【昭和講談】幕間の思索② 日本語の音楽性について

 日本語の発声と言いますか、日本語の「語り」や「謡い」などの音楽性は、芸能の中でもっと語られてもいいのではと思っています。

 日本が音符、楽譜で音楽を表現する様になったのは明治の頃です。西洋の音楽が入り、童謡、唱歌が楽譜で書かかれた時期です。
 では、それ以前はどうか。どうも「口頭伝承」だった様です。
「音階」という西洋の概念がまだなかった明治までの日本は、言葉でメロディを伝えていたのではないか、という考えです。

 雅楽や三味線に楽譜的なものはあります。雅楽の方は知りませんが、三味線の方は、どの糸をどこで押さえる、というもので、楽譜とはまた違うものです。
 
 テレビ番組の制作をしていた頃、太鼓奏者の方をゲストに招いたことがありました。そこで、昔は太鼓のメロディなどはどうやって伝えていたのか、と質問したことがあります。すると、その方は「口で教えていたのでは」と答えてくれました。

 そして、その時に例として教えてくれたのが、安田大サーカスさんのネタの口太鼓「ドンドンドン」でした。「『ドンドンドン、カラカッカ』って、口でリズムを伝えて、それが今でも多くの人が知っているでしょう」ということだったんです。

 もちろん、太鼓があれば太鼓で伝えるでしょう。ただ、「ちょっと、そこはそうじゃなくてさ」という時に、さっと口で伝え、それが楽譜になることなく口頭伝承していったのでは、という考えです。

 音符が無かったから楽譜に、紙に残せなかった、という消極的なイメージではなく、「言葉の音階で伝えた方がイメージに近かったから」、そのやり方になったのではないでしょうか。

 昔の芸人さんは、聴いたメロディをすぐ唄えたと言われています。メロディを伝えるのに楽譜といったものではなく、「声で教えてもらい、耳で覚える」。これが当たり前の時代で育ったからこそ、だったのではないか。そう思っています。

 日本語は、というよりも、日本人は昔、「言葉と音楽とをもっと密接にさせていた」のではないか。音符や楽譜などなくても、「日本語はリズムを作り、メロディを奏で、音を自在に楽しむことが出来た」のではないか。
 今では全く薄くなってしまいましたが「日本語はもっと音楽的だったのでは」と、そう思っています。

 日本の話芸、語り芸、舌耕芸というのは、そんな日本語の魅力をベースにしている芸能だと思うのです。それをもっと伝えられる様に創作活動を出来たら、と切に思う次第です。

 さて、来週から【昭和講談】の第二話となります。その演題は田中角栄です。テレビの大量免許を切り取ってみました。
 読んで頂ければ幸いに存じます。

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