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2020/09/30(水)

一人暮らしを始めて8年半が経過する。私は自炊をしたりしなかったりであるが、この頃はどうも,(少なくとも)一品は調理しなければ、食事に物足りなさを感じるようになった。料理とはもともと手間や時間の掛かることであっても、その点が食事についての満足感を与えてくれるのだろうと思う。料理自体余り得意でないし、ハマるほど好きでもないが、生活感を高める、大事な要素として、日頃深く考えずに行為している。一手間は文字通り「手間」であるが、そうやって短時間であっても一事に集中することが、私たちに好作用を及ぼしてくれることは、意外とあるものだ。面倒さも軽視できない。そう言えば、楽しみのなかにも「面倒さ」は潜んでいる。心から楽しいと感じることなのに、ときとして、そのなかの一部の作業に「面倒さ」を覚える;それが為,「まぁ後でいっか」と、その楽しみに取り組む順番を下げることがある。しかし、何もしないときに不図振り返ると、それも含めて、やはり総合的に楽しいのである。「面倒さ」は楽しみのなかにおいても、一種のスパイスとして機能しているのだろうか。ひょっとしたら、楽しみのなかだからこそ、その特質が際立つのかも知れない。「面倒さ」を積極的に引き受けたときは、何故だかそれが自信になる— 面倒臭くても自分はやったんだ、という自信。「面倒さ」は、一般的な畑作の肥料のように、臭いけれども、自信— もうちょっと口語らしくいうと「やった感」— を育てる肥料だと言えるのかも知れない。

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