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好きと、友達と、現場。

最近、僕のお友達の間で #1000日チャレンジ というハッシュタグのもと、1000日何かを続ける、もしくは、何かの1000に挑戦するという活動(1000冊読む、1000本観る、1000回通う、など)が始まった。

これは、さとなおさんの「1/100を作ろう」から始まっている。ご興味ある方は下記をどうぞ。

1000日何かをやれば、その分野での100分の1になれる、そして、100分の1を増やして掛け算すると1万分の1になる。こういうことが、これからの時代の武器になるからさ、っていうメソッド。

極端なことをやってみるのは、いいことだ。

かく言う僕も3年前くらい前にこの「1/100を作ろう」に触れて、1000日に向かって毎日カレーを食べ始めた。(なんでカレー?とよく聞かれるけど、その辺はBAMPさんのこの記事で)

現在は1301日(2019年9月1日時点)連続でカレーを食べ続けている。
僕は「何かの1000」を「カレーの1000」として超えた。

で、「1000を超えて変わったこと」っていうのを、この機会にまとめてみようと思った。10年後に読み返せたら単純に面白そうだし、振り返りは何かの気づきになりそうだ。誰かのチャレンジのきっかけになるかもしれないし、1000日チャレンジャーへの応援になるかもしれない。

■300日続けると「好き」がわかってくる

僕は、お店のレビューをFacebookとInstagramに毎日書くことから始めた(今は自作したときか、美味しかったお店のみInstagramへ投稿)。最初の投稿はエチオピア。これ2日目。1日目は写真撮ってなかったけどCoCo壱番屋様。

だんだんと本当に読むやついるんか?ってくらいのSNSに不釣合いの長さでガッツリ書くようになった。根拠は無かったけど、こういう静かな熱狂が何かにつながると信じていた。

すると200日くらいから変化に気づく。なんとなく日本カレー界がわかってくるのだ。

書くとネタを探すようになる。そうなると、この時は、まだ解像度が低いのだけど、著名なカレーシェフとか、東京のインド料理教室には2大巨塔があるっぽいとか、大阪のカレー文化が日本で一番盛り上がっているとか、カレーインフルエンサーのそれぞれの特徴とか、そういうことがわかってくる。

そこからさらに日を重ねて300日くらいになると、本やWEBを読んで知識を得る、という感覚でなくて国や地方の違い、スパイスのアレンジみたいなことが身体で理解できていることに気づく。

そして、その経験が層になってくると自分でも説明できない好みの存在を感じるようになる。

この「説明できない」ってのがポイント。「なんで、俺、これ好きなのよ...?」という問いが自分の言葉を作っていく。

説明できない好みを意識してアウトプットを続けると、おぼろげながらその輪郭が次第にわかるようになっていく。カレーを作るときに砂糖類を入れる技術というのがあるんだけど、僕の場合はこれがあんまり得意でない。エッジの効いたハーブとスパイスに酸味が加算されるタイプがど真ん中で好みだ。タイ料理のラープ・ガイとか、キレのある南インドのラッサムがそれだった。

自分の好みがわかってくると、いつの間にか人のレビューだけでは判断しない自分が出来上がる。食べログ4.0のお店にも「美味しいけど好きなのはこれじゃない」って感じてしまう。

こういうのって何でも通じると思っていて、何かのレコメンド(おすすめ)に盲目的に乗っかれなくなるのは進化だ。好きなものをただ探すのではなくて、そもそも好きなものとは何か?を意識していると目の前に現れたものを疑うクセがつく。

Digる(掘る)ってこういうことだと思う。

■500日続けると「友達」ができる

「好き」がわかってくると、今度は、それがどいう構造になっているかを知りたくなる。僕を虜にするシェフ達はどうやって作っているのか?僕はこの頃からプロとの距離を知りたくて、自分でもカレーを作りだした。馴染みのスパイス屋さんスパイスハウス川久保さんと仲良くなったのもこの頃。


マイケル・ジョーダンがバスケットボールの神様と言われたけど、どこが凄いかは、素人よりもバスケ経験のある人のほうがわかる。それと一緒で、ケーキを食べるなら、ケーキを作ってみる、映画を観るなら台本を書いてみる、みたいに興味のある分野のプレイヤー側になってみると、その分野で活躍する人の凄さがより鮮明にわかる。

最初は、カレー界のスーパースター(御本人は嫌がりそうな言い方だけど)水野仁輔さんがプロデュースしたair spiceから始めた。レシピとスパイスが月に一回送られてくるというサブスクリプションサービスで、スパイスの使い方やコラムが僕のカレーの世界を広げてくれた。そこから始まるカレー作りは失敗したりするけれど面白かった。ここで連続カレーは400日〜500日くらい。

作るようになってから、より積極的にカレーイベントに足を運ぶようになった。みんなどんなカレー作ってるのよ?っと会場でカレーを食べまくる。地方にも行く。するとSNS上では知っていたカレー好きな人達とのリアルな現場で交流が生まれる。

カレーに対しての共通言語があるから話が早い。カラピンチャについて、延々と話ができてしまう。アカウント名でなく実名を知って〜さん、〜くん、〜ちゃん付けで呼び合う仲になり、食事会に呼ばれるようになる。後述するがカレーイベントを始めるとさらに人が集まる。

