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2020/09/15(火)

高架する新幹線が上方を通過する。その音が耳に入ると、私はこれが希望の音に思える:東京へもすぐ出れるし、実家へもすぐ帰れるから。間近に新幹線が走っていることは, ”何かあったとき”にすぐ頼れるものがあることを指す。転居地を決めたときも、それを重視した。だけど、私や私の近しい人に何かあったときはそれで良くても、日本/国際社会それ自体に(重大な)何かあったときは、きっと心細い。例えば、大災害というのはいつ起こるか知れないが、その際、人は移動する手段の多くを失いがちである。文明によって私たちは、移動手段を高度化させ、また多様化してきた— 後者は偶然の結果かも知れぬが。しかしそれらも、自然の大変動の前には微力である。緊急時には人は原始化を強いられ、人における生が自ずと強化される;移動することの必要・重要性、そして大変さを、改めて認めさせられるのだ。文明は移動することの本性を人から遠ざけ、自然はこれを人に(イヤという程)突き付ける。

引越しの膨大な作業から解放され落着するまでの道のりは相当長い— 私の場合ほぼ単独だったから尚のことなのかも知れない。次から次へと仕事が湧いてくる。こなしても、こなしても……。そろそろ、安定したい。けれども、一つひとつの、これまでこなしてきた仕事を振り返ってもみようではないか。素晴らしい頑張りだ。出来ていないことについ目が向きがちだが、出来てきたことを見るとそれも膨大なものである。そのことに殊に鈍感である私たちは、どうやら、元来ネガティヴなベースにあるらしい。

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