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2020/09/25(金)

ディケードを一つの単位に見て、近来のJポップは, ”明るさ”を意図的に避ける傾向があるように思う。敢えてネガティヴさにスポットライトを当て、ディテールを露にして、そこから突き出てくる、傷の痛みを鋭く表現する。こうした表現アプローチは、喜劇とは真逆で、正に悲劇的なそれである。偶然に、欅坂46の「黒い羊」(2019年)を拝聴したとき、改めて感じた。彼女らの芸能活動にまつわることは、私はエンタメに疎くて詳しくは知らないが、単純に音楽作品を聴いてみて、一種のエンターテインメントとして楽しむことが、私の場合ほとんどできなかった。聴き終わった後、とても胸が締め付けられる感じがして、辛く、疲れ……再び聴きたいという想いにはならなかった。

エンターテインメントの特質は、観客や聴衆の心を日常(のアレコレ)から解放することである。先のような楽曲、つまり、心の(深い)創傷に焦点を絞り、それを尖った言葉で描写するような楽曲は、近来のJポップの表層を形成しており、私の感覚からすれば、どうやら硬化性があるようだ。でも無機質ではなく、かなりの度合で有機的である。それがまた, 2、30代に受ける理由の一つである気もする。

音楽は大抵、時代性を伴うもので、こうした傾向も、今節の時代を反映して出現していると思われる。「ゆとり世代」とか「さとり世代」,「ミレニアル世代」,「Z世代」など、特定の時代を生きる若者らを形容する語は幾つもあるが、近来の若者は、概ね経済的な事柄に起因する、種々の不安に苛まれながら成長してきている。そのなかで”こじれ”てしまった人々が, ”ひっそり”と膨大にいて、この事象を心理学的に捉えようという試みは多く見受けるも、解決策としての決定打を出すまでには至っていない。それは世界の混迷する政治経済とも、多分に関わりがあろう。

苦しみはどう癒されるべきだろうか。苦しみに同種の情動を打つけることで、救いを得るという人も少なからずあろうが、私には多数であるとはどうも思えない。だからと言え、ただただ明るい言葉だけを投げ掛けることだって、心理的に良好な結果を導くとは思えないが、近来のJポップは、思想的に観察する限りにおいて、余りに”明るさ”の効能について諦めていると、個人的に見られてならないのである。どれだけ軽快なチューンに歌詞を乗っけても、その内容が重く鋭利であったら、普遍性を弾き、気怠さの多量に溶け込んだ時代性に埋没していくことだろう。ここのところ流行している、もしくは多額の費用を掛けて制作されている(内にプロモーションを含む。)楽曲のなかで, 100年とか500年経った後も、人心に残り聴き/歌い継がれている楽曲は、果して、どのくらいあるのだろうか。

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