カレーを通して、たくさんの友人が増えた。

今思うと、これってかなり尊いことだと思う。大人になってから友達を作るのは大変だ、特に日本では。

仕事でがんコミュニティを運営している先生の話をよく聞く。日本は仕事至上主義の社会性が強く、特に男性は心を開いて友達を作るってことが年齢を重ねるごとにできなくなるらしい。だから病気を患っても相談できない。孤独死の約8割は男性だ。

ひきこもりも男性の方が圧倒的に多い。社会復帰の支援をしている人の話だと、どうも儒教思想の影響がある国に多い傾向にあるらしく、他国に比べて日本と韓国はひきこもり人口が群を抜いているという。恥の捉え方が独特で、家族や周囲の人々は救済よりも隠蔽に向くらしい。

孤独ってこれからのテーマだ。何かを続けると、その何かを通した友達が必ずできる。賭した時間に比例してだんだんとその関係は濃くなるはずだ。なんだかんだいって、ここで得た友達が一番の財産だと思う。

孤独は誰にでもあるけれど、カレーがある限り、きっと僕に孤独死はない。

■1000日続けると「現場」になる

600日を超えたあたりからソワソワがはじまる。自分が作ったカレーを誰かに食べてもらいたい... という衝動。ちょっとした飲み会ではカレーを振る舞ったりしていたが、それだけでは飽き足りない。これはギターを始めた人がバンドを組んでライブをやってみたいっていうのと一緒だ。

この頃からお料理上手でカレー好きの朋友中野くんとカレーユニット「すこしふしぎカレ〜(SFカレ〜)」を組む。ありそうでなかった組み合わせをカレーで表現するカレーユニット。北欧のイベントに出店する時は、ブルーベリーとポークカレーを組み合わせたりする。そんな感じでカレーイベントでの出店を2ヶ月に1回くらいのペースでやるようになった。カレーなる友達はさらに増えた。

どういうテーマでカレーを作るかってことを考えるようになると、カレーの作り手のイデオロギーを感じるようになる。

伝統を重んじて、より忠実に現地の味を出そうとする再現性、ベースのカレーを理解しつつも意外性のある食材やスパイスの組み合わせで新たなカレーを作ろうとするオリジナリティ、スパイスと酒とのペアリング探求などなど作り手が、何を表現したくてカレーというレコードをスピンしているのかわかるようになる。インドやスリランカに行って、現地の料理教室で習ったりすると、その感覚はさら強くなった。

バックグラウンドを含んでカレーを理解するようになると、もうカレーがただの食い物じゃなくなる。

自分はカレーで何を表現したいのか?
いや、その発想自体がおこがましいのか?
自分が向かいたい場所はどこなのか?

こういった意識が反芻して、
カレーは哲学であり、アートなのだと悟る。

カレーとは、大きなうねりで、それはキラキラと美しくたゆたっているのだ。天の川みたいに太く、大きな動きをみせている。燦然とした輝きは幾多もの文化の継承や融合が構成しているけど、流動自体は、とっても自由で予測ができない。混沌としているけど気持ちがいい。僕はちゃんとこの流れに身を任せたいと思うようになった。

これはうまく説明できないのだけど、みんなで家を造っている感覚に近い気がする。カレーに対して考えは違えど、それぞれに、足場を組む人、戸棚を作る人、塗装をする人と持場があって結局一緒にそれを築いている。あんまりヒエラルキーは無い。俺は俺の仕事をしている、って感じだ。

たぶん、僕はこの現場に立ったんだと思う。
まだよくわかってないんだけど、家を建てることに加わりたいんだ。

カレー皿を作ったり、スパイス酒の素を作ったり、Freeカレーを振る舞ったりは、奇をてらっているように見えるかもしれないが、僕としてはこの流れの一貫にある。こんなことを考えるようになったのが、まさに目標としていた1000日くらいのときだ。

ちょうどこの頃、漫画家のヤマザキマリさんのお話を聞く機会があったんだけど、漫画はやりたいことと言うより、ようやく発見した辛くても続けられるものといった主旨のお話をされていて、とても共感したのを憶えている。

たぶん、誰に頼まれたわけでもなく、たぶん自分の為という意識もなく、何かの1000を越えると、みんな現場に立つんじゃないかな。

それは「あ、これやっとかなきゃ」みたいな程度かもしれないけど、すごく幸せなことだと思う。

まぁ、毎日連続カレーを食べている人は12年連続とかの先輩がいるので、僕なんて、まだぺーぺーです。これから、食べ続ければまた景色は変わるでしょう。

そして、次の100分の1だ。どうしようかと考えていたけど、だいたい思いついてきた。


これはまた別の話。

noteは2016年に出会っていたけど、どちらかというとSEOの実験的な側面だったり、Mediumとの比較で使っていました。書かなくなって久しいですが、今はnoteの空気がありますね。

いくつか当時の記事を残しつつも、昔のマガジン機能は削除しました。これからまた新たな気持ちで書き残していこうと思います。


サポートしていただいたお金は、全てカレーの中に溶けていって、世界中に幸せが駆け巡ることでしょう。