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祖母が亡くなった。

2020/11/02(月)の日記

前日に親よりSNSを通じて、祖母が逝去したとの一報を受けた。つい先日には一緒に対話したわけだったから実感が湧かないが、そうしたタイミングでのことなのだから— そして然らずとても— 何かの意味があるに違いないと思ってしまう。どの瞬間に何が起こるか、人生には至って予断できないことばかりであるから、可能な備えをいつでもしておかなければいけない。たった今目の前にいる人が、明日いないかも知れず、そういう気持で日々を送ることの、どれほど大切なことか。

元々祖母が長年暮らした家居(かきょ)は、前年度下半期くらいに売却が済み、いわゆる終活は漸進できていた。偶に私が帰省すると、祖母が書き物をしている様子を何度も見られたが、何に筆を走らせていたのかは分からない。ただ、短歌を日常的に詠んでいたことを、私はよく知っている。

自分の言動を母に注意されたり怒られたりすることが日常茶飯事だったようで,「お母さんに怒られてナンボだ」と—「お母さん」とは私目線から— 祖母は亡くなる前、最後に私が帰省したときにボヤいてくれた。

当面の生活費を稼ぐための仕事を私がようやく決められたことを伝えると、祖母はすっかり安心してくれた。その次には,「イイ人はやく見付けて結婚しなさいよ」と諭してもくれた。孫の動勢をいつも気に掛けてくれていた祖母は、晩年の自身の楽しみをどうして創出できるかに、やや苦心していたのかも知れない。祖母は私の実家に移住してからというもの、毎日の楽しみがないことを折に触れ嘆いていた。

今の私はまだ、どのようにして亡くなったのか、死因は何であったのかを、何も聞かされていない。親からの連絡より、病院で死亡が確認されたらしいことは分かるものの、それ以外の詳しい情報は何も手元にない。告別式は2日後に執行されるとのこと(通夜はその前夜)。どのような顔をした祖母と対面することになるのか、まだ想像がつかない。

新しい仕事を始めることは、やはりストレスの多いことだろう。私はいよいよ(長期の)勤務を開始するを得た。それを期しての、祖母の死である。やはり何らかの意味を、ここで見出さずにはいられないのである。

晩年の暮らしが祖母自身の生涯においてどう位置付けることのできるかは、もはや知る術はないが、しかし私の見受ける限りでは、声を出して笑顔になる場面が幾つもあったから,「可愛そうだ」という表現はおそらく全然不当だ。

私を心から愛してくれた祖母の訃報に接し、悲しくないと言えば絶対に嘘になる。けれども、その生きた、数々の足跡(例えば先述した詩歌など)を追う限り、私たちのなかにおいて半永久的に生きつづける。それは他の死者についてもまったく同じことで、当然ながら、やがて死者となる自分自身についても。私のなかで今なお、そしてこれからも生き生きとしている祖母と、どうやって来(きた)る日々の暮らしをつないでいくか……果てなき楽しみが、一つ増えたのだ。

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