2020/10/11(日)

告白すると:私は音楽家・小田和正氏(以下、全幅の親しみを込めて「小田さん」とする。)を、心から敬愛している。敬愛して止まない!元々は高校生の頃, ”Eテレ”でオフコースについての番組の再放送を視聴したことから、オフコースのファンになっていったのが切っ掛け。高校の3年間を掛けて、オフコースにどっぷりハマったのち、解散後のオフコース・メンバーを辿るようにするなかで、小田さんのことが大好きになった。大学生になった後も、今日までずっと、小田さんの音楽とポリシーを傍らに置いている。

小田さんの大ファンだと周囲に告げると、俄かに「あなたって渋いのね!」とよく応答されるが、誠に失礼ながら、それは小田さんの音楽的、また人間的魅力をご存知でない故の発言だ。ソロとなってからの小田さんの音楽には、さほど渋さはない— クールネスかウォームネスはあっても。「言葉にできない」(2002年)や「たしかなこと」(2005年)は、コマーシャルで用いられたこともあり、広く彼の代表曲として認知されている。しかし小田さんの音楽的魅力とは、その2曲で表すには余りに不十分だ。

私が楽曲を熱心に聴き始めた頃は、小田さんのAOR (Adult Oriented Rock) 志向とかエレクトリックなサウンドに引き込まれていた。推測だけれども、望月氏との、シンセを用いた助奏のフレーズなんかは、やや強く印象に残る。1990年代は特にその傾向が著しく、バンドサウンドの炸裂する「FAR EAST CLUB BNAD SONG」(1991年)は、最近の私のお気に入りです。けれども、時代を経るごとに、小田さんの音楽性や人生観は変化していったようで、それが楽曲や音楽活動の方向性などに、よく表れているように思う。

2000年代後半からあとは、それ以前のよりも、優しさに溢れた楽曲や人柄が見られるようになり、小田さんに対し新たな魅力を感じるようになった。アレンジについてもストリングスを重視するようになっていったことは、そう感じさせた要因の一つだろう。これ以上は熱くなって語り過ぎてしまいそうなので、この辺りでやめるけれども、小田さんは、アレンジの足し算と引き算のバランス感覚が超絶に優れている。オフコース時代の「きかせて」(1980年)からだろうか……音数が洗練されて、本当に必要とされる音だけを選びとっている。それが、例えばライヴや「クリスマスの約束」(TBS)で見るピアノ弾語りのパフォーマンスなどに、如実に表れている。最後に一言、改めて付け加えておきたい:私は、小田さんのことが、好きです。

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