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「出世を目指さない若者」が見落としている重要な事実

 お参りして名刺を納めると立身出世すると言われている「出世稲荷神社」は、境内を維持する資金難から、2012年に京都市の中心から左京区大原へと移転(左遷)されましたとさ。

 ところで「就職しても出世したくない」「出世よりも趣味を優先に生活を楽しみたい」「社長になるとかハナっから無理」「出世なんかに目を血走らせるなんてダセェっす」そう考える就活生や若年サラリーマンが増えていると聞きます。
 しかしそんな事は、僕が20代だった数十年前から言われていました。たぶんもっと前から、繰り返し言われ続けてきたのでしょう。つまり、人は歳を重ねるにつれて「出世したかった」と考えが変わっていくものなのです。かくいう僕もそのクチです。
 ではなぜ、取り戻せないような歳になってから出世を考えるようになるのか。若者が見落としがちな核心を示します。

 就職が決まったり、社会人数年目の多くは、人生の軌道が見えてきて、一安心だと思います。お気楽なサラリーマン生活でそこそこ仕事をこなしつつ、趣味も満喫できれば最高です。しかしその社会の中身は、学校よりも厳格な「上下関係」で構成されています。ヒラ社員は課長から、課長は部長から、部長は専務から、専務は社長から「指示(命令)」が下されて、それに従って業務が遂行されます。どんなにアットホームな雰囲気の職場だとしても、です。
 そしてその命令は往々にして、下から見て納得できない事も多いのが実情です。しかし従わなくてはならない。議論を重ねたところで、上役の意見が覆る事などほとんどありません。「君の意見はよくわかった。だが、言われた通りにしなさい」と言われるのがオチです。池井戸潤ドラマのような下剋上スピーチを一席ぶって人の心を打つなど、文字通りフィクションです。

やりたい仕事をさせてもらえない。
気の進まない仕事を強制される。

 こういった、意に沿わない従属が蓄積されると反骨心も沸きますが、一方でその整合性をとるために「僕の判断が間違っていたからだ」「僕がダメだから意見が通らない」「僕がポンコツなせいで、こんな仕打ちを受ける」と思うようになってゆきます。

 核心とは「出世しないと、自己肯定感が下がってゆく」という事です。

 学生のクラスや部活での序列と違って、金を稼ぐ上でのそれは生活のほぼ全てを占める価値観に繋がってしまうのでタチが悪い。
 その埋め合わせに趣味やプライベートに情熱を傾ける人もいますが、1日8時間、週に40時間もの自己否定を取り戻せる趣味などなかなか見つからないものです。埋め合わせられるほど趣味に没頭すれば仕事に悪影響して、自己肯定感はますます下がるでしょう。釣りバカ日誌が人気ドラマなのは「浜ちゃんみたいな人は珍しいから」です。

 逆に、命令を下すという事は「自身の判断は正しい」と信じられるからこそできる行為なので、出世して命令を出せる立場になれば、自然と自己肯定感が高まります。「部下の意見に耳を傾ける上司」というのも、自己肯定できる余裕あればこそ、です。

自己肯定感とは、人生の充足そのもの。

 この事実に気づかないで出世しない中年になると、とうとう自分を好きになれなくなってしまうのです。自分を大切にするために、とりあえずでいいから、若い頃は出世を目指してみませんか。もし出世できなくても、頑張った事そのものは自己肯定できるから。

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