Vol.51 個と全体

 昨日は、怒涛の1週間の疲れがあったのか、朝起きられず、夜すぐ寝てしまいnoteに来ることができませんでした。ですが、なんだかすっきりしています。これまで無意識か、意識してかnoteに縛られていた感じがあります。決して「noteを書かなければいけない」ではなくて「書きたいことがあるから書く」のです。毎日試行錯誤しているからこそ、書きたいことが増えていきます。「自分自身を見取ること」そして読んでくださる方と「対話すること」を大切にこれからも書き続けていきます。

 ただ、疲れがたまらない過ごし方、習慣というものをもう少し探っていきます。まだまだ今のままではよくないです。心とからだの健康を第一に過ごします。


 何かに対して追究しているとき、よくわからことやまだはっきりしていないことといった問いが追究の支えになっていることがあります。前にもそんなことを書きました。

 最近、全体で授業を進めていくときに
「全体の思考」と「個人の思考」があるのかなと思っています。クラス全体での話題は「大造じいさんの人物像」だけれど、一人ひとりはこれまで自分が追究してきてはっきりしていることとか、モヤモヤしていたこととつなげて考えていることがあると思います。自分自身もこの「つなげる」ということがうまくできる人でありたいと思っています。聴くときの姿勢、意識、心構えみたいなところかもしれません。「つなげる」ことができると、自分の考えがより深まっていくと思っています。

 僕が大切にしていることは、全体で聴くときに

  • どこかのタイミングで単元目標を意識し始めて、全体として目指す方向をもつことができるようにすること

  • 互いの考えがズレているならズレていることを意識できるように、聴き合う前か途中にズレを見える化すること

こんなことを大切にしているのかなと思います。まだまだ全体と個のつながりを捉えきれていません。

 全体と個のつながりを意識した授業をする上で、「個の追究の見取り」はとても大切になってきます。
 一人ひとりが今、なにに着目しているのか、なにを明らかにしようとしているのか、そんなことを丁寧に追い続けることをサボらないことが大切だと思っています。一人ひとりを丁寧に追い続けた上で、全体でどの子とどの子の考えがつながりそうか考え、授業を構想していきます。
 ですが、そういった授業を終えたとき「きれいにまとまった」と感じることがあります。教師の想定内で授業が終わってしまっています。もちろん、一人ひとりを丁寧に見取り、授業の流れがきれいになるように授業を構想しているからだと思います。どうしても頭で思考しているときれいになってしまうんだと思っています。ですが、そのとき失われてしまっている「個の追究」があるんじゃないかなとも思っています。

 一人ひとりが生きる全体での聴き合いとは?

 ここを意識しながら残りの少ない日々の授業で試行錯誤していきます。

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