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「みんなで食べるごはんは美味しい」って、とっても虚構だと思ってる


誰かが作ってくれたごはんは美味しい、これは事実。間違いない。特に見返り無く自分のために誰かが作ってくれたごはんは基本的に美味しい。

ここはロジカルに説明できる部分と出来ない部分がある。例えば、自分で作る料理は飽きるということがある。誰かの料理は自分にない手法や癖、または哲学が入り込んでいて、それが美味しさに結びついている。予想できないから美味しいのだ。そこが期待値にも変わる。

安心が美味しいにつながるというのもある。母の味や、馴染みの店の味に該当するようなソウルフードの美味しさはこれだ。期待を満たしてくれるとわかっている状態。名曲を何回も聞く感覚に似ている。

でも、そういうロジックとは別に、例えばあなたの為に作りましたと渡されたお弁当は普段だったら絶対に選ばないような味付けでも美味しかったりする。特別なものでなくても美味しい。極端なことを言うと、不味いと感じてしまいそうなものでも、いやアリじゃない?くらいまで格上げすることがある。不思議だ。マジで料理は愛情なのかも知れない。

しかしだ。僕は「みんなで食べる」には懐疑的である。本当に「みんなで食べるから」美味しかったり、幸せだったりするのだろうか?

「みんなで食べる」と美味しかったり、幸せなのか?

ミールスは一人で食っても色んな味が楽しめてサイコー。

違うと思う。みんなで食べるメリットは様々な料理を少しずつ食べることができるからだ。人間一人の胃袋には限界がある。より多種の美味しいものを食べるためには同志が必要というだけであって、みんなで食べるから美味しいわけではない。

だから、ここで言う「みんな」と自分の関係には細心の注意を払う必要がある。共有ができる関係でないと成立しない。男性は特に「メシ食いに行きましょう」が「同じ釜の飯を食った仲になろう」文脈に近いニュアンスの人がいる。こういうタイプは席についたらマウント合戦や力関係の確認だったりというケースは少なくない。純粋な気持ちであったとしても、釜の友は選ぶべきだ。普通に考えれば、ある程度は相手の好みを理解していないと一緒に食事なんてできない。はじめまして、でいきなり「焼き肉」を誘ってくるような人は危険だ。僕がヴィーガンだったらどうすんねん。

「みんなで作るごはんは美味しい」も聞く。これはもう絶対ウソだと思う。分業の持ち場があり、それぞれに職人が存在するほど組織力が練られていれば、それは成立する。だが素人の分業は難しい。みんなで一生懸命頑張ったところで限界があるし、だいたいムラがあって美味しくない。鍋奉行とか、焼き肉奉行とかは必要悪であり尊い存在。偏って食に世話を焼いてくれる人がいる方が絶対うまい。

以上のように「食」のまわりは、道徳の仮面をかぶって、妙に連帯や協調性を強いてくる教えが多い。「誰かのために作る」は思いやりがあっていい。だが「みんな」で食べたり、作ったりしなくても美味いもんは、美味いのだ。ここには恣意的な思想教育の匂いがする。個人的にこの辺の考えで共感できるのは「残すな」だけだ。その他の「食」にまつわる教育は慎重に見極める必要がある。

それにしたってこういう観念は、どこから来たのだろうか。儒教思想とか、古の大陸ルーツ?と常々考えていたのだが、先日「チコちゃんに叱られる!」(NHK総合)をたまたま見て、ここかもしれないというものを見つけた。驚くことにカレーがとても関係している。

起源はGHQの「男女平等」教育かも知れないですね

それは2022年4月8日放送『チコちゃんに叱られる!』(NHK総合)で紹介された「キャンプでカレーを作るのはなぜ?」の回だった。
ざっくり説明すると、

・第二次世界大戦後、日本の占領政策を行っていたGHQが日本の男性中心の社会構造を問題視。選挙法改正や、共学制などテコ入れ。

・続いてGHQは「男女平等」を目的とした青年男女の健全育成プログラムとしてキャンプを推奨。文部省はこれを受けて全国各地に野外学習施設「青年の家」を設置。

・「青年の家」では自然に人間関係が形成されるようなグループワークを多く行い、男女の出会いの場としても機能。キャンプファイヤーなど含む。

・その野外炊飯では当時は洋食として人気もあり、調理工程の分業もわかりやすかったカレー作りが重宝され定番化した。

番組中の聖徳大学の神谷明宏准教授のお話

というもので、資料にも「キャンプなどのイベントを通して男女交際のあり方が自然と身に付く」と書かれていた。日本において歓迎・接待みたいな意図以外で、食を人間関係のツールにした最初は、実はここなのかもしれない。よく考えれば、戦前って家長性の男社会なわけで今みたいな食の協調性って求められなかったと思う。

しかし、カレーが男女平等の推進に一役買っていたんなら、それは嬉しいことなんだけど、本当に効果はあったのだろうか?正直、マジで恣意的なキモい教育だったじゃんと思ってしまった。「女性が対等になる場所を作ってあげよう」という男目線がつらい。現代ならアウトよね。

サポートしていただいたお金は、全てカレーの中に溶けていって、世界中に幸せが駆け巡ることでしょう。