#03 親の介護

私の親世代は、兄弟が多いのが当たり前だった。
父は5人兄弟で、母は4人兄弟。
だから小さい頃から従兄弟だけは多かった。
そんな私はひとりっ子。
子供の頃は、ひとりっ子だと寂しくて、兄弟が欲しかった。今も兄弟が居ればいいのにと時々思う。

約10数年前、母が自宅で転倒し、両足骨折した。父は当時仕事で別居してたのであてにはならなかったが、約4ヶ月の入院で退院した。
母の両足骨折で要介護4に一時期なったが、それがきっかけで、出産後に私は介護の資格を取る事にした。
今は介護の仕事をしてるので、全ては母のおかげであると思っている。

数年前、母が認知症になった。
主介護者は父で、私は車でスープが少し冷める距離に住んでいた。まだ下の子は小さかったと思う。
母はヘルパーが自宅に入ることを嫌がった。
認知症になり、うつ症状が出ることもあった。

母の病院受診時は、父と共に私も付き添ったが、病院が嫌いな母に、よく噛まれたり爪を立てて抵抗されたりした。

時々父から夜中に呼び出しがあった。
「お母さんが家でこけた(転倒した)」
車を走らせて、夜中に実家へ向かう。
やっとこさ母を抱えて起こして、寝かせる。
そんな事が数回あった。
時には父が家で倒れていた時もあった。
父は年1回、尿路感染で自宅で倒れて入院してたから。

大好きだったお酒は、第一子ができた時に、やめた。子供の救急外来時に対応できるように。
まさか自分の親の救急外来時に対応できるようにとは予測してなかったけど。

コロナ禍になり、母が自宅で体調を崩し、腹痛が続いた。医者からは、いつ連れてきても構わないと確認を取っていた。
夜遅く、母を救急病院に連れて行く事にした。
今までだったら病院受診時は母に抵抗されて噛まれていたのに、この時は母も辛かったのか、噛む事なかったし、長い階段を大雨の中歩いて降りてくれた。感謝しかなかった。
しかし、父がなかなか家から出てこない。置いて行きたい気持ちだった。
その時、父も年をとり、介護をされる側に近づいているのだろうと推測した。

結局母は腸炎で入院する事になった。入院後は食事を腸炎のため止めていたが、食事を経口摂取する事ができなくなった。ポートから高カロリー点滴をして命を繋いだ。転院も含めて9ヶ月ほど入院したかな。母は救急病院に出掛けたのを最後に、生きて自宅に戻る事はなかった。

母が亡くなる約2週間前、父が通所介護に行くのに、自宅を出て、エレベーターに跳ね返されて転倒し、大腿骨を骨折した。
運も悪く、父の入院中に母が亡くなった。コロナ禍だが、手術後1週間ほどで一時外出をお願いし、病院から、葬儀に参列する許可をもらった。
葬儀の前日に、父に母が亡くなったことと、明日の葬儀に参列できる許可が出た事を伝えた。
父は大泣きしていた。約1時間程の外出だったが、無事に葬儀に出られた。
葬儀後、暫くしてコロナがまた流行り出したから、運が良かった。

入院した時点で、平日の休みは実家の事で手一杯になった。
病院、老健、実家へは週一で通っていたと思う。
自宅のメンテナンス、郵便物のチェック、入院(入所)中の洗濯物のクリーニング、自宅の大断捨離。
実家は集合住宅でエレベーターはあるが、外に出るのに長い階段があり、そのせいで、父を自宅に戻すのが怖くて、老健へずっと入所させていた。しかし、とうとう父がキレた。自宅に戻りたいと。
骨折して約9ヶ月で父は自宅に戻った。
以前から父も介護サービスを利用していたが、これからは独居となる為、自宅に戻ってから、介護サービスは、日曜日を除いては毎日利用した。
(父は服薬を忘れてしまうというのが最大の理由)

暫くは週一で実家に通っていたが、最近はご無沙汰である。数ヶ月に一度戻る程度だ。
長男が不登校になったのだ。
不登校になってからは実家に通うのも中々行けなかった。自宅の事で手一杯になったし、うつ症状で気持ちが外に向かなくなった。
実家に来るリハビリ師や通所介護のおかげもあって、現在父はぷらっと外出してしまう程に快復した。

明日の受診には父は1人で行く。
父の受診へは私が付き添っていたが、今は父1人で行く。

子供が介入しすぎない方が親はしっかりするのだ。

仕事で他人を介護するより、実親を介護する方が難しいと思った。
介護は色々な人の力を借りて、サービスも利用してうまく乗り越えよう。

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