:自分自身をそれにかけることができるようなものがはっきりとあるかどうかということ
危機:自分なりに関与するべきものを見出す過程で悩みや葛藤に苦しんだかどうか

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やさしい教育心理学より引用

積極的関与有×危機無だと早期完了の状態とされる。

早期完了とは選択肢の中で悩んだり疑問を感じたりすることがそれ程なく、職業や生き方が既に決定している状態である。一見同一性達成と同じように見えるが、「硬さ」が特徴であり、環境の変化などのストレス下で柔軟な対応が困難となる。

大学生の夢と自我同一性地位との関係より
https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=2065&file_id=37&file_no=1

これを読んで自分はモラトリアムだということを再認識したとともに、僕にとっての危機の遭遇は、都会と地方の往復によるよそ者の「危機」と重なることに気が付いた。

早期完了の状態と同一性達成の状態を画一的に評価することは難しいだろうし、どちらが幸せか決めることもできない。ただ個人的に僕は変化に柔軟で新しいことを取り入れられる環境のほうに身を置きたいなと思うし、自分もそうなりたいなと思う。

モラトリアムの変化とも照らし合わせて考えることができそうだ。古典的モラトリアムでは強い半人前意識と自立への渇望が特徴であったのに対して、現代的モラトリアムでは半人前意識から全能感へ、同一感から隔たりへ、自己直視から自我分裂へといった特徴が見られるとされる。

こうした変化の背景には若者と社会の関係の変化があることは言うまでもない。こうして生まれてきた僕たちは、ある点では分裂と分断ネイティブということになるのかもしれない。

都会ー地方の格差や再生産の背景には都会ー地方の分断がある。地方が消費され、観光では非対称なまなざしが向けられる。その中で、都会と地方の双方を原体験としてもつマージナル・マンが増えることは、新たな意味合いを持つだろう。

3.場所性を持つコミュニティへの受容(居場所感覚と対話)

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地域コミュニティはあたたかくて、居場所感がある。
属性でなく、個人として振る舞える。
価値観があう。
東京の人が冷たいというわけではないのだけど、ここの人は優しい。

ここでのコミュニティとは、地域内のコミュニティに限らず、UIターン者、大学生を含む、地域を共通点としたコミュニティ全般を指している。

地域での人間関係の距離感やそこでの会話は、明らかに都会とは異なる。そのコミュニティの距離感に僕は心地良さを感じることもあるし、難しさを感じることもある。

また、年代や価値観の多様さから、数年先のキャリア選択に悩む僕たちにまた違った視座を与えてくれることもある。

そこでの関係性は、「無目的に集まれる場」と表現することもある。空き家を改修してカフェを作ってコミュニティスペースを作ろうとする動きとかには、この無目的性がキーワードになっていることが多い。

無目的性がキーワードになるくらい、特に都会では目的が必要とされている。都市空間の持つ偶発性や包括性が、目的によってそぎ落とされてしまう。その反動で地方にまなざしを向けているという面はある。

とはいえ都市的価値観(あえてぼんやりとした書き方をした)の否定としての無目的性という言葉ではあまりしっくりとこないので、場所性を伴うことで生まれる動機や拘束と表現しようと思う。

目的ではなく動機によって集まり、自由ではなく拘束によってコミュニケーションが生まれる場では、偶発性・創造性・多様性・包括性といったキーワードをも内包するだろう。

背景には都市部出身者の割合が増加する中で故郷が消失していることや、都市の没場所性が進んでいることが挙げられる。Z世代は団塊ジュニアの子供の世代に相当する人も多く、それまでの世代とは少し状況が変化しているのかもしれない。

大学生という属性・世代と地域の親和性

これまで書いた内容を下の図にまとめる。

note用図_アートボード 1

自分の経験をもとにまとめているので当たり前ではあるのだけど、こうした内容は大学生という属性・Z世代という時代性と結びつく点が多い。

一つは自我同一性獲得の過程であることだろう。高校を卒業して大学に進学した(一部の特権的な)僕らは、学問に触れながら社会とのかかわり方を探る期間を送る。その過程では実践とフィードバックを伴うほうが充実するし、その場として地域は親和性が高い。

あとは、教育への関心も近い側面を持つ。

僕は地方の教育環境の格差や社会教育に関心を持って、教育から地域に関わったり、地域から学びを捉えなおしたいと思うことがある。具体的には高校生向けにワークショップを企画したり、授業したりするのだが、こうした機会は一方向的な支援や情報提供ではなくて、双方向の学びにつながることが多い。格差解消のためというよりは個人的にそうした機会を作ろうとしている節がある。

なぜかというと、教育という視点から中高生と関わることで自身の中高時代を振り返る機会ができるからだ。これは自我同一性の文脈における「時間的展望の獲得」と繋がるだろう。

続いて、地方創生についていくつかの視点から眺めてみる。

地方創生という傘

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これらの動きの背景として地方創生という潮流は避けて通れない。

もともとよそ者に排他的であった地域も、地域の衰退によってよそ者を受け入れざるを得なくなってきているし、大学生側は、地方創生という目的(動機のほうが正確かもしれない)を設定することによって、地域と関わるきっかけをつかむことができるようになってきている。

