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床に臥せたら、ビッグマック

なぜか竹中家では風邪をひくとマクドナルドを食べるという習慣があった。

ハンバーガーとフィレオフィッシュを母が大量に買い込んできたのが始まりだったと思う。ハンバーガーが一つ100円しなかった頃だろうな、と当時を調べると、80年代後半は一つ200円であった。おそらく日本で一番マクドナルドのハンバーガーが高かった時期にあたる。

当時はバブルだったが、仕事よりもコーヒーと読書の時間を優先してしまう父の竹中寝具店は、その恩恵を与っていない。

つまり、これは倹約家の母が珍しくみせる奮発であった。
今考えるとすごく意外だが、母なりに考えた結果、病床の息子を元気にさせる食べ物は、おかゆやリンゴではなかった。それよりも高級なマクドナルドのハンバーガー。慈愛よりもインパクトだ。アメリカ人ならこう治すだろう!と思ったのかもしれない。そして、僕はまんまと母の術中にはまる。珍しくて、嬉しかった。気持ちが元気になった。竹中家は、めったに外食をしない家だったから余計に効いた。

父はちょっと変わった珍味、例えば「豆腐よう」なんかをあてに家で晩酌するのが好きで出不精。さらに外食となると足の悪い祖母が拗ねるので両親と外で食べるという機会がほとんど無かった。そういう環境だったから、小学校の高学年になるくらいまでは、人に見られている気がして外食が嫌いだった。

でも、マクドナルドのハンバーガーは違う。風邪をひいたら、向こうから来てくれる。家で珍しいものを存分に楽しめる。お箸はもちろん、スプーンもフォークも使わない。それで怒られない。コーラを飲んでもいい。ポテトにケチャップをかけてもいい。アメリカの食べ物には自由がある。ピクルスなんて苦手なはずなのに、食べないとアメリカが逃げちゃうと思って無理して食べた。段々と病床のごちそうはマクドナルドが定着していく。そして、成長と共にシェイクがつき、ハンバーガーは、チキンタツタになり、ビッグマックになった。

あまりに嬉しそうにしてたからか、近いものを食べさせたかったのか、当時患ってた心臓病の検診時は、父がこっそりピザを食べさせてくれるというイベントが発生するようになった。小学校を早退して、筑波大学病院に行った帰りは学園都市にあるシェイキーズに向かう。食べ放題のピザ、ほくほくで複雑なスパイス使いのポテトをもりもり食べて、ジンジャーエールで流し込む。至福な時間だった。少し大人になった気もした。帰りに「弟にはないしょだぞ」と父は必ず助手席に座る僕に言った。今思うと外食が苦手じゃなくなってきたのもこの辺りからだったと思う。

なせが病に関わる時はアメリカン。風邪をひくと今でもそうだ。38度の熱が出てぐったりしてきたので、久しぶりにマクドナルドに行った。ここでUberを利用するのは違う気がした。ハンバーガーに挑むにあたっては病に加え、少しの苦労が欲しい。もちろん出向いたとてテイクアウトだ。

持って帰ってきたマックのセットをテーブルに拡げる。ポテトにはしっかりケチャップをかけた。まず、ビッグマックを頬張る。誤解のしようがない美味さ。ナゲットのチーズソースはよくできてるけど、やっぱりBBQソースが一番好きだなと思った。気づくと体温は平熱に戻っていた。


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