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植物の共生

地球が出来てから海の中ではぐくまれた命は『植物』という勇者のおかげで初めて陸上に進出しました。動物のように活発に動かない植物は後進の生き物たちのエネルギーの糧として何もせず、何も感じず、食料として静かに存在していると思っていました。

ところが植物たちは互いに情報交換し、助け合っていました。

青虫に食べられ始めるとすぐに周りの仲間(植物)たちに「食べられた!防御せよ!」と指令を送ります。そうするとまだ食べられていない周囲の植物はそれを食べる者たちが「おいしくない」と感じる成分を出し、防御するというのです。
また、日の当たらない(光合成ができない)仲間たちの為に根っこについている微生物を介してエネルギーを送り、共に成長していました。

それだけではなく、敵を抱きまいらせていました。

植物は自らの意思で敏速に移動できません。昆虫などの食料として『食べられる一方』で、防御と言っても「おいしくない」と感じる成分を出す位です。

そこでとった作戦がすごすぎる!

花を咲かせる戦法だというのです。今日私たちを和ませてくれる色とりどりの美しい花は恐竜の全盛期、白亜紀に出現したのだそうですが、敵(食べるもの)を利用し、自らの為に働いてくれるよう仕向ける武器だというのです。甘くておいしい蜜や果実を敵に食料として供給する代わりに花粉や種を遠くへ運んでもらい、子孫の繁栄につなげる戦術です。そのおかげで花の出現以降、生物の種類は飛躍的に増えました。敵の命を守り、自身にもメリットが出、共に繁栄を図る、まさにWIN WINな関係の構築です。

高度な文明を開いた人間は、その驕りによって忘れかけている、本来どんな生物でも内在している共生すると言う事をサラッとやってのけるこのすごさ。

考えてみればシアノバクテリアが酸素を生み出し、海中で飽和状態となり、地表に現れ、オゾン層をも生み出すほど大繁栄した時代、私たちの先祖ともいえる原生生物は、酸素という『毒』のせいで死滅の危機にありました。
この絶体絶命をミトコンドリアという酸素をエネルギーに変換できる別の生き物を自らの体の中に取り込んで乗り越えたのです。
正にピンチをチャンスに変えて共に大繁栄の基盤を作った、、、。

これらの奇跡は『敵を作る事の無意味さ』を教えてくれているように感じます。さらに言えば、私たちホモサピエンスのエゴを浮き彫りにしているようにも感じます。
他を変えるのではなく自信を変える謙虚さ。そして互いの関係をより良好にする行い。自然の摂理から自ら遠のいてしまった私たちが取り戻さなくてはならないモノだと思います。




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