地方創生という語に対する違和感を感じることは多いし、違和感がもはや共通認識になっている部分もあるとは思うけど、その傘の下にいることを忘れてはいけないなとつくづく感じる。むしろ僕らは地方創生という傘の下でどのようなキャリアを選択するのかということに向き合っていると捉えた方が自然なのかもしれないなと思う。

自分探しバックパッカーから地方創生へ

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学生と地方への関心について、学生生活の送り方からその流れを追ってみたい。

沢木耕太郎の時代はバックパッカーが流行り、多くの大学生が自分探しのために旅に出た。自分がいる環境を一度離れて、新しい世界に触れながら自分と向き合おうとした。この頃のモラトリアムは、一回休んでもよいからじっくり自分と向き合うことを意味していたのだろうなと思う。

その後東南アジアに井戸や学校を作ることに代表される国際貢献の時代が来た。グローバルな視野で貢献することを通して、自分に向き合うようになったのかもしれない。

就活時期になるとサークルの代表が増えてカンボジアに井戸が立つ、という就活状況を揶揄した言葉があるが、自己アピールの材料としての側面が強まってきたのだろう。

そしてその次の流れが地方創生なのだろうなと思う。国際貢献から社会課題解決へと変化してるのは興味深い。グローバル化がひとしきり進行したのちに揺り戻しが起こっているのと、ボランティアから課題解決へとより実践的な経験に変化していることが読み取れる。

すべて日常的に暮らす社会から「越境」することで社会を客観視したり、そこに無いものを探ろうとすることは共通している。こうした流れを踏まえると、地方創生も20年くらいのトレンドとしてとらえることができそうだ。

文学運動・疎開と地方

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次に、過去に都市部から地方に越境した事例を軽く参照する。

個人的に最近興味があるのは、ニ十世紀初めの文学運動と第二次世界大戦時の疎開だ。これらが地方創生の状況を客観視する手助けになりそうだなと感じている。

特に最近自分は白樺派の文学運動と民藝運動に関心を持っている。単に文学や評論だけでなく、武者小路実篤の「新しき村」や全国各地の民藝運動といった実践にもつながっていて、かつそれが地方で展開されたという点が興味深い。

西洋化や近代化で大きく社会が変化する時代であったからこそ地方に身を置いて考えることや実践することが特別な価値を持っていたのだろが、個人的には地方という場や同人誌を軸とした界隈が形成されたことが魅力に感じられた。

自分が今地方に関わっていても、結局地方に身を置いているというよりも界隈に身を置いている感覚のほうが大きい。

ここでの「界隈」というのは単に居場所やコミュニティというのではなくて、新しいムーブメントを引き起こす可能性があるものというイメージがある。界隈というととても内輪なイメージがあるけれども、その界隈の触媒として、あるいは集合として地方を捉えると、また新しい見方ができそうだなと思う。

疎開は都市部の人々の多くを地方へと移動させる機会となった。戦時中の厳しい時期であったため現在とは状況が大きく異なるが、移動が人々にもたらした影響は大きい。パッと思い浮かばないけれども疎開経験がその後のキャリア形成に影響している著名人も少なくない印象がある。差別などの摩擦が多かったのだろうけれども、一部はその摩擦を原体験として創造性を発揮していると言えるのかもしれない。

これらの文学運動と疎開の事例から地方創生の動きを捉えなおすと、時代は異なれども近い部分を持ち合わせているように感じる。界隈性という視点から生活レベルでの「まち」の射程を明確にできそうだし、疎開の視点から人口移動や時代性といったマクロの動きと結びつけて考えることができそうだなと思っている。

地方志向の背景と脱近代のまなざし

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地方から都会に移動する人も、都会から地方に移動する人も、その移動前の心境には、割とモヤモヤを抱えている人が多い印象がある。

地域という枠から解放されるために都会に移動する人も多い一方で、家族という枠・学校という枠からの解放として地方に関心を寄せる人も多い。

その点では地方創生の文脈は若者の受け皿になっている。若者の視点から見ると、近代で取りこぼされた部分に違和感を感じている状況が存在するともいえるかもしれない。ただしこの辺りはかなり人それぞれだ。地方を課題解決のフィールドやキャリアアップの機会としてとらえる動きも多いので、区別して考えた方が良いかもしれない。

地方創生という傘の下で僕たちは

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地方創生は僕たち若者に問い直す機会を与えてくれているという点で、猶予の機会をもたらしてくれている。そしてそれぞれの経験を通して「地方創生的な」新たな規範や姿勢を身に着ける可能性を持ち合わせている。僕にとってそれは当事者性や分断との向き合い方のようなものなのだろうなと思う。

地方で生まれ育ち、東京や別の地方で青年期を送る僕にとって、まちは異なる時代の記憶をつなぎとめて、異なる社会をつなぎなおしてくれる存在である。このnoteを書く過程で少しは整理できた気がする。

ここまで書いてきて、現段階で自分にとって地方とは、「発達」と「分断」と「界隈」がキーワードなのかもしれないなと思った。あと1,2年くらいはモラトリアムとしてしっかり向き合いながら、3年後くらいには自我同一性がある程度確立した状態でキャリア形成も含めて考えられるようにしていたいなと思う。元気があれば2,3年後くらいにこの記事を読み返して振り返りのようなことをしてみます。

終わり。

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