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しろくまのすいか


すいかです。


 申し訳なさそうに大きな身体を縮こめながら、しろくまは小さな声で言った。好きな食べ物の話ではない。すいか、はしろくまの名前だった。しろくまは頭のあたりの毛をぼりぼりとかいた。なぜ周りの女の子たちように髪の毛がさらさらでないのか、しろくまはぼんやりと考えていた。さらさらかどうかどころか、髪の毛でもないのかもしれない。でもしろくまはそれを髪の毛だと思っていた。


 しろくまが住んでいる街は、そこそこ大きな地方都市で大抵のものは揃っている便利な街だ。海が近く、緑も多い。食べものもおいしい。しろくまは人間が食べるものもしろくまが食べるものも何でもよく食べる。そしてよく働く。しかしよく働くからと言って仕事ができるわけではない。しろくまはOLだ。市内にある大きな病院で医療事務の仕事をしている。大きな部屋に女の子たちが集められて仕事をするので、一際大きな体のしろくまはちょっと皆の邪魔になっている。そして細かい計算が苦手である。細かい計算をするのが仕事であるわけなので、苦手なら辞めるしかないと主任のノハラさんにはきつく叱られた。毛糸の帽子屋さんになりたい、という夢がある。しろくまは毛糸の帽子を編むのが大好きなのだ。


 しろくまの出身地は北極ではなく、山口県の下関市だ。それを言うと皆がっかりした顔をする。請求の伝票を整理する仕事をするため、しろくまはアラビックヤマトのりを手にとる。
 しろくまはアラビックヤマトのりが好きだ。手にのりがベタベタつくので周りの女の子たちは誰もアラビックヤマトのりを使わない。新しいアラビックヤマトのりを手に取る。新しいものは、栓、がしてあるので、まずは蓋を取って、慎重にその栓を外す。どんなに気をつけても手がのりでベタベタになってしまう。その手にも白い毛がふさふさと生えている。
 さっきから、すいか、というしろくまの名前が全然登場していない。しろくま自身、自分のことをすいか、と認識するよりしろくまと認識しがちなのだ。そう思うとしろくまは少し落ち込んでしまう。


 しろくまには恋人がいる。元プロアメフト選手の田中さんだ。田中さんとは西区の市民プールで出会った。しろくまが飛び込み練習をする姿を見て、田中さんはしろくまに一目惚れをしたのだそうだ。田中さんには一度インド人がかぶるみたいな柄の毛糸の帽子をプレゼントした。ちなみに、田中さんよりしろくまの方がふたまわりほど体が大きい。田中さんはしろくまのことを、すいか、と呼ぶ。しろくまには友達もいる。同僚のゆきちゃんだ。ゆきちゃんとは時々ランチをする仲だ。ゆきちゃんは主任のノハラさんが描いた精巧なドラえもんの絵を見て、尊敬できるのかもしれない、と呟いていた。ゆきちゃんは、しろくまのくしゃみの音が大きすぎてだいたい花火大会で上がる花火ぐらいの衝撃を周囲の人々に与えるという問題についてしろくまが悩んでいたときに、息を吸うのよ、吸ってくしゃみをするのよ、と丁寧にくしゃみの仕方を教えてくれた。ゆきちゃんは小学校五年生のときにくしゃみの仕方を研究したらしい。ちなみにしろくまはゆきちゃんが言うことは理解ができず今もヒッ。ハアッ。と花火のようなくしゃみをしている。もうしわけないことだ。


 しろくまはよく眠る。よく眠たくなるので、眠たくならなければいいのになと思っている。夏が苦手でしょう、という顔をされることがあるが、そんなこともない。でも、そう言った人をがっかりさせたくないので、薄焼き玉子のような微笑を浮かべて、ただ黙っていることが多い。

 大きな体を横たえて目をつむる。時々、北極のことを考える。

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