中1の時の話

皆さんこんにちは。ヘルニアの手術は無事成功しました。

今ベッドの上で点滴をしてるんですが、僕点滴が好きなんですよね。
昔観葉植物を集めるのにハマってて、栄養剤を観葉植物の土に差し込むのがなんかスキでした。
点滴は、人間への栄養剤的な感じがして好きです。
逆に採血されるとめちゃ気分悪くなります。

話を戻しますが、前小学校の話をしたので。
中学の話をします。


僕は普通に地元の中学に進みました。小学生の時に関東大会で優勝した時の主力メンバーである2個上の先輩がいたからですね。先輩が強すぎて、入学時には既にチームとして完成してました。

当時中学1年生の僕は覚えたての腰パンスタイル
ライトポジションで出てました。(汚点)
駿台に負けてしまい、全中の結果はベスト4だったんですけど、腰パンで全中ベスト4に入ったやつは僕だけだと思う。(試合出すな)

ここまでは良かったんですけど、全中が終わり、3年生が引退すると、バレー部は僕の年代である1年生しかいない状態でした。2年生いなかったんですよね。
しかも中学からバレーを初めた人が半分くらいだったかな?
全中ベスト4になった次の県大会予選、市の予選で敗退みたいな感じでした。地方の中学校にありがち。


僕は正直(他の強豪校に転校したい、、)と思ってましたが、中学からバレーを初めた同級生は自分が誘い、入ってくれた事もあり、それはさすがに自分勝手すぎるな。。。という葛藤がありました(まじめ)

この葛藤期間が中2の夏まであったかな、あんまり覚えてないけど。。
そしてその中2の夏に、身長が高かったのでJOCに選んでもらえて。
この中2の時期が、バレー人生的には1番のターニングポイントだったかな。腰パンはやめてました。


その後については多分続く。

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