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筆55 親子関係から逃れられない(仮)

2020/09/16(水)

親との関係ほど、扱いに難い関係はない。今の私は、紛れもなく、親からの影響を受けてここに生きている。思うに、親との関係が充分に良好な人は、肉親以外の他者と、仲違いしたり絶交したりすることはないだろう。一方、親との関係が拗(こじ)れている人は、他者との関係を上手く築けないことがある。では、親との関係が厳密にいって, ”充分に良好な”人などいるだろうか。私たちは親との蟠(わだかま)りを氷釈させるべく、他者を求め、関係を作り上げ、自分の人となりを形成していくものなのでなかろうか。私たちの人格形成の起点は、きっと、両親にあるのだ。生まれて間もなく、両親から別れなければならなかった者は、その保護者や周囲の人的環境にあるだろう。

私の母親は、モグラ叩きのように、私のことに関する話を打ち消してしまう。ただただ相槌を打って聴くということがなく,「うん……うん」と聴いていても後には必ずといって好い程「でもさ……」という返しが来る。彼女には凝り固まった思込みがあるのかも知れない:人の話を自分の型に無理やり変形させてしまう。おそらく傾聴するスキルを知らない。けれども、そのような、つまり、人の話を上手に聴き取り受け止める力を整然と身に付けている人など、どこに、どれくらいいるのだろうか。世界中で起きる個人的な、種々の精神問題は、考えるに、やや高い蓋然性を以て、幼少の頃などの、親からの(人格的)影響に起因することだろう。善くも悪くも、私たちは親のおかげで、また、親のせいで、今のようになって生きている。それを現に無視したり無きものにしたりすることなどできない、どうしようと。

高校生以来、また日記を書くようになった。これが楽しい。ただ私の日記は、その日あったことを淡々と文章で描写するのでなく、ご覧のように、頭のなかの思いや感じ、考えの一部を言葉にして抽出しているに過ぎない。日記とは、筆者が生きた、言葉による足跡である。

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